番外編 普段お酒を飲まない人にお酒を飲ませたら豹変した②

 ――時は少し遡り。

 クロノは女性陣しかいないテーブルに連れてこられた。


「いやーん、クロノちゃんってホントお肌スベスベ!」

「髪もツヤツヤで三つ編みにしてるのが勿体ないくらいよねー」


 クロノが席に着くと同時に、お姉様方が彼女の肌や髪を触ってくる。

 彼女達は既に出来上がっているのか、顔が紅潮していた。


「あの、ちょっと触りすぎじゃ……」

「いいじゃなーい、減るもんじゃないし」

「やっぱり、若いっていいわぁ。でも、もうアイルファー君のものだなんて残念ね」

「そんなに若いのにどうしてアイルファー君と結婚したの? もっと良い人が他にいるかもしれないわよ?」


 周囲のお姉様方は若いと言うが、クロノの実際の年齢は彼女達より上である。

 それに、彼女はアイル以外の男性とお付き合いしたこともある。

 彼女はお付き合いした男性や、周囲にいた男性陣を思い出した。


「……アイル以上に好きになれる人なんて、多分いないけど」


 そんな呟きを零すと、周囲のお姉様方がニヤニヤと笑い出した。

 クロノが「しまった」と思った時にはもう遅く。


「あらあらあら。クロノちゃんは本当にアイルファー君が好きなのねぇ」

「やだ、私達ったら野暮なこと聞いちゃったわね」

「他の人が入り込めないくらい愛し合っているのね。羨ましいわ」


 お姉様方はうふふと笑いながら、暖かい目をクロノに向けている。


「べ、別にすごい好きってわけじゃないですよ。他の男の人よりかは好きなだけで……」

「照れなくてもいいのよ。誰かを愛しているのは恥ずかしいことじゃないもの」

「そうそう。好きっていう気持ちを隠す必要はないわ」

「だから、そういうわけでは……!」

「でも、照れてるクロノちゃんも可愛いわ。アイルファー君が惚れちゃうのも無理ないわね」

「こんな可愛い子だからアイルファー君も悪い虫がつかないか心配なのね」


 酔っ払いのお姉様方は全く話を聞いてくれないばかりか、再びクロノを褒めちぎり始めた。


「〜~っ! もうっ、好きにしてください!」


 酔っ払いには何を言っても仕方ないとクロノは諦め、羞恥心を隠すように近くにあった飲み物をあおった。

 甘いけど何か変な味がすると、彼女は飲み切った後に思った。

 と、それを見たお姉様方の一人が、ギョッとした顔をする。


「やだ、クロノちゃん! それ、私のお酒よ!」

「え?」


 その瞬間、クロノの視界がグルグルと回り出す。


「……あれぇ、何だかぽかぽかしてグルグルしてきたぁ」


 クロノの顔は周囲のお姉様方よりも赤くなり、呂律も回らなくなってきている。


「大変! 誰か、お水を……」


 お姉様方の一人がフラフラしているクロノを支え、その豊満な胸をクロノの顔に近づけた時だった。


「……お姉さん、エッチなおっぱいしてるねー」

「へ? ――きゃあ!」


 ヘラヘラと笑いながら、クロノはその女性の胸を鷲掴みした。


「あー、柔らかぁい。人をダメにしますねぇ、この柔らかさはぁ」


 クロノはそのまま、女性の胸をモミモミし出した。


「や……ちょっと、クロノちゃん……!」


 突然のことに女性は困惑しているのか、クロノの為すがままにされている。

 普段からは考えられないようなだらしない顔で女性の胸を揉むクロノは、どう見ても変態オヤジだった。

 元の世界では、クロノがお酒を飲んでも気持ち悪くなるだけで、こんな状態になることは無かった。

 姿が変わったことによって体内でのアルコール分解能が変化したためなのか、違う理由があるのかはわからない。


「あ、そこはダメ……あんっ!」

「グヘヘ、エロい声出しますなぁ、お姉さん」


 ハッキリしているのは、今のクロノが変態オヤジと化しているということである。


「――ちょっと、クロノさん! 何やってるんですか!?」


 悲鳴を聞いて駆けつけたアイルは、クロノのあられもない姿に、慌てて彼女を女性から引き剥がした。


「はれ? アイルじゃーん。どしたのぉ?」

「どうしたのじゃないよ! なんてことしてるの!」


 アイルもこんな状態のクロノを見るのは初めてだった。

 周囲の人々より付き合いが長い分、その動揺も計り知れなかった。

 相手がクロノだったのもいけなかったのだろう。

 故に、彼は隙だらけの状態だった。


「あ、お酒臭い。間違えて飲んじゃったの? 気持ち悪くなる前に早く部屋に戻ろ……」

「ス・キ・あ・り!」


 その言葉と共に、アイルの視界が急に開けた。

 よく見えるようになった視界の中心で、クロノがアイルの兜を抱えていた。


「アイルってば、ホントにイッケメーン。顔キレーだし、声も良いし、非の打ち所がないよねー」


 静まり返った食堂内に、クロノのケラケラという笑い声が響く。

 周りの人達は突然明かされたアイルの素顔に驚き、見とれていた。


「く、クロノさん! 兜返してください!」

「嫌でーす」

「顔を隠してって言ったのはクロノさんの方でしょ!」

「でも、今はアイルの顔見てたいんだもん。うーん、肌も陶器みたいに白くてツルツルしてるのね。髪もサラツヤで色っぽいわぁ」


 クロノは片手で兜を抱え込みながら、もう一方の手でアイルの顔をベタベタと触る。


「本当にカッコイイ……流石、乙女ゲーの攻略対象よね」


 クロノはムフフと、少々気持ち悪い笑い方をする。

 だが、それを聞いた瞬間、困った表情を浮かべていたアイルが真顔になった。


「……そんなに『アイルファー』が好き?」

「あったりまえじゃない! こんなカッコイイのに好きにならないわけないでしょ!」


 クロノはアイルの変化に気づいていないのか、相変わらずだらしない顔で笑っている。


「……そっか」

「あ、その表情もいいねぇ。普段ニコニコしてるから、冷たい感じがし……んむっ!」


 喋り続けていたクロノの唇に、アイルは自らの唇を押し付けた。

 彼はそのまま彼女の口に舌を差し込もうとする。


「ん……んんっ!」


 ちょっとだけ抵抗してみるクロノだったが、アイルは逃げようとする彼女を抱き寄せ、より顔を押し付けた。

 圧倒的な力の差に敵うはずもなく、彼女の口に彼の舌が入れられる。

 そこに普段の優しさはなく、彼は猛獣のように激しく彼女を貪った。

 彼が飲んでいたビールの苦味が、彼女の口に広がる。

 彼女が間違えて飲んだお酒の甘い味を塗り潰すように、彼は舌で彼女を蕩けさせる。

 長い長いキスの後、彼はようやく彼女を解放した。


「……これでもまだ『アイルファー』の方がいいの?」


 アイルの黒い瞳が細められ、形の良い唇に笑みを作る。

 ほのかに赤みを帯びた顔に浮かぶ余裕たっぷりの笑みは、普段の彼からは考えられないほど艶めかしく、妖しい魅力があった。


「ふぇ……」


 クロノはさらに真っ赤になった顔で、潤んだ目をアイルに向けていた。

 口は魚のようにパクパクと動くだけで、言葉は出ない。

 彼女は、骨の髄までトロトロになっていた。


「……やりすぎたかな?」


 ゲームキャラにヤキモチを妬いてしまい、クロノをこんな状態にしてしまったことに、アイルはほんの少し後悔した。


「……でも、クロノさんがいけないんだよ?」


 アイルはクロノだけに聞こえるよう、彼女の耳元でそう囁いた。

 わずかに怒気を孕みながらも、その声音自体は優しい。


「はひぃ!? しゅ、しゅみましぇん!」


 クロノの呂律は完全に回らなくなっていた。

 それが酔いのせいでないのは、見ている人々にもわかり切っていることだった。


「ああ、酔いが回ってきてるんだね。もう部屋に戻ろうか」


 しかし、アイルはわかっているのかいないのか、そんなことを言ってクロノを抱き上げた。


「すみません。彼女の具合が悪いようなので、僕達はこれで失礼させていただきます」


 アイルは未だ呆然とする人々に頭を下げると、されるがままのクロノをお姫様抱っこしてその場から立ち去った。



 彼らが去った後、残された人々は口々にこう言った。

 ――あの夫婦で一番ヤバイのは夫の方だ、と。

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