第13話 美味しそうな香りがすれば、誰だって目が覚めるよ。多分

 クロノ達は昼食をご馳走になった後、今度は子供達と追いかけっこに興じた。

 追いかけっこが終わればまた次の遊びに参加させられ、クロノはもちろん、マオも休み暇なく彼らの遊び相手になった。

 ようやく一息つけたのは、昼寝の時間になり、子供達が眠りについた時だった。


「今日は本当にありがとうございます」


 最初に出迎えてくれた女性――彼女がこの孤児院の院長であるらしい――が、クロノに頭を下げる。


「いえ、子供達が喜んでくれて良かったわ」

「クロノさん達のおかげで子供達はたくさん遊べたからか、いつもより眠るのが早い気がするわ」

「そういえば、マオもいつの間にか眠ってるし」


 彼女達のそばでは、子供達がスヤスヤと寝息を立てている。

 その子供達を避けるように、そこから少し離れたところでマオは眠っていた。


「冒険者さんと遊べる機会なんてそうそうないから、この子達もはしゃいでしまったのね」

「あら? でも、ギルドにはたまに孤児院からの依頼があると聞いたけど」

「本当にたまになのよ。以前は今よりもっと子供達が多かったから、人手が足りなくて。でも今は子供も少ないし、普段は私ともう1人の女性だけで充分だから、ほとんど依頼をしてないの」

「そうだったの。じゃあ、今回は何故?」


 院長はチラリと子供達を見た。

 誰も起きる気配がないことを確認すると、彼女はより一層声を潜めてこう言った。


「……実は、そのもう1人の女性が行方不明なの」

「えっ?」

「彼女は本業の合間を縫って手伝ってくれていたのだけど、ここ最近来てくれなくなって。何の連絡もなかったから心配して住んでいる場所に行ったのだけど……」

「いなかったんですね」


 院長は悲しそうに頷いた。


「警備隊の人には連絡したわ。でも、まだ見つかっていないの。一先ず代わりの人を雇うまでの間、冒険者の方にお手伝いをお願いしようと思って今回依頼をしたのよ」


 想像以上の重い話に、クロノは口を噤む。

 何も言ってこないクロノを気遣って、院長は努めて明るく振舞った。


「ごめんなさい、こんなことを話してしまって」

「……いいえ、聞いたのはこちらですから。その方が早く見つかることを祈ってます」

「ありがとう。また依頼を出すかもしれないから、その時はよろしくお願いしますね」


 その後、院長に今日は帰ってもらって大丈夫だと言われたため、未だに眠るマオをおぶり、クロノは孤児院を出る。

 いつの間にか西の空は茜色に染まりつつあり、屋台から漂う食べ物の匂いが彼女の鼻腔をくすぐった。

 不意に、背中で眠っていたマオがモゾッと動いた。


「うーん……美味そうな匂いじゃのう……」

「食べ物の匂いで起きるとか、食い意地張りすぎでしょ」


 何かしらの反応が返ってくると思っていたクロノであったが、予想に反してマオからの返しはない。

 不思議に思い、「マオ?」と呼べば、消え入りそうな声でこう聞いてきた。


「……クロノ。そなたは楽しかったか?」

「孤児院でのこと? まあ、疲れたけれど楽しかったわよ」

「そうか……」


 なんとも歯切れの悪い返答に、クロノは眉をひそめた。


「アンタは楽しくなかったの?」


 そう訊ねると、マオは黙り込んだ。


「楽しくなかったのなら勝手に帰って良かったのよ?」

「……そういうわけではない。楽しくなかったわけではないのだ。むしろ、それなりに楽しんでいた」

「じゃあ、なんでそんなにテンションだだ下がりになってるのよ。普通、楽しかったのなら上機嫌になるもんじゃないの?」


 マオが、クロノの服をギュッと握った。

 その手の震えが、服を通して彼女に伝わる。


「……儂を、あの孤児院に預けるでないぞ。例え、一時預かりとやらでもな」

「なんでよ?」

「理由なんぞ知る必要は無い」


 マオが怯えを隠すように強気に振る舞っていると感じたクロノは、小さくため息をついた。


「あっそ。わかりましたよ。何が怖いのか知らないけど、預けたりなんてしないわ」

「な、儂は怖いなど一言も!」

「アンタが理由を言わないから私が勝手にそう解釈したの」


 マオが怖がっているのは態度でわかる。

 正体がバレるかもしれないからかもしれないが、それだけではないような気がした。

 しかし、それ以外の理由を推察できるほど、クロノはマオについて知らない。

 故に、彼女はそれ以上追及しなかった。


「相変わらず口の減らぬ女じゃのう。じゃが、儂は優しいからな。そこの屋台で何か貢げば許してやらんでもない」

「はいはい。依頼達成をギルドに報告してからね」


 こうして、クロノ達の任務は終了した。


◇◇◇


 その頃、アイルはというと。


「はぁ、はぁ……全力疾走でずっと走ってたら流石にきついな」

「グルゥ……」


 だだっ広い庭の芝生で、ノワールと共に寝転がっていた。


「お疲れ様です、アイルファーさん」


 そんな彼らにカーラが近づいた。


「あんなに満足気なノワールちゃんは初めて見ました。アイルファーさんのおかげです」

「そんな、僕はただ逃げ回ってただけですよ」

「ノワールちゃんが全力を出しているなんて初めてなんです。いつもは私達に気を使って力を抑えてますから」


 すると、ノワールが起き上がり、未だ寝転がるアイルの顔(カボチャ頭)を舐め始めた。


「あ、ちょっと! このカボチャは美味しくないですよ!」

「ふふっ! ノワールちゃんはありがとうって言ってるんですよ」


 疲れて抵抗もできず、アイルは唾液まみれになるまで舐められ続けた。


「ノワールちゃんもアイルファーさんのことが気に入ったみたいですね。この依頼をアイルファーさんに受けていただけて、本当に良かったです」


 カーラが嬉しそうに言うと、それを肯定するようにノワールも「ガウッ!」と鳴いた。


「そう言っていただけるとこちらとしても嬉しいです」

「アイルファーさんもお疲れのようですし、お帰りになる前にお茶していきませんか? 旦那様の計らいで少しだけですがお茶とお菓子が置いてあるんです」

「良いのですか?」

「もちろんです!」

「あ、でも、ノワールちゃんは?」


 いくら大きなお屋敷とはいえ、ノワールの身体では出入口を通れない。

 もしかして、庭で放し飼いにしているのだろうか?


「ノワールちゃんも一緒に中に入りましょうか」


 そう言うと、カーラはオーバーオールのポケットから指輪を取り出した。

 桃色に輝く小さな宝石のついたそれを指にはめ、ノワールに向けてかざす。

 すると、ノワールの身体が徐々に縮んで一般的な家猫と同じくらいのサイズとなり、牙も短くなって最早ただの猫のようになってしまった。


「えぇ!?」


 驚きのあまり、アイルはカーラとノワールを交互に見る。


「驚かせてしまってすみません。普段はこの魔道具を使ってノワールちゃんの力を抑えているんです」


 カーラは小さくなったノワールを抱きかかえ、その身体を優しく撫でた。

 喉を鳴らして気持ち良さそうにしているノワールは、本当にただの猫にしか見えない。


「ノワールちゃんの力をこの指輪の中に封じ込めて、所持者の意思でその力を解放したり、また封じ込めたりできるようになっています」

「……あの。その姿で遊ばせるのはダメだったのでしょうか?」


 「ノワールが猫サイズだったら全力疾走で逃げる必要はなかったのでは……」と、アイルが思うのもしょうがない。

 カーラもそれを感じ取ったのか、苦笑いを浮かべた。


「そうすると意味がないんです。なるべく本来の力を出させてあげないと、ストレスが溜まって力を抑えられなくなるんです」

「なるほど……じゃあ、僕が頑張ったのは無駄ではないのですね」

「そうですよ。このままだとノワールちゃんが暴れ出しかねないところだったので、本当に助かりました」


 そして、アイルは屋敷で優雅なティータイムを堪能した。

 お土産としてお菓子を少し分けてもらい、カーラから再度感謝されながら、アイルの依頼は完了した。

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