七月四日(土)

オーバーライト(7)~夢

 週末を待って電車に乗る。


 五つ隣の駅までのささやかな旅の目的は、工作部品の調達だ。市内のホームセンターでは品ぞろえがいまひとつだし、クレジットカードを持たない身ではインターネット通販は難しい。片道四百十円の電車賃は痛いが、要経費と思うしかないだろう。


 万古堂まんごどうは駿河駅北口から十分ほど歩いたところにある電子工作専門店だ。


 ぬらりひょんのような外貌をした店長の年齢は不明だが、東校電工部とは長い付き合いらしい。


 それだけに電子部品についての品揃えは良く、ぼくも歴代部長と同じように月一ペースで通っている。


 多少辟易するのは万古堂がホテル街――卑猥なやつだ――のただなかにあるということだ。エーゲ海、ニューヨーク、ムー大陸。ぼくは国際色豊かな電飾看板を見ないように注意を払いつつ今にも倒壊してしまいそうな雑居ビルへと歩を進める。


 相変わらず驚くほどの品揃えだ。おかげでバッグを商品に引っかけないよう慎重に歩かなくてはいけないわけだが。


「LEDが五個。10Ωが五セットに100Ω八セット。それに……」


 今井先輩もスタンガンの材料をここで調達したのだろうか。


 あの人は歩き方に妙なくせがあるから、よく棚やら商品やらに体をぶつけてぬらりひょんに睨みつけられていたっけ。


 その今井先輩も四月からは東都工業大学の学生だ。


 もしかしたらここに来ることはもうないのかも知れない。


 東都工大――。


 第二志望の欄にあの大学の名前を書いたことについて、理浦は『適当』と言い切った。


 そうなのかも知れない。父母はぼくが医大に進学するものだと思っている。


 他の選択肢などそもそも想像すらしていないだろう。


 担任教師に自らを理解して欲しいと思うのは甘えだ。


 ああいう形でしか自分の心情を吐露することができないのも、きっと。


「――今年は不作か」


「え?」


声に出してから、ぬらりひょんに話しかけられたことに気がついた。


「東高電工部だよ。四月に入ってから、お前しか来ないじゃないか」


「残念ながらそのようです」


「今日び、電子工作なんかに興味を持つ若いのなんてそうそういないか」


 ぬらりひょんは苦笑いのつもりか唇の端を微かに歪めてみせた。


「どれ、FPGAスタータ・キットの新作が入ったぞ。学割で安くしといてやるから、どうだ?」


「やめときます。ぼくには昔ながらのアナログ回路が性に合っているんで」


「そうか」


 ぼくが断ると、ぬらりひょんは逆らわずにすぐ引き下がった。


 元々、愛想の良い店員ではない。今日の接客態度は彼にしては出来過ぎなくらいだ。


 買った部品を袋に詰めてもらっている間に、ぼくはぬらりひょんが言っていたFPGAキットの箱をぼんやりと眺める。


 FPGAが高価なデバイスであったのは、ぼくが生まれるより前の話。


 今では誰でも簡単に手に入れることができ、プログラムを書き込むことで思い通りにハードウェアを作り出すことができるのだ。


 ぼくが今作っている四輪ロボットだって、FPGAを載せれば、ずっと簡単に完成させられるだろう。


 だけど、ぼくはFPGAをどうしても好きになれない。


 メモリを上書きオーバーライトするだけで、何度でもどんな役割にでも使えてしまうFPGAよりも、たった一度きり、ただのひとつの役割にしか使えないアナログ電子回路の方が好ましいと思ってしまうのだ。


 店を出ようとしたところで赤いロードスターが通りがかったので、一歩後ろに下がる。


 乗員たちはぼくに気づくことなく走り去り、少し先にあるホテルの駐車場へと消えていった。


 辟易するのは万古堂がホテル街――卑猥なやつだ――のただなかにあるということだ。


 ドリーム・イン・スルガ。ぼくはロードスターが入っていった建物に取り付けられた電飾看板を睨むように見つめながら、道路に立ち尽くす。


 見間違いでなければ。ぼくの見間違いでなければ――。


 ロードスターの運転席に座っていたのは担任教師の理浦恵三で、助手席に座っていたのは糸川志紀だった。

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