第29話 悪魔の手も借りたい

 病院の入口を破壊して出てきた化け物は、既に赤い血で濡れていた。

 遠目でもわかるほど巨大な身体は人間の倍以上あり、4本の足のようなものが生えている。

 そして、最も特徴的なのは、身体と同じくらい大きな目だ。

 瞳は赤く、白目が黒い身体から浮いて見えた。


「まさか、あっちにまで出るなんて……」

「最悪ね。あそこは逃げてきた人でごった返してるのに」


 病院の前には、通りを抜けて逃げてきた人々が多くいた。


「ヒィィ!」

「助けてくれ、殺される!」


 そんな声がアイル達の方まで聞こえてくる。

 化け物が動いている気配はないが、その場に居合わせた人々は半狂乱状態に陥っているようだった。


「……! アイル、前!」


 アイル達が向こうの騒ぎに気を取られている隙に、トーニョだった化け物の触手が急接近してきていた。

 アイルは剣を振るい、その触手を切り落とそうとする。

 しかし、アイルの身体に当たる前に触手を叩き落とすことはできたものの、斬ることはできなかった。


「アイル、大丈夫?」

「僕は平気。クロノさんは?」

「私も大丈夫よ。でも……」


 クロノはもう一体の化け物の方を見た。

 恐らく、近くにいた警備隊員か冒険者が戦っているのだろう。

 その化け物は、その巨体から出せるとは思えないほどの速さで攻撃を躱していた。


「あっちもやっぱりかなり厄介な奴みたいね」

「向こうで戦っている人達が勝ってくれればいいのだけど……」

「……難しいかもね」


 そんな会話をしている時でも、触手は容赦なく襲いかかってくる。

 クロノからのバフによって多少攻撃を防ぎやすくなったものの、防いでも防いでも次の触手が襲いかかり、なかなか本体に近づけずにいた。


「しつこい触手ね!」


 クロノも魔法で応戦するが、触手にはそれほどダメージを与えられていないらしい。

 魔法に当たった触手は一瞬動きが止まるものの、またアイル達に襲いかかってくる。

 少しずつ距離を詰めていけばどうにかなるかもしれないが、その前に体力切れや魔力切れを起こさないかと、彼らは心配だった。

 それに、こんな化け物がもう一体いる。

 ここで消耗してしまえば、向こうで戦っている人達が負けた時、対処できなくなる。


「一気に攻める手立てはないの……?」


 クロノがそう呟いた時。


「――アイル! クロノ!」


 幼い少年の可愛らしい声が、アイル達の耳に届いた。


「マオ!?」「マオくん!?」


 近くにあった屋台の陰から、マオが現れた。

 周囲にはもう人影はなく、小さなマオの姿がはっきりと見える。


「なんで、宿に逃げたはずじゃ……」

「そんなことはどうでも良い! 二人とも、を使うんじゃ!」


 その言葉に、アイル達はハッとする。


「そ、そうか、その手があったか!」

「待って。こんな所で元の姿に戻したら、またパニックが起こるわ!」

「『暴食』ならば問題ない! 奴は隠蔽スキル持ちじゃ! 汝らと同じくらい強い奴がいない限り、見られる心配はない!」


 マオは、真剣な眼差しをアイル達に向けている。

 いつもは見せない表情に、彼らは息を呑んだ。


「……信じるわよ、その言葉! アイル、いくよ!」

「OK、クロノさん!」


 嘘かもしれないという疑念は消えないが、今はそんなことを言ってられる状況ではなかった。

 既に「暴食」は召喚済みらしく、マオの周りを飛んでいる。

 森でやった時と同じように、二人はタイミングを合わせて指輪を発動させた。

 指輪から出た力が蝿に取り込まれ、本来の「暴食」の姿へ変わる。


「……お呼びですか、我が君」

「まずは隠蔽スキルを使ってくれ。人間に見られるのと困るからの」

「畏まりました」


 「暴食」が隠蔽スキルを発動させると、アイル達の目に「暴食」の身体が透けているように見えた。

 隠蔽スキルは、特定の対象に対して姿を見えなくするスキルである。ただし、一定レベル以上には身体が透けて見えるだけで、視認されてしまう。

 今は、人間を対象に姿を消しているようだ。

 アイル達は一定レベル以上のため視認できるが、大抵の人間は「暴食」の気配すら感知できないだろう。


「して、『暴食』よ。アレらを貴様の力で倒すことは可能か?」


 「暴食」の複眼がトーニョだった化け物を捉える。


「……あれは、森で見たよくわからない生物と同系統のものでは?」

「む。そうなのか?」

「はい。ですが、あれはどちらかというと人間に近いように思います。人間や魔物が持つ魔力とは異なる何か他の力が混じった人間、というのが正しいでしょうか」


 触手の攻撃を退けつつ会話を聞いていたクロノは、その言葉に思わず反応した。


「混じっているってことは、分離もできるのよね!?」

「げ! 貴様もおったのか、小娘!」

「そんなことより、さっきの質問に答えて!」

「貴様、誰に向かってそのような口を……」

「『暴食』よ。儂からも頼むぞ。彼奴の質問に答えてやってくれ」


 マオにまで頼まれ、「暴食」は渋々といった様子で話し始めた。


「……まあ、できなくはない。しかし、あの力は人間と混じり合い始めている。しっかりそれぞれを区別するだけでなく、早めに分離させんと成功しないだろうな」

「どうやって分離できるの?」

「それすら知らんで聞いてきたのか……簡単な話だ。人間のものではない力を

「喰らうって……」

「舌に触れた部分から別の味がすれば、それが人間の味だ。シンプルかつ手っ取り早い方法だろう?」

「そんなことできたら苦労しないわよ!」


 吐き捨てるようにクロノが言うと、「暴食」はフンッと鼻で笑った。


「ならば諦めろ。人間ごときでは同族を救うことすらできんと悔いるがいい」

「……『暴食』さんになら、できるのですよね?」


 アイルは化け物から目を逸らさずに聞いた。


「当たり前だ。私はいと尊き御方に仕える『暴食』の名を冠する者だぞ」

「それなら、お願いです。僕達に力を貸してください!」

「……なんだと?」


 「暴食」はその大きな複眼でアイルを睨みつけた。


「人間の尻拭いを私にしろと言うのか!」

「……その通りです」

「ふざけるな。何故私がそのようなことをせねばならん!」

「お願いします!」

「私からもお願いするわ」


 アイル達は触手の攻撃を抑えつつ、頭を下げた。


「……儂からもお願いしたい」

「なっ、我が君まで……よもや、人間どもにされたことをお忘れですか?」

「……あのことを忘れた日など一度もない。だが、あの化け物と化した人間達は無関係じゃ。それに、アイル達が戦っておる奴には多少の恩があるからの」

「……我が君がそう仰るのであれば」


 かなり嫌そうではあったが、マオにまでそう言われてしまった以上、「暴食」は断れなかった。


「人間ども、我が君の御心遣いに感謝するが良い。だが、これは貸しだ。いずれこの借りは返してもらうぞ」


 そう吐き捨てるように言うと、「暴食」は自らの眷属である蠅達を大量召喚する。

 そして、それらを一斉に二体の化け物へと突撃させたのであった。

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