section2 ヒーローは遅れる


 はぁ、はぁ。

 


 俺は今、図書室を目指して猛スピードで走っている。今日の放課後は、図書室で倉敷と待ち合わせをしているのだ。しかし走っているのは、決してそれが楽しみだとか、抑えきれない衝動だとか、そういった類のものでは無い。


 俺は、倉敷との待ち合わせに一時間三十分も遅れているのだ。つまり、とてつもない罪悪感に駆られ、柄にもなく廊下を走っているのである。


 発覚したのは約三時間半前。五時間目の開始直後だった。本来なら帰宅部の俺は、帰りのホームルームが終わると何に縛られることなく帰路に着く。今日の場合は直接図書室に向かおうとしていた。


 しかし、最大の誤算は月間予定表である。

 よく見ると、七月五日の欄に「三時半〜 委員会活動」の文字が書いてあったのだ。

 フランク教師の仕事ぶりので予定が把握ができていなかった。


「暇そうだから」という理由で、風紀委員会という委員会の中でも割とシビアなやつに入れられてしまい、仕方なく参加していた。

 俺が何か作業したり発言したりすることは無い。しかし、その場にいるということが唯一の存在意義のために、参加しないということは許されなかった。

 上記の理由により、俺は息切れするほど走っているのだ。




 ……着いた。

 いざ扉を前にすると、とてつもない入りづらさを感じる。息が上がって足取りも重い。

 二、三度深く息を吸った。


 少し冷静になって考えると、倉敷はもういないことだってありえる。いやむしろ、いることの方がおかしいかもしれない。初対面のやつに、一時間半もドタ遅刻されているのだ。俺だったら帰ってるな。


 ……ここで立っていても意味がないので、ドアを開けよう。そして、一応いるかどうかの確認をしておくか……。




 ドアを引き、辺りを見渡す。すると見覚えのあるポニーテールがそこにはあった。


 「嘘だろ……」

 ポニーテールが大きく揺れ、振り返って俺に気付く。


 「あっ、春野くん。もう、遅すぎ」

 

 鈍感な俺でもわかる。倉敷はあまり怒っていなかった。一時間半待たされている人とは思えない。

 罪人の俺は、急いで倉敷の向かい側の椅子に腰をかけた。


「本当にごめん。俺から呼び出しておいて。委員会あるって知らなくて……」

「いいって、私も無理言ってるんだし。それより委員会あるって教えてくれたら、今日じゃなくてもよかったんだよ?春野くん忙しいでしょ」 

 「……」


 もちろん委員会があることを伝えようとは考えた。五時間目が終わった直後、俺は美術室に向かった。しかし、他クラスの使っているドアを開けて、女子を呼び出すという芸当はできるわけがなかった。そして結局は、そのまま諦めて帰ってきたのである。

 俺はもう誠心誠意謝ることぐらいしかできない。

 

 「とにかくごめん、倉敷。時間無駄にさせちゃって」

 「わたし、こう見えても本好きなんだよ。だからむしろ有意義な時間だったというか。それに……」


 「それに……?」

 


 「ヒーローは遅れてやってくるっていうじゃん」

 倉敷は昼休みの時のような、してやったりの顔を浮かべている。まだ少ししか喋ってないが、倉敷はペースが掴みづらい。

 

 「ヒーローなんてそんな。てか倉敷が読書家なんて意外だな」

 俺も少し茶化したように乗っかってみる。

 「読書家なんてかっこいいもんじゃないけどね。あと……」


 ……またこの引っ張り方か。どうせ軽いジョークを挟むのだろう。俺は今後お決まりになりそうなこのやりとりにちゃんと対応する。

 「あと……?」


 倉敷はさっきよりも悪巧みをするような顔で言った。

 「……呼び捨てでいいからね。ふふっ」


 一瞬、なんのことかわからなかったがすぐ気づいた。さっきから倉敷のことを『さん』付けするのを忘れていた。俺は咄嗟に返す。

 「ご、ごめんっ。倉敷さん」

 「さんはいらない」

 「……ごめん。倉敷」

 「そんな謝ってばっかりだと、損するよ」

 「……ごめん」

 「わざとやってるでしょ!」


 俺は今まで、学校で誰かとこんな風に喋ったりすることなんてなかった。なんか不思議な気分だ。

 顔をあげると倉敷と目が合う。

 「ふふっ」


 「ちょっとあなたたち。私語が多すぎるわよ」

 

 「あ、すいません。ふふっ」

 図書室に駐在している年配女性の先生に注意されてしまった。何故だかそんなことですら面白い。周りからしたら多分すごい迷惑だろうな。


 「駄目だよ春野くん。このペースじゃ話進まないよ」

 「それもそうだな」

 


 お互い一度深呼吸をする。

 

 俺は更に、気を取り直して小さい咳払いをした。

 「んで倉敷は、改めて確認するけど、こみちのことについて相談があるんだよな」

 

 「そうそう。松ヶ谷さんのことなんだけど」

 

 倉敷が言いづらそうなので、俺は少し待つ。

 数秒が経つと、さっきとは打って変わってしまった重そうな口が開く。

 

 「松ヶ谷さんの引っ越した理由を知りたくて……」

 

 

 確かにこみちが引っ越した理由はあまり知られていない。友達なら気になるものだろう。たとえ、一年経ってもだ。

 

 「単刀直入に言うぞ。あいつは持病を患っていて、それが悪化したんだ。だから、倉敷が何を心配しているのかはわからないけど……多分、平気だと思うぞ」

 

 

 

 「……松ヶ谷さん、病気だったんだ。わたし知らなかった」

 「このことを知ってるのは俺だけだったんだ。だから、そんな気にするなって」

 「違うの。春野くん」

 「何が違うんだ」


 


 倉敷はずっと、どこか悲しげな表情だった。

 「わたし、松ヶ谷さんに嫌われてるの」

 「え?」


 

 倉敷は天井を見上げながら苦笑いをした。


 「……松ヶ谷さんが引っ越す直前に言われたの。『あなたのこと許さない』って。ははっ。普通に何でだよ!って感じなんだけどね」


 

 ……そんな辛そうな顔で言われても返す言葉が無いぞ。

 

 「まあ、こみちもあんな性格だからな」

 苦し紛れにフォローしたが、あながち間違っていない。

 こみちは我が強く、口が悪い。普段は基本的に無口だし、恐らく喋れる相手も俺と倉敷ぐらいしかいなかったと思う。

 

 しかし、倉敷は黙ったままだった。俺は何とか話を繋げようとする。

 

 「じゃあ、もし何かこみちのことで何か判ったら連絡するから。あいつも無意味にそんなこと言わないと思うし」

 

 

 すると倉敷は顔を上げた。

 

 「連絡ってどうやって?」

 「どうやってってそりゃあ……、昼休みとか」

 「みんなに冷やかされるよ」

 「じゃあ……。どうしようか」

 何も考えないまま発言したので、何も浮かばなかった。でも今更「やっぱ今のなしで」なんて言えるわけがない。


 気まずい沈黙の中、倉敷は笑いを堪えていたのか、ぷっと吹き出した。そして、どうやら自分のカバンから何かを取り出そうとしている。

 「倉敷……どうしたんだ」


 「ふふっ。春野くん、今のナンパでしょ?」

 そう言うと、倉敷はカバンからケータイを取り出した。


 

 ……俺は呆気にとられていた。

 「そういうつもりじゃ……」


 よく見ると、倉敷は頬を赤らめている。

 

 「わ、わたしが逆ナンしてるみたいじゃないっ!いいからケータイ出してよ。早く、ほら」


 「わかったわかった」

 俺は左のポケットに入っているケータイを取り出し、倉敷に渡した。

 倉敷は不器用そうにメールアドレスを打ち込み、それが終わると顔を上げた。俺のケータイを差し出してきたので、取ろうとすると、俺の手を交わした。

 「……返せよ」

 「迷惑メールとか送ってきたら、許さないからね」

 「送らないよ」

 

 倉敷は俺のケータイを、机を滑らすように投げてきたので慌ててキャッチする。

 「何すんだよっ」

 顔をあげると倉敷と目が合った。さっきまでの悲しそうな顔はもうしていなかった。

 

 「ふふっ」

 

 二人で笑い合うと同時に下校予鈴のチャイムが鳴った。

 

 



 立ち上がり、椅子を元に戻す。

 

 「誰かさんが遅刻したせいであんまり時間なかったね」

 「だからそれはごめんって」

 「冗談だよ、冗談。ふふっ」


 倉敷はいつもの倉敷に戻っていた。

 

 帰り支度をしようとバックを開けると、文芸部の文集が出できた。

 危ない。返しそびれるところだった。

 

 「悪い倉敷。借りてた本返してくるから、今日はここでお開きだ」

 「へー春野くんも本読むんだ。今度その本教えてよ」

 

 俺は『青春の渇望』の、あの堅苦しい文章を思い出す。

 

 「あまりお勧めはできないが、それでもいいなら」

 「変なの。逆に気になるじゃん」

 

 「いいからいいから。じゃあな倉敷」

 

 「バイバイ。えーと、また来週だね」

 「そうだな。また来週」

 倉敷は小さく手を振った。

 



 倉敷と別れた後、受付の列に並ぶ。今日は金曜日なのでこの時間になると、週末に本を読むために借りて行く人などで混雑する。並び始めてから、結局十五分ほどかかり、俺が帰るときは校内には生徒の姿は無かった。


 

 帰り道。ふと、ケータイを開く。

 電話帳の中に「倉敷帆奈」の名前があった。俺の電話帳は家族とこみちしか登録されてなかったので、すぐ気づいた。

 

 倉敷とこみちに一年前、何があったのか俺は知らないし、詮索するつもりもない。なぜなら倉敷とはこのままいい友達になれそうな気がするからだ。


 


 ……帰ったら、メールでも送ってみるか。

 

 

 



 

 

 

 

 








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