オーバーライト(5)~充分に幸せ

 電工部室の扉を開けたところで、津川先輩のピアノ演奏が聞こえてきた。


 ぼくはコーヒーを入れる準備をしながら消えたスタンガンについて考える。


 誰かが密かに持ち出したというのは間違いない。


 スタンガンがひとりでに消えてなくなることはないし、今井先輩が迫真の演技でぼくを担いでいるということもないだろう。だとすると――。


 コーヒーカップを片手に、机の上に置かれたダイアル式の南京錠に視線を向ける。


 今朝ぼくがシリンダー式のものに付け替えるまで、部室のドアに掛かっていた錠。


 数字を知っていれば誰でも開けられるけど、知っている人間はそう多くない。


 現役部員ではぼくだけだろう。おそらく志紀も知らないと思う。


 次にぼくはロッカーの上に置かれた黒歴史ボックスに視線を向けた。


 今井先輩の世代が卒業してからずっとあの場所にあった段ボール箱だ。


 あれが電工部OBの置き土産だということを知っている人間はごくわずかだ。


 ぼくですらあの中にスタンガンが入っているということまでは知らなかった。


 もちろん時間を掛けて探せば黒歴史ボックスの中にスタンガンを見つけることはできるだろう。ダイアル式の南京錠も同じことだ。


 しかし、実際問題としてその蓋然性は低い。


 室内をくまなく荒らし回られて、ほぼ毎日部室に来ているぼくがそのことに気づかないはずがないからだ。どれだけ丁寧に元の状態に戻したとしても、違和感を完全に消し去ることはできない。


 ――やはり、スタンガンを持ち出した犯人は、電工部の内部事情に詳しい人物だ。


 もっとも疑わしいのは電工部OBだがそちらは今井先輩に引き続き調べてもらうことにして、ぼく自身は学校内の人間が犯人だったケースに備えることにしよう。


 ひとまずそう結論づけたところで、耳障りな電子音が鳴り響いた。

 この部室に何故か設置されている内線電話のコール音だった。


「佐村か」


 この電話でぼくに連絡を取ろうとする人間は一人しかいない。


 ぼくのクラスの担任教師であり電工部の顧問でもある理浦恵三だ。


「ぼくですよ。どうかしましたか?」


「どうかしましたかじゃないだろう。進路調査票を出していないの、お前だけだぞ」


「すいません」


「今日中に出せそうか?」


「……保護者のサインも必要でしたよね」


「まだもらってないのか。呆れたな。まぁいい、英語教官室に来いよ。今すぐにだ」


 一方的に言って、理浦は電話を切った。


 ぼくは小さくため息を吐くと、すっかりぬるくなってしまっていたコーヒーを一息に飲み干した。

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