番外編 この世界に復讐を

 食堂でアイル達を送り出す会が開かれていた、ちょうどその頃。

 宿の部屋に一人残ったマオは、誰もいないのをいいことに「大罪の悪魔」達を召喚していた。


「……うーむ、やはりちょっとだけでも顔を出してみるべきだったかもしれん。腹が減ってきたのう」


 真っ白な毛並みの猫――元は「強欲」の名を冠する「大罪の悪魔」である――を撫でながら、マオは呟いた。


「まあ、アイルやクロノが食べ物を持ってきてくれることに期待しようかの」


 マオが「強欲」のモフモフの毛並みを堪能していた時だった。


 ――コンコンコン。


 誰かに、部屋の扉をノックされた。

 マオは慌てて「大罪の悪魔」達を闇の中へと戻す。

 そして、ゆっくりと扉に近づいた。


 ――コンコンコン。


 二度目のノック音。

 この時点で、マオはアイル達が帰ってきたわけではないと確信する。

 アイルは一度だけノックするがマオが返事をせずともすぐに入ってくるし、クロノに至ってはノックもしない。

 アイル達に用があるのかもしれない。

 しかし、それならば、受付にいるはずのガーベラによって彼らは食堂にいると教えられるはず。


「……開けてはもらえないだろうか?」


 扉の向こうから女性の声がした。

 もちろん、クロノの声ではない。

 だが、聞いたことのある声だった。

 マオは一瞬迷ったものの、扉を開けた。


「ありがとう」


 扉の向こうには、ローブを着た女性――アイナ・パトリオットが立っていた。


「君に話があるんだ。でも、他人にはあまり聞かれたくなくてね。できれば中に入れて欲しいのだけど」


 申し訳なさそうなアイナに対し、マオは無表情のまま彼女を招き入れた。


「すまないね。食堂でのパーティーを抜け出してきたから、長居するつもりは無いんだ。だから、立って話をさせてもらうよ」


 椅子に座るよう勧めようとしたらそう言われたので、マオ自身はベッドに腰をかけて話を聞くことにした。


「まずは、改めて自己紹介をしよう。私はアイナ・パトリオット。パトリオット家の長女であり……伝説の勇者の一人、ミヒャエル・パトリオットの直系の子孫だ」


 「勇者」という言葉に、マオはわずかに反応する。

 しかし、それ以上の反応を示すことはなかった。


「その反応。流石に気づいていたか。まあ、当然だろうな。君――いや、貴方を倒した人々の名を、貴方が忘れることなどないだろう」

「……」


 マオは何も喋らない。

 だがしかし、その目はアイナを睨みつけていた。


「そう警戒しないで欲しい。私が今日ここに来たのは、貴方を捕まえたり、倒したりするためではない」


 そう言うと、アイナは一歩だけ前に進んだ。

 警戒心を強めるマオだったが、彼女はその場で足を止めた。

 そして、深々と、マオに頭を下げた。


「この度は、祖先が申し訳ないことをした」


 アイナは頭を下げながら、ハッキリとそう言った。

 今まで睨んでいたマオの目が、大きく見開かれる。


「……実は、貴方達のことを調べさせてもらった。幼い頃よりの疑問だったのだ。何故『悪魔』と呼ばれる存在がこの世に生まれ、我々を襲ったのか。この世界は神がお創りになられた完璧な世界だと教えられたのに、神すら嫌悪する存在がいたということが疑問でならなかった」


 顔を上げたアイナと、マオの視線がぶつかる。

 彼女の澄んだ瞳に、困惑した表情を浮かべるマオが映っていた。


「『悪魔』がいたのはもう何百年も前のことだから、文献を探すことする苦労したよ。しかも、どの文献も同じようなことばかり書かれていて、大した情報は得られなかった。けれど、一つだけ気になる文章を見つけたんだ」


 マオもアイナも、互いに視線を逸らさず、ただ真っ直ぐに相手を見つめている。


「それは、貴方達が最初に現れたという島に住んでいた民族に、貴方達が未知の技術を教えていたというものだ。それを書いた人物は人に取り入って中から壊していこうとしたなんて書いていたが、そうであるならばもっと人の多いところで目立たないやり方を用いてやるべきだとは思わないか?」

「……」

「そもそも、貴方達は何故あんな何も無い島に現れたのか? 何故敵であるはずの人間に技術を教えたのか? こんな労力も時間もかかるやり方をせずとも、貴方達に文献通りの力があったなら、すぐにこの大陸に攻め入ることもできたはずだ」

「……」

「私はもっと文献を精査した。そうしたら、先の戦い以前に『悪魔』が人間に具体的に何かしたという情報がないことに気づいた。あるにはあるが、どれも信憑性に欠けるものばかり。これはつまり……貴方達が我々人間に危害を加えたというのは、後で付け加えられた偽の情報ということだろう。貴方達は私達人間に危害を加えてなんかいなかった」


 アイナは酷く悲しそうな目をマオへと向けた。


「貴方達との戦いは、我々人間が勝手に引き起こしたものなのだろう?」


 マオは、肯定も否定もしない。

 感情を殺した顔で、アイナを見つめていた。


「……そうだとすれば、私達は貴方に酷いことをした。貴方を封印したばかりか、貴方のも殺したのだから」

「……」

「許してくれとは言わない。ただ……謝りたかった。私の祖先が、貴方達にした行いを償いたいんだ」


 アイナの凛々しい顔が悲痛に歪む。


「何故、何も言ってくれない? 私達人間が嫌いなのはわかるが、言ってくれなければ貴方の思いが伝わることもないのだぞ?」


 そんな彼女の顔を、マオは冷ややかな目で見た。


「……言うたところで」

「え?」

「言うたところで、


 アイナの切れ長の目が、大きく見開かれる。


「……今、何と?」

「何度聞いても貴様には聞き取れまいよ。そも、儂と貴様では喋っている言葉が違う」


 アイナは驚きを隠せない様子で狼狽えた。


「まさか、言語が違う……? だが、島の住民達に技術を教えていたのだろう?」

「それは彼らに教えを乞われて教えてやっただけのこと。彼らは言葉が通じぬ中でも我らと積極的に交流してくれたよ……そんな彼らを、貴様らは裏切り者として皆殺しにしたのだがな」


 マオが恨みの篭もった視線をアイナに向ける。

 言葉は伝わっていないものの、その視線を受けた彼女は、マオの思っていることに気づいた。


「……ああ、そうか。彼らは貴方達のことを拒絶せず、貴方達を受け入れたのだな。貴方達に寄り添って、貴方達を理解しようとした。そんな彼らを、私達は……」


 それまで目線を逸らさなかった彼女が、俯いて両手を強く握りしめる。

 だが、不意に何かに気づいた彼女は、再び顔を上げた。


「……いや、待て。我々は貴方の話している言葉を理解できないが、貴方は我々が話している言葉を理解しているのだろう? それなのに、何故会話はできないのだ?」

「……」

「それだけじゃない……貴方は、どうやってアイルファー君やクロノ君と会話をしている?」


 アイナは冷静さを失っているようだった。

 戸惑うように揺れる彼女の瞳を見つめながら、マオは深いため息をつく。


「それを尋ねたところで、返事の意味がわからなければ意味がないと思うがの。まあ、言葉が伝わっていたところで、貴様にその理由を話す義理はない」


 そう言うと、マオはベッドから降りて、扉の方へと向かう。


「要件はそれだけか? ならば、サッサと帰るが良い。貴様に話すことなど何も無い。貴様が償うようなこともない」


 マオはアイナに退出を促すように扉を開けた。


「待ってくれ、まだ話は……」

「貴様の話を聞くつもりもない。とっとと去れ!」


 アイナの肩がビクリと揺れる。

 言葉は通じずとも、マオが怒っているのは伝わっていた。


「……わかった。今日はこれで失礼させていただく。貴方もアイルファー君達についていくだろうから、次の機会がいつ訪れるかはわからないが……その時は、改めて話をさせて欲しい」


 アイナはそう言い残すと、足早にその場を立ち去った。

 彼女が去った後、マオは扉に背を預けた。


「今更、謝られたところで、償われたところで、彼らが……彼奴らが戻ってくるわけではない」


 静かになると、どこか遠くから微かに笑い声が聞こえてくる。

 耳を澄ますと、どうやら食堂の方から聞こえてきているようだった。


「……アイルやクロノは、良い人達に恵まれたのう。儂も、彼らと出会った時、彼奴らと一緒にあんなふうに歓迎されたのを思い出すわい」


 滲む視界を隠すように、マオは目を閉じる。

 そして、ゆっくりと開かれたその瞳に、もう悲しみは浮かんでいなかった。


「ああ……そう、戻っては来ない。失ったものはもう二度と元に戻らない。なのに何故、儂は今も人間を憎む? この世界の神に怒りと憎悪を抱く?」


 マオの瞳は、鮮血のように真っ赤に染まっていた。


「この晴れぬ思いはどうしたらいい? 許しを乞う者を許し、償いを受ければ良いのか? ……違うな。そんなことをしても、この暗く淀んだ心が晴れることなどない」


 静かな室内に、マオの声が響き渡る。


「……この世界に復讐を。人に、神に、この世の全てに、儂は復讐する。この淀みが晴れるまで……この世が無くなるまで、全身全霊をかけて復讐を果たそう」


 そう言ったマオの赤い瞳は、薄暗い室内で煌々と輝いていた。

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