第35話 人の固定観念を覆すのは難しい

「何故そんなことを……」

「何故? 決まっているだろう。私が神に選ばれたからだ」


 パッシオは不気味な笑みを浮かべた。

 その目はアイル達を移しているのに、ここではないどこかを見ているように思えた。


「かつて、私はこの世に悲観していた。所詮は生まれ持っての才能が全てで、努力しようが報われない。凡人が苦労して乗り越えた壁を、非凡な者は容易く乗り越えてしまう」


 パッシオは舞台俳優のように、声高らかに語る。


「何の努力もせずとも褒めそやされる人間もいるのに、努力しても褒められるどころか叱られる人間もいる。こんな不平等な世の中に、若き頃の私は絶望感を味わっていたよ」


 突如として始まった話にアイル達は困惑していたが、パッシオは意に介さない。

 彼はアイル達に語っているというより、独り言を言っているようだった。


「私はそんな世の中をどうにかしようと、躍起になって人の限界を超える術がないか調べたよ。しかし、そんな都合のいいものは存在しなかった……そんな時だよ。私が閃いたのは」


 パッシオは、ニタリと笑った。

 ドロリとした闇を感じさせる笑みに、アイル達の背筋が凍る。


「何も人の限界を超えるのに人間である必要は無い、とね」

「……まさか、彼らをあんな姿にしたのは」

「私が彼らの制限を解除してあげたのさ。女神様からいただいた力を使ってね」

「女神……?」

「悩める私の夢の中に、創造神デーア様が現れたんだ。デーア様は私だけに『人を強化する薬』のレシピを教えてくださった」

「創造神ということは、この世界を作った神様でしょう? あなたが言ったこんな世の中にした張本人みたいなものじゃない」

「デーア様は私の考えに賛同してくださったんだ。今の世の中は私の言う通り不平等で、デーア様もそれは望んでいなかったのだと。申し訳なかったと言って私に頭を下げてくださったのには驚いたがね」


 クロノはパッシオの言葉を信じられなかった。

 本当に夢に創造神が現れたのなら、何故人を害するようなことをこの男にさせたのか?

 パッシオが見た夢はただの夢で、レシピというのも彼の妄想だったのかもしれない。

 だが、実際にその薬の効果は人が化け物になるという形で現れている。


「あの薬は本当に素晴らしい。まず、人間にしか効果がない。魔物が飲めば身体が崩れて遺体も残らず消滅するんだ。試しにゴブリン共の巣の前に薬を混ぜた食料を置いてみたら、数日後には全滅していて笑いが止まらなかったよ」

「……もしや、ゴブリンの古巣があんな状態だったのは、貴方がゴブリンを実験台にしたからですか?」

「そうだよ。だが、何も問題は無いだろう? 奴らは人間を脅かす魔物なんだから。むしろ、その件に関しては感謝して欲しいくらいだね。君達冒険者が命懸けで討伐しに行かなくても済んだんだから」

「貴方の元に相談に来た人達にはどうやって薬を飲ませたのですか?」

「健康に良い茶だと言って、飲み物に混ぜて飲ませたよ。すぐに効果は現れなかったが、期待通りの成果だった」

「あれが、期待通り……?」

「ああ、そうさ! 君達も見ただろう、あの人の限界を超えた姿を! 彼らのような弱者が、君達のように優れた者ですら苦戦する強さを手に入れられたのは私のおかげなんだよ!」


 クロノはパッシオを睨みつけた。

 その隣では、アイルが両手を強く握りしめている。


「ふざけないで。あれは人を襲ってたのよ」

「それは仕方の無い犠牲だよ。新たな時代の幕開けには、大なり小なり犠牲がつきものだろう?」

「仕方ない……? 被害者もその家族も、そして彼らを襲ってしまった本人達も苦しんでいるのに?」

「被害者家族には申し訳ないとは思うが、アントニオ君達が苦しんでいるのは何故か薬の効果が切れてしまったからだ。あの妙な蝿さえ現れなければ、彼らは最も優れた生物としてこの世に君臨していたというのに」

「最も優れているかなんてわからないでしょう」

「いやいや、ちゃんと証明済みだよ。現存する生物種の中で最強と謳われるドラゴンも、薬を使えば一人で仕留めることができる。最も、そうなるまでには薬の量の調節や、多少魔物との戦闘に慣れされる必要があるがね」

「……その実験も、相談に来た人達を実験台にしたのね?」

「実験台とは人聞きの悪い。彼らがより強くなるように、私が鍛えてあげただけさ」


 パッシオに悪びれる様子はなかった。

 彼は心の底から、本当に、自分がトーニョ達を強くしたとでも思っているのだろう。


「どうして自分には薬を使っていないの?」

「私には全人類に薬を広める役目がある。それが終わった時に私は飲むつもりだよ」

「……つまり、飲むと自我を失って広められなくなるから飲まないのね?」

「自我を失うんじゃない。自らの力に酔いしれて、広める所ではなくなってしまいそうだから飲まないのさ」

「そんな生物が、あなたは最強だと思うのね」

「何も力に酔うのは悪いこととは思わんがね。今まで弱かったからこそ最強の力に酔うのだ。そのことの何がいけない?」

「私は、力に酔いしれて他者を害する者が最強だとは思わない」


 クロノはパッシオに向かってそう言い放った。


「どんなに強い力を持っていても他者を卑下せず、むしろ他者を守るためにその力を振るうことのできる人が、この世で一番強いと思うわ」

「……ふん。綺麗事だな。そんなことができる人間などそうそういない。皆、自分が一番だと思えば、驕って他者を卑下するようになる」

「確かに、そういう人もいるでしょう。でも、本当に強い人はそんなことしない」


 眉間に深いシワを刻んでいるパッシオに臆することなく、クロノは告げた。


「あなたがやっていることは、ただの自己満足よ。あなたは既に、本当の強さを知らないまま、仮初の強さに酔いしれている」

「なんだと……あの素晴らしい力を持った彼らを、君は弱いとでもいうのかね?」

「弱いわよ。蝿に食われるような力が、強いわけないじゃない」


 そう言った瞬間、パッシオの顔が真っ赤に染まった。


「……君はどうやら、あれに一度勝って調子に乗っているようだが、君達が戦ったあれは他の個体よりも劣っていた。それに、町中で変化した彼らも、変化したてでまだ弱かったのだ。残る個体全てがあの程度の強さだとは思わない方がいい」


 パッシオが言い終わった直後、突然地面が揺れた。

 遠くから悲鳴が聞こえ、揺れは徐々に大きくなっていく。


「どうやら、君達を説得するのは難しいらしい。だが、それならば、力ずくで捻じ伏せればいいだけのこと」


 揺れと共に、何かが周囲の物を壊しながら近づいてくる。

 アイル達は咄嗟に武器を構えた。


「私は本当に果報者だよ。私が窮地に立たされた時、助けに来てくれるがいるんだから」


 パッシオの背にあった壁を突き破って、中に入ってきたのは。


「グォォォ……」

「キシャシャシャッ!」


 洞窟内で見たものよりも、トーニョ達が変化したものよりも巨大な、2体の真っ黒な化け物だった。

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