バレンタイン特別編(下)
家に帰ってからしばらくして、彼から着信があった。
少し落ち着きを取り戻していた私は、恐る恐る電話に出る。
「……もしもし」
「あっ、と、時子さん。えっと、先程はチョコレートありがとうございます」
開口一番、そう言われて私は安堵する。
告白の返事もせず、あんな渡し方をして帰ってしまったので、多少なりとも何か言われるかと思っていた。
「それで、その……メッセージカードの内容についてなのですが……」
非常に言いにくいことなのか、彼の言葉が止まる。
「あれは僕が思っている意味で合っているのでしょうか?」
随分と回りくどい言い方だ。
「もう少しはっきり言って欲しいわ。貴方が思っている意味って、一体どんな意味?」
また意地悪な聞き方をしてしまった。
自分だって余裕なんかないくせに余裕ぶったフリをするだなんて、我ながら卑怯な女だと思う。
電話の向こうで、彼が深呼吸する。
「……あの『好きです』は、僕を異性として好きだということで間違いないですか?」
彼の話し方がやたらと丁寧で、ちょっと事務的な確認に聞こえる。
でも、彼の声は震えていた。
私は今度こそ彼からの質問に答えるべく、口を開いた。
「――はい」
勇気を振り絞ってした返事に、反応はない。
実際にはほんの数秒程度だったかもしれないが、私は何十時間も待たされているような気分になった。
「……本当に?」
ようやく聞こえてきた声は、何故か鼻声のようになっていた。
その情けない声に、自分のことは棚に上げて笑ってしまいそうになる。
「はい。本当です」
彼の敬語が移ったのか、私も敬語で返していた。
「本当の本当に?」
「はい」
「嘘じゃないですよね?」
「人の気持ちを弄ぶ嘘なんてつきません」
電話の向こうで、彼が喜びを顕にしている気配がする。
彼の顔を見られないのは残念だけれど、喜んでもらえるのはやはり嬉しかった。
そして、自分の気持ちがちゃんと伝わったことも。
「……あ、あの、これからよろしくお願いします!」
まるで少年のように、嬉々としてそう言われて。
私もやはり、乙女のようにこう言った。
「ええ! こちらこそよろしく!」
◇◇◇
――それから時は流れ。
何の因果か私達はゲームで使っていたキャラになり、異世界へとやって来ていた。
「……何してるの、アイル?」
私の夫となった彼が、宿で大量のお菓子を広げていた。
「あ、クロノさん。自分の能力を把握しておこうと思って、まずはお菓子を出す能力について調べてたんだ」
「その能力から調べ出すのは流石アイルってところね」
「戦闘系の能力はここでは調べられないからね。でも、この能力も便利だよ。僕が見たことのあるお菓子なら何でも取り出せるみたいなんだ」
机の上に広がるお菓子は、どれも元の世界で売られていたお菓子ばかり。
こっちに来てそんなに日は経っていないが、何となく懐かしさに駆られてそれらを眺める。
その時、山積みのお菓子の中に、あるものを見つけた。
「……これって」
他のお菓子に比べ、シンプルなデザインの箱を持ち上げる。
「あ、それ。クロノさんから一番最初に貰ったチョコレートなんだけど、覚えてる?」
「……当たり前じゃない」
当時のことを思い出すと今でも恥ずかしくて、自分で穴を掘ってその中に入りたくなる。
「そういえば、ずっと聞きたかったんだけど、このチョコレートはどこで買ったの?」
「え?」
「とても美味しい生チョコレートだなと思って貰った後に探してみたけど、見つからなくて」
その言葉に、私は固まった。
渡した時のことを必死に思い出して、ようやく気づく。
――あの時、私の手作りだって言ってない!
メッセージカードにも書いていないから、彼は手作りだと気づかなかったらしい。
いや、普通に考えたら気づきそうなものだけど、あれは仕方ないと思う。
当時、チョコ選びを悩みに悩んだ結果、手作りしようと思い至った私は、「手作りでも最高のものを」とめちゃくちゃ頑張って作った。
色んなレシピや動画を参考にして試作品なんかも作って、自分がようやく納得できたものを彼に渡した。
そのクオリティは自分で言うのはあれだが、お店で売り物にできそうなほど高かった。
その結果、彼に既製品を買って渡したのだと思われたらしい。
嬉しいと思う反面、頑張って作ったものを既製品だと言われるのは悔しかった。
でも、今更手作りだというのは気が引けたし、何より昔のことで気まずい空気になるのも嫌だ。
「……さあ? もう忘れたわ」
「あれ、でもさっき覚えてるって」
「あげたものは覚えてるけど、どこで買ったかなんて忘れたわよ。そのお菓子、自分でどうにかしてよね。私はいらないから」
私は彼から顔を背け、足早に部屋を出た。
あれ以上いると、私が照れているのに気づかれてしまいそうだから。
宿の方から駆け足で外に出ようとすると、受付にいたガーベラさんにギョッとした顔で見られた。
声をかけられそうになったので、そのままの勢いで外へと飛び出す。
時間的にはまだお昼で、天気も良い。
そうだ、このまま町を散歩しよう。
気分転換になるし、何かしらの情報が手に入るかもしれない。
未だ鎮まらない顔の火照りを鎮めるべく、私は一人で町中をぶらつくことにしたのだった。
一方、その頃のアイルはというと。
「……クロノさんの機嫌を損ねちゃったみたい」
しょんぼりした様子で机上のお菓子を見つめていた。
「このチョコレートのことは、聞かれたくなかったのかな?」
もう記憶の中にしかない、彼女からの初めてのバレンタインチョコ。
それを再現したものを彼は手に取った。
箱の蓋を開ければ、ココアパウダーのかかった生チョコレートが顔を覗かせる。
均等に切り分けられた欠片の1つをつまみ上げて、ヒョイと口に放り込む。
「美味しい……でも、なんだか違うなぁ」
指についたココアパウダーを舐めとりながら、彼は首を傾げた。
「味は変わらないと思うのに、何が違うんだろう?」
そう言いながら、次々と生チョコレートを口に運ぶ。
美味しそうに食べてはいるが、どこか物足りなさそうだ。
「……またあのチョコレートが食べたいなぁ」
無意識にクロノが聞いたら卒倒しそうなことを言いながら。
彼は他のお菓子をどうしようかと、頭を悩ませるのだった。
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