第4話 偽名は安直な方がわかりにくい……かもしれない

「して、そろそろ町に向かわんでも良いのか?」


 「魔王(自称)」に指摘され、興奮冷めやらぬ様子だったクロノがハッとした。


「そ、そうね。そろそろ町に行かないと、日が落ちたら危険だもの」

「でも、ここって森の中じゃないの? 歩いての移動になると、町にたどり着く前に夜になりそうだよ」


 周囲に広がるのは生い茂った木々。

 彼らが居たところだけ開けていたが、他は足の踏み場もないほど植物で覆われていた。


「大丈夫よ。森の中を抜けるだけなら、『脱出エスケープ』が使えるみたいだもの」


 クロノが言った「脱出エスケープ」は、ゲームではダンジョンからの緊急離脱用魔法であった。

 この世界では、自分が囚われていると認識していれば、そこから抜け出すことができるという便利な魔法になっているらしい。


「そうなんだ。じゃあ、クロノさんお願いします」


 アイルがクロノに近づこうとすると、彼女がサッと身を引いた。


「どうしたの?」

「……いや。また何か変なことされるのかと思って」

「へ、変なことって……。僕達は夫婦なんだから、抱きしめるくらいしても良いでしょ?」

「調子が狂うから止めて欲しいのよ」


 再びイチャイチャが始まりそうになり、「魔王(自称)」が大袈裟に咳払いする。


「どうでも良いから早うしてくれ」

「わ、わかってるわよ」


 クロノが杖を構えると、地面に魔法陣が浮かび上がる。

 その上に彼らが乗り、クロノは「『脱出エスケープ』!」と唱えた。

 魔法陣が輝き、その場から彼らの姿が消える。


「……よし、森は抜けたわね」


 彼らが現れたのは広い草原だった。背後を振り返れば先程までいたと思われる森が広がっている。


「町、結構近いね」


 草原の先には規則的に積み上げられた石壁があった。

 門の前には、馬車や人が列を作っている。


「では、早速向かおうではないか」

「ちょっと待った!」


 勇んで歩きだそうとする「魔王(自称)」を、クロノが止めた。


「なんじゃ? 早う行かんと日が暮れるぞ?」

「その前にアンタの呼び方を決めておかないとまずいでしょう」

「『魔王君』で良いんじゃないの?」

「そんな馬鹿正直に『魔王』なんて言ったら疑われるでしょうが!」

「こんな子供を疑ったりするかなぁ……?」

「念には念を入れるものよ。だから、偽名を考えようかと思って」


 “偽名”という言葉に、「魔王(自称)」の耳がピクリと反応する。

 どうやらその響きに心踊らせたらしい。


「偽名……か。そういうことなら、『マオ』というのはどうじゃ?」

「アンタが提案するんかい。てか、『魔王』だから『マオ』って、安直すぎない?」

「そうかのぉ?」


 不満げなクロノとは異なり、アイルはニコニコと笑っていた。


「安直だけど良い偽名だと思うよ。マオ君って呼び方も可愛いし」

「そうじゃろう! 儂が考えた名前の良さがわかるとは。アイル、お主なかなかやるのう!」


 小さな手でベシベシとアイルを叩く「魔王(自称)」を見て、クロノは本日何度目かのため息をついた。


「じゃあもうそれでいいわよ。アンタは今から『マオ』っていう5歳の人間の子供。私達はアンタを預かってる夫婦って設定でいくわよ」

「人間の子というのは気に食わんが……まあ汝らにあわせるならしょうがないじゃろう」

「別にマオ君が僕達の子供でも良いんじゃないの?」

「コイツに『ママ』なんて呼ばれたくないわ」

「儂もそんな屈辱的な呼び方しとうないぞ」

「そっかぁ、それは残念」


 彼ららしく一悶着あったが、「魔王(自称)」の偽名が「マオ」に決まったようなので、こちらも「マオ」呼びにさせていただくとしよう。

 別段、アイルやクロノのように、この世界において「魔王」が「マオ」という存在に変化したわけではない。

 しかし、いちいち「魔王(自称)」などと呼ぶのが面倒なので「マオ」と呼ばせてもらうことにした。


「では、出発するぞい!」


 マオの掛け声で彼らは歩き始め、しばらくすると町に入るために並んでいる人々が門の前で何かしているのが目に入った。


「何か見せてない?」

「なるほど。あれは異世界あるあるその①、町に入るのに身分証明書が必要ってやつね」

「しかし、儂らはそんなもの持っとらんぞ」

「大丈夫よ。こういう場合、無くしたって言えばお金払うかわりに入れてもらえるはずよ」


 そうこうしているうちに彼らの順番が回ってきた。


「身分証、拝見しまーす」


 門番と思われる若い男が、至極めんどくさそうに言った。


「ごめんなさい。実は私達身分証を無くしてしまって……」

「ありゃ、そうなんすか。じゃあ、俺についてきてください」


 男は気だるげな目を丸くすると、彼らに手招きをした。

 彼らは兵士の詰所と思われる場所の一角に案内され、目の前に巨大な水晶玉のようなものを置かれた。


「じゃ、これに1人ずつ手をかざして下さい」

「こうですか?」


 アイルが言われた通りにすると、無色透明だった玉が青く発光した。


「大丈夫っすね。じゃあ、次はそちらのお嬢さん」

「……本当はそんな年齢じゃないのだけど」


 少々照れくさそうにしながらも、クロノも同じように手をかざした。

 玉は再び青色に光った。


「お二人共大丈夫っすね。まあ、赤く光られたらそれはそれで困るんっすけど」

「この玉は一体何ですか?」

「あれ、初めて見ます? これは犯罪歴があるかどうかを調べる道具っすよ」

「ああ、異世界あるあるその②、ね」


 いわゆるテンプレ展開に冷めた目をするクロノの横で、アイルは興味津々といった様子でその玉を見つめていた。


「興味もって下さってるところ申し訳ないですが、身分証無いと入るためにお金が必要なんっすよ。一人あたり銅貨3枚なんで、今回は6枚必要っすね」

「あれ? 僕達は3人だから、9枚ではないんですか?」

「この町は領主様の計らいで子供からはお金取らないんっすよ。あと、保護者が一緒ならその子供の犯罪歴を調べる必要も無いっていうことになってます」

「へぇ、子供想いの良い領主様ですね」


 感心するアイルの腕を、クロノがクイッと引っ張った。


「どうしたの?」

「今更なんだけど、私達が持ってるお金って使えるのかしら」


 アイルやクロノが持っているのはゲーム内通貨だった「G《ゲルト》」のみ。

 2人ともそれを億単位で所持しているが、使えなければ意味が無い。


「まあ、出してみたらわかるでしょ」

「あ、ちょっと、アンタはまた勝手に……!」


 「お願いしまーす」という間延びした声と共に、アイルは1Gを取り出した。

 ゲーム内では模様のない金色の硬貨であったが、こちらの世界では見たことの無い女性の顔が彫られていた。


「え、それって金貨じゃないっすか。もっと細かいのないんすか?」

「ごめんなさい。今持ち合わせがこれしかなくて……」

「はあ。別に構わないっすけど、両替してこなくちゃいけないんでちょっと待っててもらっていいっすか?」


 走ってどこかへ向かう男を見送ってしばらく。

 戻ってきた男の手にはジャラジャラと音を立てる袋が握られていた。


「お待たせしました。これが両替した分っす。あ、手数料引かれてるんでご了承下さいっす」

「お手数おかけしてすみません」


 アイルが頭を下げると、男は面食らったように目を瞬かせた。


「いえ、それが俺の仕事なんで。で、銅貨6枚をここからいただいて、残りはお返しします」


 袋を受け取ると、かなりの重みがアイルの手に感じられた。

 男がこんな重いものを持ってきてくれたことに驚き、アイルは反射的に「ありがとうございます」と言ってお辞儀していた。

 すると、男は居心地悪そうに顔を背けた。


「……そうやって真正面から感謝されるのは恥ずいんで止めて欲しいっす」

「じゃあ、私からも伝えるわ。ありがとう」

「ちょっと、からかわないで下さいっす!」


 まだ10代後半と思しき男は、変な声を出しながら刈り上げた髪を乱暴に掻き回した。


「と、とりあえず、名前教えてもらっていいっすか? 書類に書かなきゃいけないんで」

「そうでしたか。僕は……」

「彼は『アイルファー』、私は『クロノ』と言います。で、この子は『マオ』です」


 遮るようにクロノが言ったことに、アイルは首を傾げた。

 そんなアイルにクロノが耳打ちする。


「こういう中世ヨーロッパ風異世界って、苗字が貴族にしかない場合もあるのよ」

「じゃあ、ちゃんと名乗ったら貴族だって思われちゃうかもしれないね」

「そうなったら後々面倒でしょう。色んな詮索を受けることになりそうだし」

「そっか。そんなことまで気がつくなんて、流石クロノさんだね」


 2人でコソコソ言い合っていると、不意に扉がノックされた。

 書類を書いていた男が返事をすると、彼の同僚らしき兵士が顔を覗かせた。


「おい、トーニョ。お前そろそろ休憩だぞ」

「もうそんな経ってたか?」

「その書類こっちで預かるから、お前は飯食いに行け」

「おう、ありがとな」


 書類を渡した男は、ふと気がついたようにアイル達に話しかけた。


「もし良かったら一緒に飯食いに行きません? 俺の行きつけの店、宿もやってるんで泊まるとこ決まってないなら丁度いいと思いますよ」

「いいの?」

「もちろんっすよ!」


 そして、彼らはようやく町へと足を踏み入れたのだった。

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