第37話 運命はこのようにして扉を叩く

 何故「暴食」がここにいるのか?

 理由は、マオがアイル達にただの蝿状態の「暴食」を連れていかせたからである。


「今の儂より役に立つじゃろう」


 と言ったマオの目に薄暗いものを感じたものの、アイル達は念のために「暴食」を連れていくことにした。

 ただの蝿と変わらないサイズの「暴食」はアイルの鎧の隙間に隠れ、もしもの時に元の姿に戻せるよう、アイル達は指輪を身につけていた。


「本当にそのもしもが起こるとは思ってなかったけどね」

「ふん。この程度であれば、貴様らだけでもどうにかできたであろうに」

「この場に私達だけならそうかもしれないけど、他の人達を守りながらは厳しいのよ」

「……お優しいことだ。自らの身より他者の身を気にするとは」

「褒め言葉として受け取っておくわ……それより、彼らを助けることはできそう?」

「無理だな。精神はまだのようだが、肉体は完全に融合している。奴らを救うというのであれば、倒すよりほかない」

「……そう」


 そうこう言っている間、蝿達は床にできた酸溜まりを飲み始めていた。

 瓦礫をも溶かす強力な酸であったが、「暴食」の眷属たる蝿達には関係ない。

 数え切れないほどの蝿達によって酸はあっという間に吸い尽くされ、後には溶かされて脆くなった床が残った。


「な、究極生命体の酸すら効かないのか!?」

「あの程度の酸であっても、眷属達には多少効果があるぞ。だが、例え口が溶けようとも、喉元を過ぎれば全て等しく『食物』だ。身体の内部から溶け出すということは無い」


 「暴食」はため息混じりに言った。


「そも、それが究極生命体であるなど、勘違いも甚だしい。この世で完璧で完全なる強さを持つのは、至高の存在である我が君だけ。我が君には、それが何億何兆と集まっても敵いはせんよ」

「……今はただのクソガキだけどね」

「小娘。それ以上我が君を侮辱するならば、貴様を生きたまま喰らうぞ」

「食われる前にアンタごと燃やし尽くしてあげるわ」

「もう、クロノさんも『暴食』さんも、喧嘩してる場合じゃないよ?」


 アイルに指摘されてパッシオを見ると、彼は顔を真っ赤にして震えていた。


「ちょっと攻撃を防いだぐらいで調子に乗るなよ……究極生命体が最強たる所以を見せてやる!」


 化け物のうち「妻」と呼ばれた方が、アイル達に向けて巨大な口を更に広げた。

 そして、彼らを吸い込もうと、大きく息を吸った。


「ぬ……」


 それはかなりの吸引力を持っており、瓦礫も「暴食」の眷属達も次々と吸い込まれていった。

 これには「暴食」もほんの少しだけ驚いた素振りを見せる。


「ハハッ! ただの蝿には手も足も出まい。吸い込む力はまだまだ強くなるぞ。今は耐えられても、最終的に君達は彼女の餌になる!」


 パッシオの言葉通り、蝿達の吸い込まれる速度が徐々に上がってきている。

 しかし、「暴食」もアイル達も慌てている様子はなかった。


「酷く粘り気のあるスライムウォーター


 クロノは杖から巨大な水の塊を放った。

 それは「妻」の口の中に吸い込まれると、その歯一本一本を絡めとるようにへばりついた。

 その後に吸い込まれた瓦礫や蝿達もその粘着質な液体に絡めとられ、「妻」の口の中を塞いでいく。


「グォォォ!」


 口の中に大量の瓦礫が詰まり、頭部が重くなった「妻」は激しい音を立てて地面に落ちた。


「吸引力が凄いなら詰まらせればいいだけよ」

「くそっ! だが、私にはまだ『息子』がいる。『息子』よ、奴らを喰い殺せ!」


 パッシオは「息子」の方を振り返る。

 だが、「息子」はピクリとも動かない。


「どうした! 早く奴らを……」


 ――ずるり。

 「息子」の頭部が、身体から離れて落下する。

 あれほど巨大だった身体は骨と皮しかないのではと思うくらい痩せ細り、落ちた頭もミイラのように干からびていた。


「うわ、キモ……」

「酷いこと言うなぁ、クロノさん。でも、僕もこんなふうになるとは思わなかったよ」


 パッシオの気付かぬ間に、「息子」のそばにアイルが立っていた。

 彼は右手に禍々しいデザインの大剣を持っていた。


「『吸血剣』はゲームだとHP奪うだけなのに、こっちの世界だと本当に血を吸うんだね」


 アイルの持つ大剣は「吸血剣ヴァラド」と言い、ゲームでは攻撃時通常ダメージの他に確率で敵のHPを奪って自らのHPを回復する効果を持った武器だった。

 しかし、この世界では彼の言う通り、本当に血を啜る剣となっていた。


「アイルがそんな物騒な武器振り回すとはね」

「まあ、これ本当は狂戦士バーサーカー専用武器だからゲームでだと滅多に使わなかったけど……確率ダメージ入れば強いから、一撃で倒せるかなって」


 アイルは化け物にさせられた彼らがこれ以上苦しまないよう、一撃で決めるつもりだった。

 パッシオは驚きと焦りからか、酷く汗をかいていた。


「ぐ……ま、まだだ……『妻』よ、早く起き上がれ! 私の邪魔をする者達を殺せ!」


 その言葉で「妻」は懸命に起き上がろうとするが、頭がわずかに宙に浮いたかと思うと、再び地面に落ちた。


「何をしている! 早く奴らを殺せ!」

「……結局、あなたは彼らを愛していなかったのね」

「なんだと……!」

「だってそうでしょう? 愛する人が苦しんでいるのに、手も貸さずに命じるだけなんて。そんなの、奴隷と変わらない扱いじゃない」

「違う! 私は本当に、妻も息子も愛していた!」

「愛していたなら、どうしてその声を聞いてあげなかったの? 今の状態になる前も、今も、あなたは彼らの声を何一つ聞いてないわ」


 クロノは憐憫の目をパッシオに向けた。


「……彼らはきっと、あなたを心の底から愛していたわ。それをあなたは踏みにじったのよ」

「そんな、ことは……」

「まだ言い訳するというならそれでもいい。でも、彼女は解放させてもらうわ」


 クロノは静かに杖を構え、「妻」へと向けた。


「癒しのイグニス・サーナーティオ


 洞窟内の化け物に使った技と同じものをクロノは放つ。

 白い炎が「妻」の長い体の全てを包み、燃え上がる。


「あ、ああ。究極生命体が……私の研究成果の全てが……」

「あなたの野望はここまでよ。潔く諦めて、お縄につきなさい」

「……いや、まだ手はある。使用人共に薬を飲ませれば……!」

「それは無駄だ。周囲をよく見ろ」


 「暴食」の言う通りにパッシオが辺りを見回すと、彼らの他に人影はなかった。


「人間ごときを助けるつもりなど毛頭なかったが、邪魔だったからな。眷属達を使って避難させた」

「あら、意外と気が利くのね」

「素直に感謝できんのか、小娘」


 クロノの態度にため息をつきつつ、「暴食」はパッシオに向けて言い放った。


「言っておくが、貴様の言う『薬』とやらも材料ごと回収させてもらったぞ。どうやら屋敷の地下で作っていたようだが、それが仇になったな」

「そ……そんな……」


 パッシオがガクリと項垂れる。

 彼の戦意は完全に消失していた。


「……何故ですか、女神よ……私は、貴女様の仰る通りに……」

「何言ってんのかよくわかんないけど、さっさとお縄につきなさい」

「パッシオさん、失礼します」


 ブツブツと呟くパッシオに、アイルが「捕縛バインド」を使おうとした時だった。


「……!? アイル、上!」

「え?」


 パッシオの頭上に、どこからか崩れ落ちた瓦礫が降ってきていた。

 茫然自失のパッシオは全く気づいていない。


「パッシオさん!」


 アイルはパッシオを助けるべく駆け出した。


氷槍アイシクルランス!」


 クロノは瓦礫を破壊しようと、魔法で氷の槍を放った。

 しかし、それは瓦礫に当たる直前で


「な!?」


 見えない何かに当たったというわけでも、別の魔法で打ち消されたわけでもなく、まるで最初から何も無かったように氷の槍は消えた。

 そして、アイルの身体にも異変が起こった。


「……!」


 あともう少し、手を伸ばせばパッシオに触れられそうな時、突如としてアイルの身体が動かなくなった。

 何の前触れもなく、手足の先まで全く動けなくなったのだ。

 それは一瞬の出来事で、アイルはすぐに動けるようになった。

 だが、それは致命的だった。


「だめ、間に合わない……!」


 無情にもアイル達の目の前で、瓦礫はパッシオを押し潰したのだった。

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