第16話 それがその時の最善手だったとして、のちに後悔しないとは限らない
しばらくの間ギモーヴを美味しくいただいていた彼らだが、不意に「暴食」が喋り出した。
「……して、我が君。私はこれから何をすれば宜しいのでしょうか?」
もにゅもにゅとギモーヴを食べていたマオが、アイル達の方をチラリと見た。
「……何かさせたいことはあるか?」
「逆にアンタは無いの? 私達のこと倒させるのでも良いんじゃない?」
「お主はまたそんなことを言いよって……。そんなことはせんよ、アイルと約束したしのう」
「あら、意外と律儀なのね」
「いちいち一言余計じゃぞ!」
「でも、僕達もさせたいことはないよ? そもそも本当に元に戻るとは思ってなかったから」
「じゃ、ただの蝿に戻しちゃいましょうか」
「ま、待て、人間。その指輪を使おうとするな」
あからさまに狼狽える「暴食」に、クロノがニヤリと笑う。
「ふぅん。この指輪でまた力を封じられるのね。良いこと聞いたわ」
「な! 貴様、謀ったな!」
「今ので確定ね。教えてくれてありがとう」
勝ち誇った笑みを浮かべるクロノと、してやられたと頭を抱える「暴食」。
それを見ていたマオが呆れたようにため息をつく。
「逞しい
「酷い言い方だね、マオ君。それに、クロノさんはああいう所が魅力的なんだよ?」
「アイルの溺愛っぷりも凄まじいのう……」
何とか力を封じられまいと「暴食」は頭を捻っていた。
そして、ハッと顔を上げる。
「そ、それなら、向こうにいるよくわからん生物を調べて来てやろう。もしかすると貴様らにとって敵になる存在やもしれんからな」
「……偉そうなのはこの際置いておきましょう。『よくわからん生物』って何よ?」
「いや、私にもよくわからないのだ。ただ、魔物にしても人間にしても魔力が変というか……」
「曖昧すぎる。アイル、コイツの力を封印するわよ」
「待て待て待て、話は最後まで聞け! 情報が曖昧だから私が調べて来てやろうと言っているのだ!」
「そもそもいるかどうかわからないその生物に時間を割く必要性を感じないのだけど」
「いるかどうかは貴様らが索敵すればわかるはずだ! そこまで近くないが遠くもない場所にいるようだからな!」
そう言われ、クロノは渋々「
すると、確かにここからそう遠くない位置に生物がいるのがわかった。
しかし、その魔法では生物がいるかどうかと、その生物が敵対しているかどうかを判別する事しかできない。
故に、「暴食」が言うような変な所はわからないのだ。
ちなみに彼女が確認できた生物は敵対しておらず、今のところ彼女達に危険は迫っていないということになる。
「別に敵対してないし、やっぱり調べる必要性を感じないわ」
「いや、これから遭遇するかもしれんだろう。そうなった時の対処法をだな……」
「むしろ、アンタが調べたせいで敵対する可能性はないの?」
「それは……ないとは言い切れんが」
「じゃ、ダメね」
「な、何故だ!?」
「その生物のことを知るメリットより、アンタのせいで敵対する方が面倒臭いのよ。という訳で、アンタは元の蝿の姿に戻りなさい」
「元のって、私は本来こちらが――ぬわぁぁぁ!?」
主張も虚しく、クロノの指輪が光り出したと思うと、「暴食」の身体は縮んでいった。
そして、「暴食」は再びただの蝿になってしまった。
「あ、封じる時は片方だけでも良いのね」
「容赦ないなぁ、クロノさん。でもさ、本当にその生物について調べなくて良かったの?」
「藪をつついて蛇を出すなんてしたくないの。生物の居場所はわかってるから、刺激しないように帰りましょう。ま、『
「ううっ、済まぬ、『暴食』よ。いつか必ず元の姿に戻してやるからの……!」
泣きながらも決意を新たに、マオは「暴食」を闇の中へと戻した。
こうして指輪の効果を試す実験は終了した。
◇◇◇
一旦宿に帰り、遅めの朝食を取った後、彼らは市場にやって来ていた。
「今日は冒険者業はお休み! 市場で情報収集するわよ!」
「あっちの屋台から美味そうな匂いがするぞ」
「本当だ。行ってみよう!」
「食べ物の匂いに釣られるな! てか、さっき朝食食べたばかりでしょ!」
ふらっと何処かに行きそうな2人の首根っこを掴み、クロノは手近な屋台にいた男性に話を聞き始めた。
その屋台では野菜や果物が売られており、ほとんどが日本でも見たことがあるものばかりで、名前も同じであった。
パッと見てそれを確認したクロノは頭の片隅にその情報を留める。
「すみません」
「いらっしゃい! おや、見ない顔だ。最近この町に来たのかい?」
「はい。それで色々お伺いしたくて」
「ああ、良いよ。何が聞きたい?」
「そうですね……」
その時、遠くの方で大勢の人が歓声を上げた。
「今のは……?」
「お! お嬢ちゃん達は運が良いな」
声の方を見ると、かなり遠い場所に1台の馬車が止まっていた。
かと思いきや、馬車は屋台が並ぶ大通りをゆっくりと進み始めた。
人々はその馬車のために道を譲りながらも、中にいる人物に向かって手を振っているようだった。
「あの馬車は一体?」
「ありゃあ、この辺りを治めてる領主様の馬車だよ。偶に市場の視察にいらっしゃるんだけど、今日がその日だったらしいな」
「それで、さっきの運が良いとは?」
「そりゃ、あの領主様にお会いできるだなんて光栄じゃないか」
クロノがよくわからないという顔をすると、男性が苦笑する。
「この町に来たばかりじゃ知らないのも当然か。ここの領主であられるパッシオ・フロラ様は、この町を発展させて豊かにして下さった素晴らしい御人なんだ」
「ああ、確か十数年前に領主が変わってから福祉に力を入れ始めて、町中に浮浪者や孤児が少なくなったとか」
「そうそう! ここは貿易の中心みたいな場所だから、色んな人が集まるんだよ。事業を立ち上げるために来る若者や、田舎から出稼ぎに来た人達までな。でも、上手くいかなくて路頭に迷う人も多かったんだ」
屋台の男性は段々と近づいてくる馬車の方へと視線を向けた。
馬車は度々歩みを止め、その度に市場の人々に囲まれていた。
「昔はそんな人達が多くてちょっと路地裏に入れば浮浪者がわんさかいたし、この市場にも食べ物を恵んでもらいにやって来る人達がいたよ。だけど、今はそんな人は一人もいない。パッシオ様がその人達に合った職を探して紹介したり、孤児院に寄付して孤児の受け入れを強化したり、その子達の里親探しや就職の手伝いまでして下さったおかげでね」
そう語る男性の顔はどこか誇らしい。
本当に領主を尊敬し、そんな領主がこの町を治めていることを誇りに思っているのだろう。
そして、それは他の住民も同じらしく、馬車が近づいてくると周囲の人々が皆一様に笑顔になっていく。
「へぇ、本当に凄い人なのね」
「それだけじゃないさ。パッシオ様は市井にいらっしゃっては俺達みたいな庶民に話しかけて下さるんだ。それもまるで友人に接するかのように親しげにな。そんな人格者がここを治めてるんだから、誇りに思わないわけないだろう?」
男性の言葉に、アイルは「そうですね」と素直に頷いた。
だが、クロノは違った。
疑り深い彼女は、その人の良いところばかりを聞くとどうしても何か裏があるのではと疑ってしまうのだ。
しかし、それを口に出すほど気遣いができない人間でもないため、彼女は何も言わず曖昧な微笑みを浮かべた。
「そうだ、せっかくだからパッシオ様に御挨拶したらどうだい?」
「え?」
「なに、心配はいらないさ。お優しい方だし、むしろ最近この町に来たと言えば喜んで下さると思うよ」
屋台の男性に背中を押され、アイル達は馬車へと近づいた。
近づいてみると、馬車は華美な装飾のないシンプルな作りながらも、気品のあるデザインをしていた。
そんな馬車の窓から、1人の壮年男性が周囲の人々へ向けて手を振っていた。
その光景を見たクロノが「来日したハリウッドスターかな?」などと思っていると、屋台の男性が大声を上げた。
「領主様! この子達、最近町に来たらしくて、御挨拶したいそうです!」
実際には無理やり連れてこられたのだが、男性にとってはどうでも良いことなのだろう。
ただ、その発言のせいで、周囲の目がアイル達に向けられることになった。
そして、馬車の中の人物にも聞こえていたらしく、馬車を止めさせて中から降りてきた。
「やあ。君達が最近町に来たという子かい?」
見た目通りのダンディーな声で、壮年男性は気さくに話しかけてきた。
一瞬面食らったクロノであったが、すぐさま頭を下げる。
「お初にお目にかかります。私はクロノと申します」
「アイルと申します。この子はマオと言います」
アイルも頭を下げ、自分と腕の中にいるマオを紹介する。
「ハハ、そう畏まらなくても良いよ。私のことは近所のおじさん程度に思ってくれ」
「それはちょっと……」
「皆にも同じことを言っているんだ。あんまり畏まられると距離を感じてしまって寂しいからね」
そう言って笑う壮年男性――パッシオは、確かに親しみやすい人柄であるらしい。
身に付けている物や所作は貴族的であるが、言葉遣いなどは本当に近所の親しいおじさんと話しているかのようである。
「まだ来たばかりなのかもしれないけれど。どうだい、この町は?」
「えっと……皆さん優しくて、素晴らしい町だと思います」
「ちょっと意地悪な質問だったね。でも、気に入ってもらえて嬉しいよ。今日はまだ予定があるからこれで失礼させてもらうけど、何かあれば屋敷の方まで来てくれ。私ができることであれば何でも協力させてもらうよ」
パッシオが馬車の中へ戻ると、馬車が再び動き出す。
短いながらも貴族との会話を乗り切ったことにクロノが安堵のため息をついていると、屋台の男性が興奮したように言った。
「いやぁ、流石パッシオ様だ。お忙しいのにお優しい言葉をかけて下さるなんて。奥様の体調がよろしくないと聞いた時は随分と悲しんでいらっしゃるのではと思ったけど、それを隠して我々のために尽くして下さっているのは本当に有難いことだ」
「……領主様の奥様はご病気なのですか?」
「ああ、いや。以前は御家族で市井にいらっしゃってたのに最近はお一人だから、奥様が体調不良なんじゃないかって噂が流れててね。でも、御子息が来年王都にある貴族の学校に入るとかでお忙しいらしいと聞いたから、もしかするとそれ関連で奥様もお忙しくしているだけかもしれないのだけど」
男性が根も葉もない噂で一喜一憂しているように、この町では他にも噂に踊らされている人がいるのだろう。
その後も男性から領主様がいかに素晴らしいかを聞かされ、そのスターばりの人気にアイル達はただ圧倒されたのだった。
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