第26話 禍福は糾える縄の如し

 調査の日からしばらく経ち、つい先日の被害者の遺留品および遺体を捜索する日程が組まれた。

 その間に、アイル達はを倒したということでランクが上がり、Dランクになっていた。

 彼らは今日、依頼が貼られている掲示板の前にいる。

 あの日以降、戦闘になるような依頼は受けていないし、冒険者業も数日休んでいた。

 しかし、冒険者を辞めたわけではなかった。


「次の捜索へはBランク以上じゃないと行けないのね」


 冒険者ギルドもその捜索に協力することにしたらしく、依頼として掲示板に貼られていたが、対応するランクはBランク以上となっていた。

 前回のことを踏まえれば当然の変更であろう。


「……クロノさんは参加したかったの?」


 アイルは意外そうに尋ねた。

 彼もショックは受けていたが、クロノの方がもっと酷い状態だったのを知っている。

 そんな彼女が、あの場所で行う捜索の依頼書を見ていたというのは予想外のことだったらしい。


「そういうわけではないのだけど……ちょっと気になることがあって」

「気になること?」


 クロノはチラリと受付を見た。

 受付にいたのはビオラではなく他のギルド職員だ。

 あの日以降、彼らはビオラの姿を見ていない。

 聞けば、体調を崩して長期の休みをもらっているらしい。


「……あのロケットペンダントのことなんだけど」

「ああ、ビオラさん達のお姉さんの物だっていう。それがどうかしたの?」

「本当に些細なことなんだけど……ちょっと妙だと思わない?」

「何が?」

「何で直前に死んだキースさんの物じゃなくて、そのペンダントだけが落ちていたのか」

「そりゃあ……何でだろうね?」

「ふざけてる場合じゃないのよ」

「僕としましては至って真面目に答えているつもりなのですが」

「ちょっとは自分で考えてみてよ」


 クロノがジトッと睨むと、アイルはうーんと唸り声を上げた。


「……たまたま消化されずに残ってたとか」

「それならキースさんの物も落ちてないとおかしいんじゃない?」

「いや、強力な酸ですぐに溶かされたのかも」

「だったら、ペンダントだって跡形もないでしょう」

「ええ、じゃあどうしてなの?」

「アイルに聞いてるのに、聞き返してこないでよ」


 アイルはお手上げといったふうに両手を上げた。

 クロノは小さくため息をつき、そして神妙な顔になる。


「……私は、あのよくわからない生物が身につけていたからじゃないかって思ってる」

「身につけていたって、あれには首なんてなかったじゃないか」

「……部分についていた、とか」


 クロノが小声で告げたことに、アイルは眉をひそめた。


「……クロノさんがそう思う理由は?」

「……勘よ。ただの、女の勘」

「嘘。絶対、そう思った理由がある」

「それこそ貴方の勘違いよ」

「クロノさん。君は何か隠し事をしてる時、自分の目線が決まって左下を向いているのに気づいてる?」


 思いがけない言葉に、クロノはハッとする。

 彼女は今まさに、目線を左下に向けていた。


「そういえば、あれと戦っている時も、君の言動はちょっと不自然だったよね」

「……不自然?」

「うん。君はどうしてあの魔法にしたの? MP消費量が同じで威力の高い火属性魔法が他にもあったよね?」

「それは、何となく……」

「それに、君は恐らく『鑑定アプレイズ』をしたはずだ。それなのに、どうしてあれの弱点を火なんて言ったの?」


 「鑑定」に成功していたら、「弱点は火だ」とはっきり言い切っていたはずだ。

 それなのに、クロノは「かもしれない」と、それが憶測に過ぎないことを自ら告げている。


「別に、隠し事をしないでなんて言わない。言いたくないことは言わなくてもいい。でも、そんな顔で抱え込まれるくらいなら、無理やりにでも聞き出すよ。例え君に嫌われることになってもね」


 兜越しに見えるアイルの瞳は、ただ真っ直ぐクロノだけを見つめていた。

 その黒い双眸に見つめられた彼女は、しばらく視線をさまよわせた。

 けれど、意を決して、その重い口を開く。


「……あの時、確かに『鑑定アプレイズ』をしたわ。鑑定結果もちゃんと出た」

「出たのに何であんな言い方になったの?」

「……結果にはね、こう書かれていたの。《助けて》って」


 酷く小さな声だったが、すぐそばにいたアイルにはしっかり届いていた。


「その三文字以外には何も書かれてなかったの?」

「ええ。何度やっても結果は同じだったわ」

「……ああ、だから、クロノさんはそう思ったんだね。あれが、かもしれないって」


 クロノが頷いた。

 その顔は暗く沈んでおり、何かに苛まれているようにも見える。


「……ねえ、アイル」

「うん?」

「もし、あの化け物が人間だったとしたら……あれを殺したのは間違いだったんじゃないかな」


 クロノの脳裏にあの日の光景がフラッシュバックする。

 あのおぞましい生物は人を食らった。

 だが、「鑑定」では助けを求めていた。

 もし、あの生物が人間だったとしたら。

 自分の意思に反して人を襲い、食らうことに苦悩し、元の姿に戻りたいと切望する心からの叫びが、あの《助けて》だったのではなかろうか。


「あの化け物に人の心が残っていたのだとしたら……私がしたことは、人殺しなんじゃないかな」


 例えいかなる姿であろうとも、人の心を持つ限り、それは「人間」であるとクロノは思う。

 そう思ってしまうからこそ、彼女はアイルに言えずにいた。

 あの時自分達がとった行動は間違いだったと、自分達は殺人を犯したのだと、そんなことが言えるはずもなかった。

 しかし、今、彼女は勇気を振り絞り、震える声でアイルにそのことを告げた。


「……あの時は仕方なかった、とは思わないんだね」

「それは言い訳でしかないもの。それに、どうにかできたかもしれないって考え出すと、そんなこと思えないわ」

「そっか……」


 アイルは、震えるクロノの手を取った。

 篭手で覆われている彼の手から、伝わるはずのない温度が伝わってくる。


「でも、クロノさんは癒しの炎であれを倒したよね。それは、少しでも苦しまないように倒そうとしたからじゃないの?」

「……うん」

「やっぱり、クロノさんは優しいよ。あんな状況下だったのに、敵の心配をするなんて。僕なんか、君を守るだけで精一杯だったよ」


 甘くとろけるようなアイルの声が、クロノの耳をくすぐる。

 彼が心からの言葉を言っているとわかっているからこそ、彼女も心からの言葉を送りたかった。


「……そうやって、あなたが守ってくれたから、私はそうすることができたのよ」


 頬を朱色に染めて、目線を下に向けながらもクロノはそう伝えた。

 普段は滅多に口にしない、彼への感謝と信頼を。


「……ありがとう、クロノさん。やっぱり君は、僕には勿体ないくらい素敵な女性だよ」


 アイルの手がクロノの頬に触れる。

 優しく撫でるような手つきに、クロノは熱の篭った瞳を彼に向けた。

 二人の顔が近くなり、アイルが顔を見せようと、フェイスガードに手をかけた時。


「……公衆の面前で何を乳繰りあっておるのじゃ」


 足元から声が聞こえ、アイル達は思わず互いの顔を遠ざけた。


「ま、マオ!? 何でここにいるのよ? アンタが寝ている隙を狙って出てきたのに」

「汝らのことを『暴食』に探させたのじゃ。姿こそただの蝿じゃが、ちゃんと意思疎通はできるでな」

「それでここにいるのがわかったんだね」

「ま、概ね検討はついておったから、すぐにここに来ることができたのじゃが……汝らがここまでのバカップルじゃとは思わんかったぞ」


 そう言って、マオが後ろを向く。

 アイル達もつられてそちらを見ると、大勢の冒険者やギルド職員がニヤニヤしながら二人を見ていた。


「こんな掲示板の前などという目立つ場所で乳繰りあっとったらこうなるに決まっておるだろうに」

「あ、うう……」


 クロノは元々赤かった顔を更に真っ赤にして、プルプルと震えていた。


「ご、ごめん、クロノさん……」

「――ゴメンじゃないわよ! アイルのバカァ!!」

「ご、ごめんなさ……ごふぅ!?」


 クロノがアイテムボックスから取り出した鋼鉄製のメイスが、アイルの鳩尾に直撃する。

 なお、物理防御力の高いアイルだからこそ呻き声を発する程度で済んでいるが、他の人物であれば着ている鎧ごと粉々になっていたであろう。

 そんな物騒な行動ではあったが、それすら仲睦まじいカップルの微笑ましい行為として、周囲の人々は暖かい目で見守っていた。

 若干一名マオを除いて。


「アイルだけが悪いわけではないじゃろうに……」

「うるさい。アンタも殴られたいの?」

「うむ、全面的にアイルが悪いな!」


 クロノに睨まれ、縮こまるマオ。

 そんなこんなで、この日は穏やかに過ぎていった。

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