第39話 束の間の休息
パッシオの死から数日後、宿にいたアイル達の元にアイナがやってきた。
「お久しぶりです。今日はどういったご要件でしょうか?」
忙しいはずのアイナがわざわざやってきたことに動揺しつつ、アイルが尋ねた。
「調査が一通り終わったから、その報告に来たんだ」
「そういうことでしたら、ご連絡くだされば、僕達の方からアイナさんのところに行きましたのに」
「なに、気にするな。ここの食堂で休憩するついでだ」
彼らはマオを部屋に残して食堂に移動し、一息ついてからアイナが話し始めた。
「まずは、君達が一番気になっているであろう残りの行方不明者についてだ」
「見つかったんですか?」
「……いや。だが、君達が見つけた地下室に研究成果をまとめた書類があってね。そこに書かれていた内容を信じるならば、彼らは……亡くなっているようだ」
「……そう、ですか」
「日付を見れば失踪届が出された頃に実験されて亡くなっているらしかった。つまり、我々が気づいた頃にはもう遅かったようだ」
アイナは気にするなというつもりで言っているのだろうが、アイル達の胸中は複雑だった。
もっと早くに気づけていればと、思わずにはいられなかったからだ。
「……次の報告に移ろうか。例の『薬』についてだ。君達が回収した材料は誰でも比較的入手しやすいものだったが、レシピはどの文献にも載っていなかった。パッシオ殿のオリジナルの薬のようだな」
「……彼は神からレシピを授かったと言ってました」
「ああ、そうだったね。それが事実かどうかは、彼の死んだ今となっては神のみぞ知ることだ」
「神様が人を殺す化け物を作らせようとしたと?」
「さあね。ただ、歴史上、創造神様は人に試練を課すのがお好きなようだから、今回もそうかもしれない」
「……嫌な神様ね」
苦虫を噛み潰したような顔をするクロノに、アイナは苦笑いをする。
「それだけ聞けば嫌な神様かもしれないが、試練よりも我々に知恵を授けてくださることの方が多いのだ。一概に悪い神様とは言えんよ」
「その言い方だと、良い神様でもないと言ってるように聞こえるのですが」
「……そんなことより、報告はまだある」
アイルの質問をサラッと無視して、アイナは話を続けた。
「実は、パッシオ殿は実験そのものは地下室ではなく、森の中で行っていたらしい。あのゴブリンの古巣がある森だ」
「あの森で……?」
「実験していた場所もその古巣の近くだ。どうやら、君達があそこで遭遇した化け物はそこから逃げ出した実験体だったようだ。パッシオ殿の研究資料にそう書かれていたよ」
「何故、彼はその実験体を探さなかったのでしょう?」
「脱走直後に、生物のいない森の中で生き延びられるかの実験に変更されたようだ」
「……脱走しても、実験台にされていたのですね」
「君達が倒してくれたおかげで彼女がようやく解放されたというのは、私としても何とも言えない気分になるよ」
アイナの表情が一瞬だけ曇るが、すぐさま真剣な顔に戻った。
「……そういえば、この実験なのだが、どうやらパッシオ殿一人で行っていたものではないみたいなんだ」
「それはつまり、協力者がいたと……?」
「確たる証拠はないが、恐らくな。森の中の実験施設はかなり立派なものだったし、見つからないよう隠蔽魔法までかけられていた。いくら貴族とはいえ、パッシオ殿の収入を考えればそんなものを建てられるはずがないんだ」
「誰かから借金をしたとかでは?」
「それにしたって、建物を建てた人達がいるはずだろう。あれだけ広い範囲に隠蔽魔法をかけられる優秀な魔術師も必要だ。それにな、実験施設内にはパッシオ殿の他にも何者かが出入りしていた形跡がある。どんな人物が出入りしていたのかは未だ調査中だが、複数の協力者がいたと考えている」
「……その人達がレシピや薬を横流ししていたら大変ですよね」
「ああ。パッシオ殿の裏金はその収益から出ている可能性もある。急いで調査を進めているが、協力者殿はなかなかやり手なようでね。尻尾すら掴めていないのが現状だ」
アイナは眉間に深いシワを刻みながら、長いため息をついた。
「僕達も何か協力できればいいのですが……」
「ん? ああ、いや。こういうことは諜報のプロにでも任せておけばいい」
「ですが……」
「それにな。今、君達が動くのは危険だ。パッシオ殿の協力者が何かしてこないとも限らないし……それに、妙な噂が出回ったせいで、冒険者ギルドへの風当たりが強くなってしまっているからね」
アイナの言う妙な噂とは、「パッシオはとある冒険者に騙されて殺された」というものである。
恐らく、彼の死の直前にアイル達が屋敷を訪ねたという情報がどこかから漏れたのだろう。
彼らの名前までは漏れなかったが、冒険者らしい格好をしていたために冒険者ではないかと推測され、そこにさらに尾ひれがついてそんな噂になってしまったのだろう。
パッシオが化け物騒動の犯人だという情報は既に一般にも公開されている。
しかし、そのことを信じられない一部の民衆の間で、先の噂は広がりをみせていた。
「それって、私達のせいじゃ……」
「いや、私が行っていても同じ結果になっただろう。なに、所詮は噂さ。それも、根拠の無いものだから、すぐに消えるだろうさ」
「そうだといいのですが……」
そうは言われても、クロノは自分達のせいだという思いが消えなかった。
町が荒れることは予想していたが、まさかこんな噂が流れるとは思ってもみなかった。
アイナに余計な負担を増やした挙句、自分達も気安く町中を出歩けなくなってしまった。
そのことを考えると、クロノが今回のことを後悔するのはしょうがないことかもしれない。
「……まあ、いつまでも町中を出歩けないのは困るよな。何より、君達が当事者であることに気づかれたら不味いことになるだろう」
「じゃあ、僕達はしばらく出歩かない方が良いですね」
「それはそれで気が滅入るだろう。噂が消えるまでなんて、いつまでかかるかわからないしな」
「では、どうしたら良いのでしょうか?」
アイルが尋ねると、アイナは懐から封筒を取り出した。
彼女からそれを受け取ったアイルは、促されるまま、その中身を確認した。
「……旅館の紹介状?」
中には「シュトルツ」という旅館の紹介状が入っていた。
「『クヴェレ』にある一見さんお断りの高級旅館だ。今回の件は君達の活躍あってのことだし、町が落ち着くまでしばらくゆっくりしてくるといい。ああ、料金については全額私持ちだから気にしなくていいぞ」
「そこまでしていただくのは流石に悪いですよ」
「いや、そんなことは無いさ。君達には無茶をさせてしまったからな。これは私からの詫びだと思ってくれ」
そんなふうに悲しそうに言われてしまえば、アイル達も断るわけにはいかなかった。
「……それでは、お言葉に甘えて」
「噂が落ち着いたら連絡しよう。それまでは『温泉郷クヴェレ』を堪能するといい」
「温泉郷?」
「なんだ、知らないのか? クヴェレといえば温泉で有名じゃないか。ここもかなりの人が出入りするが、向こうは休暇で訪れる人が多いから、こことは違った賑わいを見せているはずだ」
「温泉」という言葉に、真っ先に反応したのはクロノだった。
「温泉、ここにもあるのね」
クロノは努めて冷静に言っているつもりだが、隠しきれない興奮が表情に現れていた。
ほんのり頬をピンク色に染めてはにかむ彼女を、アイルは微笑ましく見つめた。
「クロノさん、温泉好きだもんね」
「ええ。とても楽しみだわ」
そんな彼らの様子を見て、アイナも満足そうに微笑んだ。
「気に入ってくれて何よりだ。三日後に知り合いがクヴェレに行く用事があるらしいから、それについて行ってくれ」
「それはその方のご迷惑になるのでは……」
「いや、向こうからのご希望なのさ。なんでも、お孫さんがアイルファー君に世話になったとかで」
「ええ? 僕、誰かに何かしたかな……?」
「私も詳しくは聞いていないからわからないが、信用できる人物だから安心して欲しい」
「そこは疑ってませんが……」
アイルの中でピンとくる人物はいなかったが、依頼で関わった人なのかもしれない。
それなら会ったらわかるだろうと、彼は考えるのをやめた。
「こちらのことは何も気にしないで、君達には思いっきり羽を伸ばしてきて欲しい」
アイナは真面目な顔で力強く言った。
「君達が戻ってくる頃には元の町に戻っているさ。私が戻してみせる。だから、安心して行ってきなさい」
「アイナさん……ありがとうございます」
アイル達はアイナの心遣いに感謝し、頭を下げた。
こうして、アイル達は休暇という名目でプルプァの町から出ることになった。
今回の事件において、未だ残る謎はある。
彼らのことだから、その謎に関連して、また何らかの騒動に巻き込まれてしまうかもしれない。
しかしながら、今は――。
「ねえ、アイル。温泉郷って言うくらいだから色んな温泉がありそうよね」
「そうだね。観光地みたいだから、料理とかも美味しいものがいっぱいありそうだね」
彼らには、穏やかな休暇を過ごしてもらいたいものだ。
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