第8話 女の勘はよく当たる。主に悪い方面に

 翌日、真っ先に目を覚ましたのは意外にもクロノであった。

 何故意外なのかと言うと、彼女は眠りが浅いせいか朝に弱い。

 誰かに起こされなければ昼を過ぎても眠ってしまうタイプだ。

 それに対し、アイルは寝覚めが良い方だった。

 毎日決まった時間に寝て、決まった時間に起きるという生活を続けてきた彼は、自然と決まった時間に目覚めることができるようになったらしい。

 故に、日本にいた頃は毎朝のように、アイルが先に起きてクロノを起こすという光景が繰り広げられていたのだ。

 しかし、この日に限っては、クロノの方が起きるのが早かった。

 これが問題だった。

 アイルが先に起きていたのならばすぐさま全身鎧を装備していただろうし、クロノが覚醒状態ならばまだ冷静な判断ができただろう。


「ふわぁ……」


 他人に見せればはしたないと言われそうなほど大きな欠伸をすると、クロノはのろのろと上体を起こした。

 彼女はこの状態でボーッとする癖がある。

 こうしていた方が二度寝するのを防げると思っての行為らしいが、実際はそんなに効果は出ていない。

 ふと、彼女の手に何か柔らかいものが触れる。

 頭の働いていない彼女は、条件反射的にその手の方を見た。

 彼女の手が触れていたのはマオの腕だった。

 隣で眠っていたマオは、胎児のように膝を抱え込むような形で丸まっている。

 彼女は「この子誰だったっけ……?」と寝惚け頭で考えながら、更にその隣にいる人物へと視線を向けた。

 そこにいた人物は仰向けで眠っており、顔がバッチリと見えた。

 白く健康的な肌は陶器のように滑らかで、それでいて透き通るような透明感があった。

 スッと通った鼻筋に長いまつ毛、艶やかな唇とその傍にある小さなホクロ。その妖艶な顔は人形のように整っているが、作り物のような不自然さは無い。

 若干乱れてしまっている黒髪が、より一層彼を蠱惑的に見せていた。

 その時、彼の瞼が開き、まつ毛の下から黒い瞳が現れる。

 しっかりと開かれた目は細くつり目がちで、どこか冷たい印象を受ける。

 しかしながら、彼はクロノが起きているのを見て、その目を更に細めて微笑んだ。


「おはよう、クロノさん。今日は早いね」


 その彼――アイルはゆっくりと起き上がり、両手を組んで伸びをした。

 ニコニコと笑う彼に先程までの色っぽさや冷淡さは感じられず、むしろ人懐っこい仔犬のように見えた。

 クロノは返事もせず、ただじっと彼を見つめていた。


「……どうしたの?」


 不審に思ったアイルが首を傾げる。

 クロノはやはり何も答えない。しかし、彼女は妙な構えを取っていた。

 それに彼が気づいた瞬間。


「――『鉄拳アイアンフィスト』!」


 鉄のように硬化したクロノの拳がアイルの鳩尾に直撃した。


「ぐふぅ!?」


 アイルはベッドから転げ落ち、鳩尾を押さえてうずくまった。

 彼は素の物理防御力が高いためこの程度で済んでいるが、他の生物であれば壁を突き破る勢いで吹き飛んだ後、内臓破裂等により絶命していたであろう。

 そんな凶悪な技をくらいながらも、彼は何とか「セット一括装備」で昨日身につけていた全身鎧を装備した。


「……はっ! ご、ごめん、アイル!」


 ようやく頭がまともに働くようになったクロノが、夫にしてしまったことに血相を変えた。


「ううん、こっちこそごめん……兜外してたのすっかり忘れてたよ……」

「きゃああ! 体力半分削っちゃってる! す、すぐ治療するから!」


 とっさに「鑑定アプレイズ」でアイルの状態を調べたクロノは、彼の体力が半分程になっているのを見て更に青ざめる。

 すぐさま彼に近づき「完全回復オールヒール」をかける彼女の後ろで、マオが不快そうに顔を歪めながら起き上がった。


「随分と喧しい目覚ましじゃのう……」

「あ、マオ君。起こしちゃった?」

「ふん。儂は寛容じゃから怒りはせんが、朝から乳繰り合うのはどうかと思うぞ?」

「うるさい、年齢詐称エロじじい!」

「好きでこんな姿になっとるわけじゃないわい! あとエロじじいとはなんじゃ! そんなことをしておる汝らが悪いのじゃぞ!」


 ぎゃあぎゃあと良い争いを始めたクロノとマオをアイルが宥める。

 夫妻の異世界生活2日目はこんなふうに騒々しく始まった。


◇◇◇


 食堂で朝食をとった後、アイル達は一度部屋に戻り今後の予定について話し合うことにした。


「グラジオさんの話によると、僕達ってぶっちゃけ働かなくても生きていけそうだよね」


 朝食の時、他の客が少なかったこともあり、彼らはグラジオ達に色々と話を聞いていた。

 その中にはお金についての話もあった。

 この世界では全ての国で共通の通貨が使われている。銅貨が最小で、それが100枚で銀貨、銀貨100枚で金貨となる。

 更にその上に金貨1000枚分の大金貨、大金貨1000枚分の白金貨という硬貨もある。だが、これらは国や大きな商会の取引等でしか扱われず、一般人ではお目にかかることはないらしい。

 ゲーム内で最小単位であった1Gは、こちらの世界では金貨1枚という扱いになる。

 アイルとクロノはそれぞれ3億Gほど所持しているため、合計で6億枚の金貨を所持していることになる。

 つまり、白金貨60枚分。そういうと少なく感じるが、これは今彼らがいる国「ファルべ」の国家予算10年分に相当する。

 この国がどれだけ大きな国家なのかはわからないが、国が10年成り立つほどの金額を所持しているとなると莫大な金額であることは間違いないだろう。


「一生遊んで暮らしても大丈夫かもよ?」

「そんなことしたら命狙われること間違いなしよ。やっぱり、今持ってるお金はなるべく使わない方向でいきましょう」

「そうなると、どこかで働かねばならぬのではないか?」

「だから、冒険者について聞いていたのよ」


 グラジオ達によれば、冒険者とは冒険者ギルドで登録すれば誰でも成れる職業らしい。

 12歳以上という年齢制限はあるものの、犯罪歴などは調べられない。

 つまり、どこかの国で犯罪を犯していても冒険者になることができる。

 とはいえ、余程素行が悪ければギルド側から厳しい処罰が下され冒険者を辞めさせられるため、柄の悪い冒険者は少数派のようだ。


「素性が関係ないなら、僕達でもなれるね」

「素性を調べられないのは魅力的だけど、ランクが上がると名が知られるようになるのはちょっとね」


 冒険者はギルド側によってランク付けされ、そのランクにあった依頼を自分で選んで受ける。

 その依頼の内容は様々で、薬草採集や魔物討伐といったゲームのクエストに似た内容のものもあれば、町の孤児院の子供達と遊ぶといった依頼もあるという。

 いわば、この世界では冒険者とはある種の何でも屋であるらしい。

 一般人でもコツコツ依頼をこなせばある程度のランクまではいけるようだが、次第に危険な魔物の討伐依頼を受けなくてはならなくなるため、高ランクになるにはそれだけの実力を身につけなければならない。

 逆に言えば、高ランクの冒険者とはそれ相応の実力者であり、多くの冒険者の憧れとなりうる存在。

 ギルド側にとっても難しい依頼をこなし、他の冒険者の士気を高める貴重な存在であるため、高ランクの冒険者達の名前はほとんどの冒険者やギルド職員が知っている。


「目立たないような依頼を受ければいいのではないか?」

「そうなんだけどさ。何だか、そう上手くいかないような気がしてならないのよね」

「上手くいかないって、絶対目立っちゃうっていうこと?」

「絶対、ていうわけじゃないんだけど。もう既に目立つようなことしちゃったから、もしかすると……」


 その時、部屋の扉がノックされた。

 クロノが返事をすると、扉の奥からガーベラが顔を出した。


「ちょっといいかい? 貴方達にお客さんが来てるんだ」

「え? お客さん、ですか?」

「そう。私達の昔のパーティメンバーでね。今はこの町の冒険者ギルドの支部長をやっている人なんだけど」


 それはまさに、上手くはいかないかもというクロノの予感が的中した瞬間であった。

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