第112話  闇に迷いし放浪者と、光を目指す復讐者――マン・イン・ザ・ダーク VS ガッデムファイア その2




「オレが青い死神しにがみ――ブルーハンドだ」


 ジャコンを見つめながら真の職業を告げたネインは、右手を素早く横に払い、青い電火でんかを大気に放った。そして辺りが再び暗い夜に包まれたとたん、ジャコンは不意に肩を震わせて笑い出した。


「くっくっく、なるほどな……」


「何がおかしい」


「そんなもん、全部に決まってるだろ」


 ジャコンは自嘲じちょうするような笑みをネインに向けて、さらに言う。


「家族を奪われて、復讐を誓い、暗殺者に成り果てただと? まったく。どうりで一目見た時から親近感があったはずだ。まさかこの広い世界の片隅で、俺と同じ道を歩いているヤツに出会うとはな。こんなモン、笑うなっていう方がムリだろ」


「……アンタのそれは笑いではない。オレとアンタへのあわれみだ」


「ああ、そうだ。そんなことは言われなくてもわかってる。だがな、ネイン。人間ってのは、誰もがおまえみたいに素直になれるわけじゃねーんだよ」


 そう言って、ジャコンは肩から力を抜いた。


 ネインの正体が暗殺者のブルーハンドだとわかったとたん、ジャコンは過去の自分を思い出した。


 復讐を果たして、心がカラッポになった自分――。

 そして、ただ生きるためだけに暗殺者の道を選んだ自分――。


 その時の自暴自棄じぼうじきな選択は、小さなトゲとなって今でも胸の奥に突き刺さっている。そのかすかな痛みをごまかすために、ジャコンはあえて笑ってみせた。そしてそれをネインに見抜かれた。だからジャコンは自分の胸を指でつつきながら話を変えた。


「……ま、そんな話はどうでもいいとして、おまえに少し質問がある。ブルーハンドは相手の心臓を刃物で一突きすると聞いた。しかし今の魔法を見る限り、おまえに刃物は必要ない。ということは、心臓を突き刺す殺し方は、おまえの仕業ではないということか?」


「……いや。それはオレの偽装工作だ」


「偽装工作?」


「そうだ。さっきのアリどもの死に様しにざまを見ればわかるはずだ」


死に様しにざま……?」


 ジャコンはあごに手を当てて、少しのあいだ思案した。そして、ネインの青い電火でんかに近づいたありどもが消滅する光景を思い出しながら、納得顔でうなずいた。


「そうか……。俺のアリどもは傷一つつかずに消滅していた。それがおまえの魔法特性だ。ということはつまり――殺し方をごまかすためだな?」


「そうだ。オレは依頼主の希望に合わせて、明らかな暗殺と自然死を使い分ける暗殺者だ」


「なるほどな、そういうことか……。たしかに健康なヤツがポックリ死んだら、家族が毒殺したんじゃないかと疑われる。だからおまえは殺したあとにわざわざ心臓を傷つけて、ブルーハンドの仕業だと示すわけか」


「そういうことだ……」


 ネインは左肩を押さえながらうなずいた。するとジャコンは、感心半分呆れ半分といった顔で、手のひらを上に向けた。


「やれやれ……。ブルーハンドは貴族どもを100人ほど暗殺したって話だったが、それは心臓に刃物を突き刺された人数だ。つまり、表面化していない自然死の分も含めると、おまえが暗殺した人数は倍以上に膨れ上がりそうだな」


「……オレが暗殺した人数はアンタには遠く及ばない。何しろアンタはほんの1時間ほどで、カロン宮殿にいた700人近い人間を殺したからな」


「はは。やっぱり気づかれたか。そうだ。あれは俺の仕事だ。そして俺が殺してきた人数はとっくに万を超えている。……だが、おまえほど厄介な魔法を使う敵に会ったのは今夜が初めてだ。いや、正確に言うと2人目だが、もう1人の方は人間の範疇はんちゅうに入らないからな」


「そうか……。だったら少し時間をやろう。オレの魔法の攻略方法を考えるといい……」


 ネインはジャコンを見つめて淡々と言った。そしてゆっくりと歩き出し、シャーロットの方へと向かっていく。


「は? おい。何を勝手に決めてやがる。俺はべつに時間なんか――って、おまえ、それって……」


 ジャコンは横を通り抜けていくネインを呼び止めようとした。しかしネインの背中を見たとたん、思わず息をのみ込んだ。


「……ま、いいだろう。最後の別れぐらいさせてやるか」


 ジャコンは短い灰色の髪をかき上げて、ポツリと呟いた。そしてそのまま、遠ざかるネインを見送った。


「――ネインくん」


 ネインが枯れた噴水に近づくと、シャーロットもネインに向かって足を踏み出した。しかしネインは手のひらを向けてシャーロットの動きを制した。


「……シャーロット。そこを動くな」


 水のない噴水の周囲には、ジャコンのありどもがまだ無数にうごめいていた。その漆黒のありどもに近づきながら、ネインは再び即死の魔法を唱えた。そして青い電火でんかをまとった右手をありどもの中に突っ込んで、すべてを一瞬でほうむった。


「待たせたな……。ケガはないか……?」


「うん、わたしは無事だけど――え? ネインくん?」


 ありの結界が解けたとたん、シャーロットは慌ててネインに駆け寄った。するとネインの体がふらりとよろけた。シャーロットはとっさに手を伸ばしてネインを支えたが、次の瞬間、目を見開いて息をのんだ。ネインの背中に細い岩が突き刺さっていたからだ。しかもかなりの血が流れ出している。


「ネインくんっ!? ケガしてるじゃないっ!」


「ああ……。教会が崩れた時に……ちょっとかすっただけだ……」


「どこがよっ! 石が突き刺さっているじゃないっ!」


 シャーロットは噴水の縁石えんせきにネインを座らせ、左肩の後ろに刺さっていた瓦礫がれきを何とか引き抜いた。そしてあふれ出す血を両手で押さえながら、精神を集中して魔法を唱える。


「おねがい、止まって……。第1階梯治癒ちゆ魔法――治癒ヒール


 その瞬間、シャーロットの手が淡い光に包まれた。しかし――ネインの傷口から流れ出す血は止まらない。


「おねがい……おねがいだから……止まって……止まってよぉ……」


 シャーロットは唇を噛みしめて、あらん限りの魔力を振り絞った。しかしそれでも、穴がいた傷口はどうしてもふさがらない。シャーロットは瞳から涙を流しながら、さらに全身全霊の力を治癒魔法にそそぎ込んだ。


 だが――。


 シャーロットが生み出す治癒の光は弱々しく、ネインの傷は治らなかった。


「ごめん……ごめんなさい……。わたし、なんの役にも立てなくて……」


「……いや。じゅうぶんだ」


 涙で頬を濡らしたシャーロットを、ネインは血の気の失せた顔でまっすぐ見上げた。


「シャーロットは……オレのために全力を振り絞ってくれた……。その想いが、オレの力になる……」


「でも……こんなに血が出ちゃったら、ネインくん死んじゃうよぉ……」


「大丈夫だ……。オレにはまだ……奥の手がいくつかある……」


 ネインはふらつく足で立ち上がり、こぶしを握って奥歯を噛みしめた。そして南の方を指さして、泣き続けているシャーロットに声をかけた。


「この先に鉄の門がある……。そこを抜けて道沿いに歩けば王都につく……。シャーロットは先に逃げろ……」


「先に逃げろって、ネインくんはどうするの?」


「オレは……あの男と決着をつける……」


 ネインは答えながら、教会があった方向に顔を向ける。すると、ゆっくりと近づいてくるジャコンと目が合った。


 闇の中を音もなく歩いてきたジャコンは、枯れた噴水のかなり手前で足を止めた。そしてネインをまっすぐ見つめながら口を開く。


「あー、作戦タイムはもう終わりでいいぞ」


「オレの魔法対策が思いついたのか……?」


「いや。だが、原理はわかった」


 ジャコンはわざとらしくニヤリと笑い、言葉を続ける。


「おまえが使ったのは第1階梯の電撃魔法だ。だが、たかが第1階梯の魔法ごときで俺のアリどもを殲滅せんめつできるはずがない。だから発想を変えてちょっと考えてみたんだが、ようやくその秘密がわかった。おまえ――な?」


 ジャコンはそう言って、自分の心臓を指さした。


生物せいぶつの体には基本的に微弱な電気が流れている。それは生命機能を維持する『脳みそ』と『心臓』も例外ではない。そういう生体電流を、強制的かつ持続的に体の外に引き抜いて、生命維持に必要な機能を瞬時に停止させるのがおまえの魔法だ。――違うか?」


「……それがアンタの出した結論なのか?」


「まあな。正解だろ?」


「……オレは、アンタが口にした生体電流というモノを知らない。だが、魔法というのはただの物理現象だ。第1階梯の魔法でも……使い方次第でじゅうぶんな戦力になる……」


「なるほど。経験則けいけんそくで編み出したってわけか。ま、この世界の教育水準を考えたら、それも当然だな」


 力のない声で答えたネインの言葉に、ジャコンは納得顔でうなずいた。


「だが、そういう原理がわからなくても、おまえの魔法は大した脅威にはならない。なぜならば、結局のところ魔法ってのは精神力だからな。どんなに効率のいい魔法でも永遠に使い続けることはできない。――だがしかし、俺は違う。俺のアリどもは無限に召喚することができる」


「それはつまり……オレの精神力が尽きるのを待てば……アンタの勝ちということか……」


「ひと言で言えばそういうことだ。しかも血を流し続けたおまえの精神力は、すでに底をついている。それはおまえの疲れ切った顔を見れば一目瞭然いちもくりょうぜんだ。だから、これは俺からの慈悲だ。一撃で殺してやるよ」


 ジャコンは右手を前に突き出し、青い指輪を力強く輝かせた。そのとたん、ジャコンの背後の大地から、膨大な数のありが再び勢いよく噴き出した。


「シャーロットは……見逃すはずじゃなかったのか……?」


 ジャコンの背後で続々と積み上がっていくありどもを見つめながら、ネインは淡々と口を開いた。するとジャコンは冷たい笑みを浮かべながら言葉を返す。


「悪いな、ネイン。たしかに最初はそのつもりだったが、たったいま気が変わった。ここでおまえだけを殺したら、そのシャーロットという女は俺に対して復讐の炎を燃やすに決まっているからな。


 まあ、俺はべつにどれだけ恨まれてもかまわないんだが、晴らせない恨みを持たせるのはかわいそうだろ? だからこの場であと腐れなく、2人まとめて死なせてやるよ。――どうせ人間なんていつかは死ぬんだ。だったら辛い道を歩かせるより、サクッと殺してやる方が親切ってモンだからな」


「本当に……それがアンタの答えなのか……?」


「ああ、そうだ」


 まっすぐな瞳で訊き返したネインに、ジャコンはくらい瞳でうなずいた。そして右手を頭上に掲げ、地面から噴き出すありどもをさらに増やした。すると漆黒のありどもは人間の背丈をはるかに超えてさらに積み重なり、巨大な壁へと変貌していく。


「……なあ、ネインよ。人間ってのは、大なり小なりこういうモンなんだよ。


 どんなに立派な考えを持っていたって、立場が変わればすぐにひっくり返っちまう。どんなに大事な約束を交わしたって、状況が変化すればあっさりと破り捨てる――。


 それと同じだ。ヒトを守ることと、ヒトを殺すこともおんなじなんだよ。どっちにだって、どんな時でもそれなりの理由をこじつけることができる。つまりこの世には、絶対に正しい選択なんて1つもないんだ――」


 ジャコンはさらにありの壁を高く積み上げながら、悲しそうに微笑んだ。


「なあ、ネイン・スラートよ。さっきも言ったが、おまえは昔の俺とまったく同じ道を歩いている。理不尽な暴力で家族の命を奪われたおまえが、どれほどの怒りを胸の奥に秘めているのか、俺には手に取るようによくわかる。だから俺は、おまえのことを助けてやりたいと思っている。


 ……だが、助けるってどういうことだ?


 このまま見逃してやることか? そして俺と同じ苦しみを背負わせて、俺と同じむなしい人生を歩かせることか? それとも辛い復讐の運命を断ち切るために、ここでお前の命を奪うことか?


 なあ? どっちだ? いったいどっちが正しい選択なんだ? この残酷な幻想世界ファンタジーで、その答えを見つけられるヤツなんて存在するのか?」


「そんなことは……決まっている……」


 闇の道に迷い込んでしまった哀れな男は、今にも泣き出しそうな顔でネインを見つめている。その深い絶望の道を歩いてきた先達せんだつの顔を、ネインは目に焼き付けた。そしてゆっくりと口を開き、魂に秘めた決意の光を言葉に変えて言い放つ――。


「自分の道は、自分が決める――。それが、オレとアンタが選んだ答えだ……」


「そうか……」


 揺るぎないネインの覚悟を受け止めたジャコンは、星空を見上げて目を閉じた。そしてゆっくりと目を開き、再びネインをまっすぐ見つめる。その穏やかな瞳には、澄み切った狂気が宿っていた。


「……いいだろう、ネイン・スラート。たしかにおまえの言うとおりだ。おまえの道はおまえが決めろ。そして俺の道は俺が決める。だから俺は、ここでおまえたちの命を奪う。それが、今日まで血に濡れた道を歩いてきた、俺という男の決断だ」


「わかった……。ならばオレも、自分の力で自分の道を切りひらこう……」


 ネインはポケットから真紅の短いスティックを取り出して、左手の指に挟んで持った。それからシャーロットをかばうように前に出て、真正面からジャコンを見つめる。


「覚悟はいいか、ネイン・スラート」


 ジャコンは低い声でネインに言った。


「……ああ。いつでもかかってこい」


 ネインも静かな声でジャコンにこたえた。


 その直後、ジャコンは右手で夜空を指さし、そのままネインに向かって振り下ろした。すると、超巨大な壁と化したありどもが一斉に解き放たれた。


 その数は、まさに無限――。


 森の木々よりも高く積み上がっていた漆黒のありどもは、轟音とともになだれ落ち、ネインとシャーロット目がけて襲いかかる――。


 その瞬間――ネインは真紅のスティックを体の前に突き出した。そして絶対のスキルを発動しようとした寸前――指に垂れていた血によってスティックが滑り落ちた。


(まずいっ――)


 ネインは反射的に片膝をつき、真紅のスティックを拾い上げた。しかし、時すでに遅し――。巨大な津波と化したありどもは、ネインの目前まで押し寄せていた。


(くっ! こうなったらもうっ! アレしかないっっ!)


 ネインは瞬時に腹をくくり、瞳の中に黄金色おうごんいろの光を走らせた。しかしその瞬間、がネインの前できらめいた。


「――なっ!? おまえはっ!?」


 ネインは驚愕して目を見開いた。ネインの目の前に突然現れた光の正体は、背の低い少女だったからだ。


「……まかせて」


 金色の髪を小さな肩の上で切りそろえた少女は、ネインを見つめてそう言った。その澄んだ声はどこまでも穏やかで、幼さが残る少女の顔は絶対の自信に満ちている。だからネインは一瞬で覚悟を決めて、力強くうなずいた。


「……わかった。頼む」


 ネインは少女の名前を知っていた。しかし少女の正体はわからない。どんな力を秘めているのか想像すらできない。だが、少女の瞳には神々しい黄金色おうごんいろの光が宿っていた。その力強い輝きをネインは信じた。


 すると次の瞬間、少女は黄金色おうごんいろのローブをひるがえして振り返り、迫り来る怒涛どとうありどもに体を向けた。そして両手の人差し指と中指を立ててポーズを取りながら穏やかな声を放つ。


「2ぃ足す2ぃは、一つ星スターピース――」


 少女は左右の指を胸の前で組み合わせ、五芒星ごぼうせいのマークを作った。そしてさらにポーズを決めながら、至光しこうの魔法を発動させた――。


「きらきら光る、光り星。この世のすべては光となりて、星の世界をかけめぐる――。光・第10階梯異神魔法メメンマギア――万天滅却スター遷星光撃・スター


 その刹那――世界は黄金色おうごんいろの光に包まれた。


 少女の目と鼻の先まで押し迫っていた無数のありどもは瞬時に滅し、きらめく光に姿を変えた。そしてその膨大な量のまばゆい光点こうてんは巨大な光の波と化し、夜の闇を切り裂きながら永遠の天空へと駆け昇っていく。


 そうして無限のありどもは、1匹残らず無限の光子こうしに変換されて、はるかなる星の世界に飛び去った――。


「なっ……!?」


 その瞬間、ジャコンは言葉を失った。


 ネインの前に謎の少女が現れた直後、莫大な数のありどもが一瞬で跡形もなく消え去ったからだ。そしてやはり同じ光景を見ていたネインも、暗い夜に戻った星空を見上げながら呆然と呟いた。


「今のが……第10階梯魔法の威力……」


「えっ? な、なに? いったいなにが起きたの?」


 ネインの後ろに立っていたシャーロットも目を丸くしながら、1テンポ遅れて驚きの声を漏らした。するとさらに2人の少女がどこからともなくいきなり姿を現したので、シャーロットは度肝を抜かれて絶句した。


 それは銀色のローブをまとった少女と、白いローブをまとった少女だった。その2人の少女はシャーロットには見向きもせず、ネインのそばに駆け寄っていく。そして白いローブ姿の背の低い少女は、ネインを見つめて微笑みながら左右の手のひらでおわんを作り、魔法を唱えた。


「――くすくすっ。いたいの、いたいのぉ~、くすくすっ。第8階梯治癒ちゆ魔法――超高速全快ハーキンスライ魔元治癒ム・オルヒール


 その瞬間、白い髪を小さなお尻まで伸ばした少女の手の中に、透明なピンク色の物体が現れた。それはわずかに弾力のある半固形の物体だった。


 その柔らかそうなピンク色の物体は、意志があるかのように勝手に跳びはね、ネインの背中の傷に張り付いた。そして大地に染み込む水のように、傷口からネインの体内へと潜り込んでいく。すると、それまで垂れ流しだった出血がピタリと止まり、傷口も瞬時にふさがった。


「えぇっ!? なに!? なんなの今のプニプニ!? えっ!? えぇっ!?」


 その一部始終を見ていたシャーロットは、思わず自分の目をこすった。いったい何が起きたのかさっぱり理解できなかったからだ。


 それは手当てを受けたネインも同じだった。いきなり現れた3人の少女に囲まれたネインは、大地に片膝をついたまま呆然としている。すると黄金色のローブの少女がネインの前に小さな両手を差し出して、唐突におねだりした。


「――おみやげちょうだい」


「お土産って……」


 背の低い金髪少女を見つめながら、ネインはわずかに首をひねった。


「おまえはたしか――ララチだったな?」


「うん。ララチがんばった。あの黒いのぶっ飛ばした。だから、おみやげちょうだい。ちょうだい、ちょうだい」


 ネインが名前を確認すると、ララチはこくりとうなずいた。すると同じくらい背の低い白い髪の少女も、かわいらしい笑みを浮かべながらネインに小さな両手を差し出した。自分もお土産がほしいという意思表示だ。その2人の少女をネインは困惑顔で見つめながら、ゆっくりと口を開く。


「……助けてもらったことには感謝する。だけど今は何も持っていないんだ。だから悪いけど、また明日あした会いにきてくれ」


「うん。わかった。それじゃ、やくそく」


「くすくす。やくそくぅ~」


 ララチはすぐに1つうなずき、ネインの頬を指で押した。すると隣に立つ白い髪の少女も、優しげに微笑みながらネインの頭を軽くなでた。それから2人の少女は手をつなぎ、シャーロットの方へと駆けていく。そして枯れた噴水の中央付近に近づいたとたん、2人は忽然こつぜんと姿を消した。


 すると1人残った長い黒髪の少女が地面に膝をつき、ネインの顔を心配そうにのぞき込みながら口を開いた。


「どう、ネイン。ケガはクスネに治してもらったけれど、まだ痛い?」


「……いや、もう大丈夫みたいだ」


 ネインは左肩を軽く回し、怪我の具合を確認した。すると先ほどまでの激痛は完全に消えていて、動きにもまったく問題はない。


「第8階梯の治癒魔法とは、これほどのものなのか……」


 白い髪の少女の魔法詠唱を聞いていたネインは、驚きを隠しきれない声で呟いた。怪我が治ったことはもちろんだが、かなりの血を流したはずなのに、なぜか体の奥底から力が湧き上がってくるからだ。しかも体の疲れも取れていて、ジャコンと戦う前より調子がいいぐらいだ。


「これなら、全力で戦えるな――」


 ネインは心を落ち着けて、大きく息を吐き出した。それから隣にいる長い黒髪の少女に声をかけた。


「……よかったら、名前を教えてくれないか?」


「わたしはハルメル。メメンのハルメルよ」


「そうか。イラスナ火山でも少し話をしたが、キミはまた、オレを助けに来てくれたんだな」


「ええ。ネインが大ケガをしたから慌てて来たの。でも、ごめんなさい。わたしは他のみんなと違って、なんの魔法も使えないの……」


「いや。その気持ちだけでじゅうぶんだ」


 不意に悲しそうな声をこぼしたハルメルに、ネインは首を横に振ってみせた。それからゆっくりと立ち上がり、離れた場所で立ち尽くしているジャコンを見つめながらさらに言う。


「……ハルメル。キミがいったい何者で、どうしてオレを助けてくれるのか、聞きたいことはいろいろとある。しかし今は、あの男と決着をつけなくてはいけない。だから悪いが、ここで少し待っていてくれないか?」


「ええ。それはいいけど、大丈夫?」


 ハルメルも立ち上がり、不安そうに顔を曇らせた。


「わたし、ネインがケガをするところは見ていられないの……」


「大丈夫だ」


 ネインはハルメルをまっすぐ見つめて、力強くうなずいた。


「オレはこの場に来て、あの男の顔を見た時から少しだけ迷っていた。なぜなら、あの男には少しばかり借りがあると感じていたからだ。……だが、オレの道はオレが決める。そしてあの男の道は、あの男が決める――。だからオレはもう迷わない。だからハルメル。キミはここでシャーロットと一緒に見ていてくれ」


 ネインは固い決意を込めた声でそう言った。そしてすぐに歩き出し、ジャコンに向かってまっすぐ進む。するとハルメルは即座に振り返り、呆然と突っ立っていたシャーロットの手を握りしめた。


「あなたがシャーロットね?」


「えっ? あ、はい、そうですけど……」


「それでは、ネインに言われたとおり、ネインのことを一緒に見ましょう」


「……はい? ――って、ほえっ!?」


 ハルメルはシャーロットの返事も聞かずにさっさと歩き出した。それで手を引っ張られたシャーロットは思わず転びそうになった。しかしハルメルは気にすることなくそのまま進み、枯れた噴水の縁石えんせきにシャーロットを座らせて、自分も隣に腰を下ろした。


(あー、ビックリしたぁ……。なんなの、この人? ネインくんもキョトンとしていたから、知り合いって感じではなさそうだけど……)


 シャーロットはハルメルの横顔を眺めながら困惑顔で首をひねった。しかし次の瞬間、さらに眉を寄せてパチクリとまばたいた。ハルメルが足元の小石を拾い上げて、じっくりと見つめ始めたからだ。


「あ……あのぉ、なにしてんの……?」


「イグラシアにお土産を持って帰りたいの」


「イグラシア……? それって、あなたが住む街の名前……?」


「ううん。街ではなくて、全知ぜんち空間の情報集積管理機構よ。わたしはメメンだから、いつもイグラシアにいるの。でも今はメンテナンスをしているから、外に出てもいいってホローズ様に許可をいただいたの」


「そ……そうなんだ……」


(どうしよう……。意味がまったくわかんないんだけど……)


 シャーロットは思わず、ハルメルからそっと目を逸らした。ハルメルが口にした単語は聞き覚えのないものばかりで、見当すらつかなかったからだ。だからシャーロットは渋い顔で小さな息を漏らしたのだが、そのとたん、目の前に小石が突き出されたのでビックリした。


「ねえ、シャーロット。これってお土産になるかしら?」


「い、いやぁ、どうかなぁ……」


 真顔で質問してきたハルメルを見て、シャーロットは言葉に詰まった。ハルメルがいったいどこまで本気なのか判断できなかったからだ。


「それはただの小石だから、たぶんお土産にはならないとおもうけど……」


「そうなのね。それじゃあ――これはどうかしら?」


 ハルメルは小石を脇に置き、代わりに何かを指先ですくい上げた。そしてその小さいモノを、シャーロットの手のひらにそっとのせた。


「なにこれ? ……って、ひゃっ!」


 シャーロットは手のひらを目の前まで持ち上げて、その小さいモノに視点を合わせた。その直後――鋭い悲鳴を上げながら地面に投げ捨てた。それは小さな蜘蛛くもだったからだ。


「はうぅ……。わたし、クモってほんとに苦手なのぉ……」


 シャーロットは慌てて手を叩いてはらい、蜘蛛がのった手のひらを爪でかきむしった。するとハルメルはシャーロットの手を握り、顔を曇らせながら謝った。


「ごめんなさい、シャーロット。わたし、あなたが苦手なものを知らなかったの……」


「あ、ううん、だいじょうぶ。気にしないで。悪気がないのはわかってるから」


(……どうやら、悪い人ではなさそうね)


 申し訳なさそうに肩を落としたハルメルを見て、シャーロットはわずかに苦笑い。それからハルメルの手を握り返し、心配そうな顔でネインの背中に目を向けた。


「ネインくん、だいじょうぶかな……」


「ネインは大丈夫と言っていたから、きっと大丈夫よ」


 ハルメルも言葉とは裏腹に、不安そうな声でそう言った。そして2人はネインの無事を祈りながら、最後の決戦に挑む男たちを見つめ続けた。




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