第30話 嫌な仮説ほどよく当たる
トーニョだった化け物は、蝿に向かって触手を振るう。
何匹かには当たったようだが、無数にいる蝿の一部を殺したところで意味は無い。
ほとんどの蝿は触手の攻撃を掻い潜り、化け物の胴体に向かって一直線に飛んでいく。
蝿は胴体に次々と貼り付き、化け物の黒い身体を別の黒色で埋め尽くす。
「アアアアッ!」
煩わしそうに、化け物は触手を振り回して蝿を追い払おうとする。
その乱暴に振り回される触手によって、地面だけでなく近くにあった屋台や建物まで破壊され始めた。
「ちょっと! 人がせっかく被害を少なくしようとしてるのに、もっと暴れさせないようにできないわけ!?」
「ふんっ! 文句を言うなら自分がやればよかろう」
「できないからアンタに頼んだんでしょうが!」
「ならば口出しするな! 触手の方は根元以外はクソ不味すぎて食えたものではないのだよ!」
「本音はそっちなんじゃないの!」
クロノが怒鳴っても、「暴食」は蝿達を次々と触手そっちのけで胴体へ向かわせる。
「暴食」は眷属と味覚を共有している。
見た目にそぐわず「暴食」はグルメなようで、かなり不味いものは口にしたくないらしい。
「そもそも、あんな得体の知れん力が美味いわけなかろうが! ただでさえ不味いのに、それ以上不味いものなんぞ喰ったら食べ切る前に吐き出してしまうかもしれんだろう!」
「そこは気合いでどうにかしなさいよ!」
「結局感情論ではないか! 私は触手を絶対に喰わぬぞ。第一、あれを食べようが食べまいが人間の方には何ら影響なく分離できる。それなのに、好き好んで食べようとすると思うか!」
そうこうしているうちにも、触手はビタンビタンッとのたうち回る。
蝿達に噛まれ、その一つ一つの傷口は小さいものの、膨大な数になれば致命的な傷になるのは当然だった。
「痛い、いたいっすよぉ……」
化け物は再びトーニョの声を出す。
それで攻撃の手が緩まることを期待したのだろう。
しかし、「暴食」がそれで動じるはずがない。
「……人間ではないのに人間のような声を出すとは。だが、その方がむしろやりやすい。貴様も所詮、人間の一種だと言っているようなものだからな」
蝿達はどんどん化け物の身体を喰らっていく。
のたうつ触手を抑え込んでいたアイル達は、触手の動きが鈍っていくのを感じていた。
「ギャアアアア!」
化け物が断末魔の悲鳴をあげる。
その瞬間、触手の動きが完全に止まった。
ボトッ、ボトッと触手が次々と地面に落下する。
最後の一本が落下すると、胴体部分は人一人分の大きさまで縮んでいた。
「どうやら食べ尽くしたようだな」
「暴食」はそう呟くと、蝿達を一斉に引っ込めた。
胴体を覆っていた蝿達が離れていくと、中から一人の男性が現れる。
「トーニョさん!」
アイルはその男性――トーニョに近づいた。
彼は丸裸で地面に横たわり、ピクリとも動かなかった。
咄嗟に脈を測ったが拍動を感じ、よく見れば彼の胸が上下していたため、アイルは安堵のため息をついた。
アイルはアイテムボックスから取り出したロングコートを彼にかけた。
「アイル……トーニョさんは?」
「うん、大丈夫だよ。脈はあるし、呼吸もしてる。今は眠ってるだけだと思う」
「そう……良かった」
クロノも胸を撫で下ろした。
「そんなことを言い合っている場合か?」
そんな彼らの後ろから、「暴食」の冷たい声がかけられる。
「まだ残っているだろう?」
アイル達はハッとして、もう一体の化け物の方を見た。
しかし、その姿は視認できない。
「私、ちょっと見てくる」
クロノは飛翔魔法「
近づくにつれて、人々の声が聞こえてくる。
「お、おい。蝿の中から人が出てきたぞ!」
「化け物はいなくなってるし、一体何が起こってるんだ?」
「まさか、あの蝿の群れが化け物を食っちまったんじゃ……」
「そんなまさか! どう見てもただの蝿だったぜ?」
先程とは別の意味の混乱が人々の間に広まっていた。
クロノがチラッと目撃したのは、「暴食」の眷属である蝿達が「暴食」の居場所がバレないよう四方に散っているところだった。
こっちの化け物も食い尽くしたのだろう。
人々は化け物がどうなったのかに夢中なようで、空を飛ぶクロノに気づく者はいない。
それをいいことに、クロノは蝿の中から出てきたという人物――恐らくトーニョと同様に化け物化していた人物だろう――を確認するべく、上空から覗き込んだ。
「彼女は……」
気を失った状態で地面に横たわるその女性は、クロノ達が久しく姿を見ていなかったビオラだった。
彼女も裸の状態で現れたのか、大きめの上着を被せられている。
「何故ビオラさんまで……」
その時、クロノの頭にある仮説が浮かんだ。
それは、孤児院で院長から話を聞いた時にも頭を掠めたもの。
しかし、その時は確証がなく、ましてあの人物がそんなことをするはずがないと、その考えを振り払った。
だが、この現状を見て、彼女はこの仮説が正しいのではないかと思い始めた。
「……とりあえず、今はトーニョさん達を病院へ連れていかないと」
眼下では、ビオラが担架のようなものに乗せられ、どこかへと運ばれようとしていた。
病院の崩れた入口の奥に入っていく人々の姿も見える。
後にこの国全域で語り継がれることとなる「プルプァの人喰い鬼」と「邪悪を喰らう聖蝿」の話の元になった事件は、意外にもこのようにして呆気なく終わったのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます