第23話 かくして絶望の幕は開く
いや、それはよく見ると、飲み込まれているというより食べられていた。
真っ黒な何かには人間のような白い歯が生えていた。
それがキースの身につけていた軽鎧を噛み砕こうとして、「ゴリッ」という音を立てている。
ゴリゴリ。ゴリゴリッ。
音と共に何かの歯は徐々にキースの身体へ食い込んでいく。
キースは宙に浮いた自らの足をばたつかせ、何かから必死に逃れようとしていた。
だが、それに手を貸す者はいない。
否、手を貸さないのではなく、手を貸すだけの余裕がある者がいなかった。
アイル達だけでなく、ボーダン達でさえ、言葉を失い、立ち竦んでいた。
――ゴリッ……。
何かの動きが一瞬止まる。
この時、誰かがキースの足を引っ張っていれば、もしかすると抜け出せていたかもしれない。
しかし、皆がそれに気づいた時には、もう遅かった。
何かは痺れを切らしたのか、その歯に力を込めて、思いっきりキースの身体へ突き立てた。
――バキッ! ……ぐちゅり。
キースの下半身だけが、ぼとりと落ちる。
ボリボリ。クチュクチュ。
何かの咀嚼音が洞窟内に木霊する。
じっくり味わうように。
ゆっくり、ゆっくりと、何かはキースだったものを噛み砕いていく。
――ゴクンッ。
名残惜しそうに、何かの巨大な舌が歯に付いた赤い液体を舐め取った。
「……いや、いやぁぁぁぁぁ!! キースっ、きーすぅ!」
「ま、待て、リーバ!」
リーバが絶叫しながらキースだったものへと駆け寄っていく。
彼女は腰から下しかないキースに回復魔法をかけた。
大粒の涙を流し、叫ぶように呪文を唱え、何度も何度もかけ続けた。
もちろん、その傷が回復するわけがない。
彼女のやっている行為は無意味で、ただ徒に魔力を消費しているだけ。
彼女自身、そんなことはわかっている。
わかっているが、その行為を止められなかった。
そんな彼女に、何かはゆっくりと近づいた。
「リーバ!」
咄嗟にエルデが矢をつがえ、何かに向かって射った。
しかし、矢は何かの歯に当たり、「カツン」という音を立てて虚しく地面へ落下する。
「落ち着け、エルデ! アイツの足を狙うんだ!」
「わ、わかった!」
明かりに照らされた何かは、通路を塞いでしまうほどの巨体であった。
左右4本ずつ人間の手のような足が生えており、それがその巨体を支えていた。
顔と思しき部分は巨大な歯が並ぶ口があるだけで、目や鼻といった他の器官は見当たらない。
エルデはボーダンに言われた通りに、今度は足を狙った。
彼女の矢は寸分の狂いもなく、何かの足に当たる。
だが……。
「うそっ……!」
人間の腕と同じく、柔らかい肉がついていそうな足であったが、矢は刺さらずに弾かれてしまった。
その間にも、何かはリーバへと近づいていく。
すぐに飛びかからないのは、素早い動きができないからなのか、獲物を弄んでいるからなのか。
どちらにしろ、リーバは何かが近づいているのに気づいていない。
このままでは、キースのように食べられてしまうのは明らかだった。
「おい、アイル! 俺がアイツの気を逸らすから、リーバをアイツから離してくれ!」
「……っ! は、はいっ!」
今の今まで放心状態のアイルであったが、その言葉で現実へと引き戻される。
ボーダンは斧を構え、何かへと突進していく。
「うぉぉぉ!」
彼の斧が何かの足へと振り下ろされる。
その隙に、アイルはリーバをキースの遺体から引き離した。
彼女は酷い錯乱状態で、アイルは落ち着かせるために「
――ガキィン!
「ちぃ! なんつー硬さだ!」
「お父さん、後ろ!」
何かは標的をリーバからボーダンへと移したようだ。
ボーダンの背後から、何かの口が迫っていた。
顔と思しき部分だけをグリンと動かし、足元にいるボーダンに喰らいつこうとしていた。
ボーダンはすぐさま振り返り、斧で応戦しようとする。
が、その腕を何かの舌が絡めとった。
「ぐっ……離しやがれ!」
ボーダンが暴れるが、何かはビクともしない。
むしろ、その舌の巻き付く力が強まっていく。
「離しなさいよ、バケモノぉ!」
エルデが矢を連射するが、何かの身体に当たった瞬間、全て弾かれてしまう。
ゴトリ、と重いものが落ちる音がした。
ボーダンが手に持っていた斧を落としたのだ。
「ぐっ……あああ!」
ボーダンの腕から、ボキボキッと音がし始める。
それでも何かは締め付けるのを止めず、徐々に徐々に締めつけを強くしていた。
まるで、オモチャで遊ぶ子供のように。
何かは大きな口の口角を上げながら、彼を痛めつけていた。
「クロノさん! リーバさんをお願い!」
アイルは未だ正気を取り戻せていないクロノに声をかけた。
彼女はハッとして、アイルを見る。
「え……アイルは、どうするの?」
「どうするって、ボーダンさんを助けないと!」
「ダ、ダメよ!」
クロノは震える手でアイルの腕を掴む。
顔面蒼白の彼女は、歯をガチガチと鳴らしていた。
「あ、あんなの、勝てるわけない。逃げましょう? 逃げて、安全なところに行きましょう?」
「でも、そしたらボーダンさん達は……」
「それでも、アイルが死ぬよりマシよ!」
……クロノの反応はもっともだろう。
目の前で人が化け物に殺されて、平和な日本で暮らしていた彼女が怯えないわけがない。
どちらかといえば、アイルの方がおかしいのだ。
呆然としていたとはいえ、すぐに正気に戻り、誰かを助けるために化け物に近づけた彼は頭のネジが外れていると言っていい。
もっとも、それも恐怖によるものかもしれないが。
「ねえ、逃げましょ? お願いだから……」
「……クロノさん。君はそれで後悔しない?」
アイルはクロノの目を見て言った。
その真剣な瞳と至極冷静な言葉に、彼女は「あ……」と声を漏らす。
「君は優しいから、必ず後悔する。例えボーダンさん達が助かっても、彼らを置いて逃げたことを悔いることになる」
「で、でも!」
「僕はクロノさんの笑顔を守りたい。これから先、君の表情が曇ることがあったら、僕は一生後悔する。君にそんな思いをさせてしまったことに、僕は僕自身を責め続けるよ」
それでもなお不安そうに泣きじゃくるクロノに、アイルは飛びっきりの笑顔を見せた。
「大丈夫! 僕は死なないよ。死んだりなんか絶対にしない」
そして、彼女の耳元でこう囁いた。
「……君がいる限りね」
アイルは眠っているリーバを地面へ下ろし、クロノに背を向けた。
「リーバさんのこと、よろしくね」
「アイル……」
「頼りにしてるよ、クロノさん」
そう言って、彼は剣を握り、何かへと向かっていった。
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