第105話  優雅なる魔女の狂走曲――ジ・エクストリーム・フレンジー・シャドウホール



 夕焼けの赤に染まった空の下――。深い森の奥にある大きな館の一室で、美しい女性が湯船にゆったりとつかっていた。


 それは、アップにまとめた長い赤毛にタオルを巻いた女性だった。その滑らかな白い肌の女性は、湯船を覆う赤い花びらを片手ですくい、温かな湯と一緒に形のよい鎖骨にそっとこぼす。そして、白い手を細い肩から乳房の上まで滑らせて、華やかな香りの湯を肌にゆっくりとなじませていく。


「あぁ……ああああああぁ……。やっぱり頑固な肩こりには、フラワーハーブのお風呂が最高ね……」


 女はあえぐような快感の声を漏らし、あかい唇から長い息を吐き出した。すると不意に、サイドテーブルに置いていた手鏡に黒い魔法陣が浮かび上がり、わずかな風切り音とともに男の声が漂った。


『……失礼いたします、カルナ様』


「あら、ブリトラ」


 低い男の声を耳にしたとたん、女は軽く首をかしげて口を開いた。


「どうしたの? まだ夕暮れ前で、月が昇るのは5時間後よ?」


『はい……それはもちろん……わかっております……』


「じゃあ、なぁに? 心配しなくても、わらわの準備は整っているわよ? それともまさか、ネインが何か失敗でもしたの?」


『いえ……。ネイン・スラートは……ソフィア寮のすべての部屋に……カルナ様の魔法陣を配置しました……。これでいつでも……ティーオーエムの発動が可能です……』


「あら、そう。さすがはネインね」


 カルナは上機嫌に微笑みながら、湯船に浮かぶ花びらを1枚つまみ、パクリと食べた。


「ネインが失敗することを想定して固有結界も用意していたけど、無駄になったみたいで嬉しいわ。あとはT・O・Mを発動するだけで、わらわの悲願は確実に達成する――。ふふ。頑張ってくれたネインには、何か褒美ほうびを与えないといけないわね。わらわの婿むこに迎えてあげるのはどうかしら?」


『はい……。それは大変よいお考えかと……存じます……。ですが、その前に……問題がいくつか発生いたしました……』


「問題?」


 不意に大きく息を切らし始めたブリトラの言葉を聞いたとたん、それまでにこやかに微笑んでいたカルナの顔がわずかに曇った。


「はて? 完全無欠のバイオーンは完成したし、T・O・Mの準備もできた。今から5時間後には月が頂点に達し、この館と王都クランブルをつなぐ鏡の通路も開通する。その道を通ってわらわがソフィア寮に移動すれば、計画はすべて完了する――。この無駄のないスケジュールの、いったいどこに問題があると言うの?」


『はい……それが実は……』


 ブリトラは唾をのみ込み、疲れた声で言葉を続けた。


『ジャコン・イグバとヨッシー皆本、フウナ数見かずみの3名が……ソフィア寮316号室のシャーロット・ナクタンを拉致しました……。そして現在……ネイン・スラートが、彼女の救出に向かっております……』


「……………………はい?」


 その瞬間、湯船の中にいたカルナの首がほぼ真横に傾いた。


「えっ? ちょっと待って? ジャコン・イグバって、あの泉人族エルフでしょ? どうしてあの男がそんなことをするの?」


『理由は不明です……。ただ……このままですと……ネイン・スラートとシャーロット・ナクタンは……ジャコンに殺されてしまうものと思われます……』


「それはもちろんそうでしょう。あの男は金天位の精霊使いサモナーですもの。いくらネインが強いといっても、15歳手前の少年よ? 裏の世界で長年生き延びてきたジャコンが相手では、さすがに勝ち目は――というかっ!


 えぇーっ!? ええええええええぇーっ!?


 はぃぃーっ!? なにそれぇーっ!? えぇっ!? ちょっ!? どゆことっ!? それってめちゃめちゃ大変な事態じゃないっっ!」


 事態の急変を3テンポ遅れてようやく理解したカルナは、驚愕の声を張り上げた。そしてすぐさま湯船から飛び出して、サイドテーブルに置いていた手鏡を握りしめた。


「ちょっとブリトラぁーっ! これはいったいどういうことっ!? いったいどういうことなのよっっ!」


『はい……。これは推測ですが……ジャコンたちは……ネイン・スラートに恨みがあるように見えました……。それで、ルームメイトのシャーロット・ナクタンを人質にして……ネイン・スラートを呼び出したものと思われます……』


「はあっ!? 恨みっ!? そんなバカなっ! よっ! ネインとの接点なんか1つもなかったはずでしょうがっ!」


『はい……。私の調査では……彼らに接点はありませんでした……。ただ、ネイン・スラートが……何らかの組織に属しているという仮説が正しかったとすると……』


「組織って――ああっ! そうかっ! そういうことかっ! ジャコンたちも何らかの組織に所属していて! ネインの所属している組織と敵対している可能性があるってことねっ! あぁっ! もぉっ! ガッデムッ! これだから組織なんてキライなのよっ!」


 カルナは心の底から悔しそうに顔を歪め、サイドテーブルにこぶしを叩きつけた。


「完っ全に油断したわっ! まさかあの暗殺者どもがっ! こんな形でわらわの障害になるなんてっ!」


『それとカルナ様……。もう1つ……看過かんかできない重大な問題が発生しました……』


「はぁっ!? 重大な問題!? この想定外の非常事態より! さらに深刻な問題があるって言うの!?」


『はい……。実は……王都にが現れました……』


「――っンなっっ!? なっなっなっなっっ!? なンですってぇぇぇーっっ!?」


 ブリトラが低い声で答えたとたん、カルナは腹の底から絶叫した。


「かっかっかっかっ! 傘の魔女だとぉぅーっっ!? あンの伝説のクソババァがぁーっっ! まぁだこの世に生きていたのかぁーっっ!」


『はい……。この目で確認いたしました……』


 ブリトラの声は背後に流れる風切り音とともに、手鏡を通して途切れ途切れに漂ってくる。


経緯けいいは不明ですが……傘の魔女はつい先ほど、ジャコン・イグバと戦闘状態に突入しました……。そして、ヨッシー皆本とフウナ数見が……拉致したシャーロット・ナクタンを岩の箱に閉じ込めて……ジャコン・イグバを救出して逃走……。戦闘が発生したのは貧民街でしたが……傘の魔女が召喚した大量の真夜ダークナイト黒蛇・サーペントによって……王都の各地に甚大じんだいな被害が発生しました……』


「だっっ!? ダークナイト・サーペントだとぉぅーっっ!? あンのくたばりぞこないの凶悪魔女はぁーっっ! 伝説級レジェンダリー精霊獣・ハイネイチャーまで召喚できるのかぁーっっ! ドチクショーっっ! そんなのありえないでしょぉーっっ! なんなのよっっ! その人外じんがいの究極魔女はっっ!」


『はい……。あれはたしかに……恐るべき存在でした……』


 浴室に響き渡ったカルナの言葉を、ブリトラは低い声で肯定した。


『傘の魔女の戦闘能力は……私の想像をはるかに超えていました……。今の私が全力で戦ったとしても……おそらく一撃で消滅させられてしまうと思われます……』


「あぁっ! もぉっ! 100年以上も消息不明だったくせにっ! あの真祖の魔女はまだくたばっていなかったのかっ! 完全に計算ミスだわっ!」


『はい……。私もあの守護者の存在は……完全に失念しておりました……。そして、現在の状況はかなり深刻です……』


「……ええ、まったくそのとおりよ。あのババァは伝説の最強存在。ジャコンとの確執かくしつは不明だけど、今頃はきっと王都の全域に目を光らせて、逃げたジャコンをさがしているはず……。そうなると、今夜0時にわらわが発動するT・O・Mの気配も、ほぼ間違いなく察知されてしまうでしょ。そうしたら、わらわの悲願も一瞬で吹き飛ぶわね――」


 全裸に赤い花弁を無数に貼りつけたカルナは、宙の一点をにらみながら思考を全力で走らせた。


「……つまり現在の状況を整理すると、傘の魔女はジャコンと敵対している。そしてジャコンは今、シャーロット・ナクタンを人質にしてネインを呼び出している。そしてこのままだと、ジャコンはネインとシャーロット・ナクタンを殺害する。さらに傘の魔女は、ジャコンを必ず見つけ出して始末する――。なるほど。そうすると、打開策は1つしかないわね。それは――」


『我々の手で、ジャコン・イグバの息の根を止める――』


「それしかないでしょ」


 ブリトラが殺気のこもった声で答えたとたん、カルナも瞳の中に鋭い光を宿らせながらうなずいた。そしてすぐさま小さな鏡のついたイヤリングを耳につけて、長い赤毛をまとめていたタオルを外す。さらに濡れた体を手早く拭いて、赤いドレスに身を包み、大急ぎでメイクをしながらブリトラに言う。


「いい? ブリトラ。鍵はジャコンよ。ジャコンさえ倒してしまえば、ネインとシャーロット・ナクタンは無事にソフィア寮に戻ることができる。そして傘の魔女も手を引くはず――。それが最善にして唯一の解決策よ。問題は、わらわがジャコンのところに出向くまでの時間ね……。ブリトラ。おまえは今どこにいるの?」


『はい……。私は今……オルトリンの森に向かって飛んでおります……』


「そう。それはいい判断よ――」


 イヤリングの鏡から漂うブリトラの声を聞いて、カルナはわずかにあごを引いた。そして壁際の置き時計に視線を投げて、現在時刻を確認する。


「夕方の5時前か……。まったく……。さっきまでは暇つぶしにお風呂に入っていたっていうのに、今度は時間に追われるとはね……」


 カルナは苦み走った顔で呟いた。そしてすぐに浴室を飛び出して、足早に研究室へとまっすぐ向かう。


「――ブリトラ。この館と王都クランブルをつなげる鏡界回廊きょうかいかいろうは、月が昇り切らないとひらかない。つまり、あと5時間はかかる。しかしそんな時間の余裕はない。それでおまえは、わらわを迎えに来るつもりだったのね」


『はい……。敵はジャコンを含めた3名の暗殺者……。一方、ネイン・スラートには……腕の立つ女学生が味方をしている様子ですが……私一人が助力しても、ジャコンを倒すのは難しいと判断しました……』


「その判断は正解よ。ジャコンの手元には。アレをまとめて倒すには、わらわの『雨』が不可欠よ。それで、ジャコンの現在位置はどこなの?」


『王都郊外の北東にある……今は使われていない教会です……』


「わかったわ。わらわも今から全力でそちらに向かう。おまえは途中で合流しなさい」


『かしこまりました……。全速力でお迎えにあがります……』


 その返事を最後に、ブリトラの声は途絶えた。


「ええいっ! 薄汚い犬どもがっ! 余計な手間をかけさせてくれるわねっ!」


 早足で廊下を駆け抜けたカルナは、研究室のドアを勢いよく開け放った。さらにすぐさま壁の大きな鏡に向かい、急いで自分の姿をチェックする。


「――ぃよしっ! 香水つけた! 歯も磨いた! 髪型オッケーっ! 口紅オッケーっ! 足りないメイクは変身魔法でごまかすよっ! 下着とドレスとピンヒールもオールオッケーっ! 今日もカンペキっ! 最強美人っ! ――さあっ! わらわの明るい未来のためにっ! いざっ! 出陣っ!」


 カルナは声を張り上げながら振り返り、大きな窓に足を向けた。しかしそのとたん、ハッと鋭く息をのみ、慌てて近くのテーブルに駆け寄った。そして、オレンジ色に輝く球体がはめこまれた腕輪を手に取り、ホッと1つ息を漏らした。


「あぁ~、危ない、危ない。バイオーンを忘れるところだったわ。これを持って行かなかったら、お財布を持たずに買い物に行くようなものだからね」


 カルナは左の手首に腕輪をはめて、大きな窓を開け放つ。そして窓から外に飛び出し、石畳の道を早足で歩きながら魔法を唱える――。


「さあっ! 行くわよっ! 第6階梯やみ魔法――魔影転移シャドウホールっ!」


 その瞬間、カルナの足下あしもとに漆黒の魔法陣が発生し、カルナの姿がかき消えた。その直後、オルトリンの森の中に黒い魔法陣とカルナの姿が同時に現れた。さらにカルナは足を止めることなく森の中を進みながら、再び同じ魔法を唱えて空間を跳び越える。そうして瞬間移動を何度も繰り返し、ようやくオルトリンの森の外にある街道に到着した。


「……やっぱり、けっこうきついわね」


 魔法を連続で使ったカルナは息を切らしながら、人通りがない土の道を西に向かってまっすぐ進む。


「このオルトリンの地から、王都クランブルまではおよそ600キロ……。そして魔影転移シャドウホールの移動距離は、1度で約1キロ……。つまり、あとたったの600回で到着ね……」


 夜の手前の紫色に染まった空の下、カルナは顔面に暗い影を落としながら呟いた。そしてすぐに奥歯を噛みしめて気合いを入れて、再び転移魔法を連続で唱える。しかし――。


「……もうムリっ!」


 62回目の移動魔法を唱えた直後、カルナは額から流れ落ちる汗を手で拭いながら足を止めた。


「第6階梯魔法を600回連続ってっ! アホかぁーっ! そんなのムリに決まっているでしょうがぁーっ! ぜったいムリィーっ! ムリムリムリぃーっ! でもがんばるっっ! ――魔影転移シャドウホールっ!」


 カルナはさらに50回連続で瞬間移動した。しかし51回目の魔法を唱えようとした瞬間――地面に四つん這いになり、胃の中のモノをすべて吐き出した。


「もぉ……むり……。ほんと……もぉむり……」


 下を向いたカルナの顔面は汗だくで、無数のしずくが鼻の頭からしたたり落ちる。その大地に染み込んでいく汗のしずくを、カルナは肩で呼吸を整えながら見下ろした。


 カルナはすでに限界近くまで精神力を振り絞り、魔影転移シャドウホールを唱えてきた。しかしそれでも、移動距離はまだ100キロと少し――。その厳然たる事実に、カルナの心は深い絶望に染まった。


 だが――。


 それでもカルナは唇を噛みしめてフラフラと立ち上がり、震える足で前に進んだ。


「こんなの……ほんと……ぜったいむり……。でも……わらわはぜったい……あきらめない……。こんな――こんな程度の苦しみでっ! 簡単にあきらめるようなっ! 甘い決意で魔女になったんじゃないんだからぁーっっ! だからぁーっっ! 魔法遮断陣マギアブレーカー・限定解除っっ! 魂のすべてを燃やしてでもぉーっ! わらわは前に進みつづけるっっ! いくわよぉーっっ! ――魔影転移シャドウホールっっ!」


 すでに星がきらめき出した暗い空の下、カルナは白いこぶしを握りしめ、魂に刻んだ精神保護魔法マギアブレーカーを解除した。そして再び連続で移動魔法を唱えまくる。


 しかし――今度は42回目で力尽きて、夜の冷たい大地に倒れ込んだ。


「……9歳だったのよ。わらわは……たったの9歳だったのよ……」


 カルナは土の道に爪を立てて顔を上げ、はるか彼方にある王都クランブルをにらみつけた。


「そんな子どもから……やさしいお父さまとお母さまと……そしてお兄さまたちを奪ったヤツらは……なにがあろうとぜったいにゆるさない……。どれだけの時が過ぎ去ろうと……わらわの故郷……オルトリン王国を滅ぼしたヤツらは……1人残らずころしてやる……。そして……」


 カルナはこぶしを固く握り、手のひらに爪を食い込ませた。そして赤い血を流しながらゆっくりと立ち上がり、暗い天に向かって吠えた。


「――エイブリムっ! テルミナルっ! エルバイラっ! エイドロスっ! エグワイトっ! そしてぇーっ! ルシーラ・ポラリスっっ! あなたたちの恨みと憎しみはーっ! っ! このわらわが絶対に晴らしてみせるっっ! たとえこの身が切り裂かれっ! 砕け散りっ! ゴミのように朽ち果てようとっ! この復讐だけは絶対に成し遂げるっっ! だからぁーっっ! ――魔影転移シャドウホールっっ!」


 カルナは魂に刻まれた闇の怒りを一気に燃やし、疲れ果てた心を奮い立たせた。そして口から血のしぶきを吐き出しながら、移動魔法を連続で発動した。


 しかしそれでも、精神力には限界があった――。カルナは37回目の魔法詠唱で力尽き、夜に染まった大地の上に転がった。


 するとその時、空から黒い影が急降下してカルナのそばに降り立った。それは黒い執事服に身を包み、影で作った黒い翼を背中に生やしたブリトラだった。


「――カルナ様。大変お待たせ致しました」


「……ブリトラか」


 カルナは土の地面に横たわったまま、ブリトラの黒い翼に力のない瞳を向けた。


「第4階梯悪魔あくま魔法の魔性黒翼デビルウイング……。王都からここまで飛んでくるのは、上級悪魔ハーモンのおまえといえど、さすがに疲れたでしょ……」


「はい……。どうやらカルナ様も、魔法遮断陣マギアブレーカーを解除されたご様子ですね……」


 ブリトラは顔から汗を雨のように垂らしながら、疲れ切った声で答えた。


「ですが、私の方はまだ少しばかり魔力が残っております……。どうぞ、ご命令を……」


「……そう。それじゃあ、交代で魔力を回復しながら移動するわよ……」


「かしこまりました」


 カルナが弱々しい声で指示を出すと、ブリトラはうやうやしく頭を下げた。そしてすぐにカルナを抱き上げて空へと飛び立ち、王都クランブルに向かって全力で飛翔する。しかし、しばらくするとブリトラの魔力も底をついた。


「それでは、次はわらわの番ね……」


 ブリトラが大地に降り立つと、今度はカルナが魔影転移シャドウホールを連続で使用する。そうして2人は交互に休憩を取りながら、ひたすら西へと向かっていく。


 そしてついに、夜空を高速で飛ぶブリトラの瞳が、びた鉄の門の前に立つ少女たちの姿を捉えた。長い黒髪を頭の後ろで結わえた少女と、金色の髪を頭の左右で短い房にした少女だ。


「……カルナ様。ヨッシー皆本とフウナ数見かずみを目視で確認いたしました」


「ごくろう……。気づかれないうちに地上に降りてちょうだい……」


「かしこまりました――」


 ブリトラはすぐに暗い森の中に降り立ち、抱いていたカルナをそっと木陰に座らせる。するとカルナは血の気の失せた青い顔で木に寄りかかり、2人の少女を遠目に眺めながら息を吐いた。


「あぁ……なんとか生きてたどり着けたみたいね……。でも、もぉダメ……。ほんともぉダメ……。疲れすぎて、死にそうだわ……」


「はい……。私も少し、意識が遠くなりかけました……」


 ブリトラも疲れ切った顔で言葉を漏らし、そのまま地面に倒れて横たわった。


「お見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ございません……」


「大丈夫よ……。そのまま少し休んでいなさい。それで、あの2人の小娘以外はどこにいるの……?」


「はい……。上空から見た限りですと、ジャコン・イグバとシャーロット・ナクタンは奥にある教会の前庭にいました。ネイン・スラートは――ちょうど今、姿を現しました。どうやら連れが2人いる様子です……」


 ブリトラは倒れたまま目を凝らし、広い空き地に入ってきたネインと2人の女性を見つめながら報告した。


「そう……。ということは、ギリギリで間に合ったようね……」


「はい……。ですが、こちらの魔力と体力は限界です。この状態で戦闘に参加するのは不可能と思われます……」


「たしかにそうね……。だけど――それでも今夜だけは、不可能を可能にするしかないでしょ」


 カルナはブリトラに答えながら、目に力を込めた。そしてヨッシーたちの手前で足を止めたネイン一行いっこうを観察する。


「……遠くてよく見えないけど、ネインと一緒に来た2人は誰なの?」


「長い黒髪の方は、ソフィア寮の315号室に住むジャスミン・ホワイトです。もう1人も学生服に身を包んでいますが、そちらは青蓮せいれん騎士団の団長クレア・コバルタスです」


「う~ん、暗くて誰が黒髪なのかわからないんだけど」


「失礼いたしました……。ヨッシー皆本と言葉を交わしているのがネイン・スラートです。そして、彼の後ろに立つのがクレア・コバルタスになります……」


「そう。あれがコバルタスのできそこないね」


 堂々と胸を張って立つクレアを、カルナは遠目に眺めて鼻で笑った。


「まあ、ジャコンは青蓮騎士団の半数を壊滅させた男だから、コバルタスの人間なら自分の手で殺したいと思うのは当然でしょ。だけど、ジャスミン・ホワイトはどうなの? あの娘はただの留学生だと聞いていたけど、この場に顔を出すということは、どうやら一般人ではなかったようね」


「はい。ジャスミン・ホワイトとヨッシー皆本の戦闘を見ましたが、彼女の実力はかなりのものでした。距離が離れていたので能力の詳細までは確認できませんでしたが、彼女はおそらく黒天位こくてんいクラスの騎士と思われます」


「なるほど、黒天位こくてんいか……。つまりジャスミン・ホワイトは、クレア・コバルタスを支援するために、コバルタス家がひそかに手配した手練れというところね……。だったら問題はないでしょ」


 カルナは淡々と呟きながら、赤いドレスについた土や砂を丁寧にはたき落とした。


「それで、ブリトラ。魔法は何回ぐらい使えそう?」


「今の状態ですと、おそらくあと2、3回が限度かと……」


「そう。まあ、わらわも同じようなものだけど、ジャコンさえ排除すればわらわの悲願は達成される。だから、あとのことは考えずに残った力をここですべて使い尽くすわよ。――魔法使いマギアスキル、精神集中コンセントレーション魔女ヘクセンスキル、悪魔活性デビルアクティビティ


 カルナは胸の前で両手を組んで、職業スキルを連続で使用した。精神集中コンセントレーションで自身の魔力回復を加速させて、さらに悪魔活性デビルアクティビティでブリトラの能力を向上させるためだ。


「かしこまりました。それでは私も全力を振り絞ります。――悪魔権能あくまけんのう大罪邪心モータルビーイング


 カルナの支援スキルで悪魔の能力が活性化したブリトラは、ゆっくりと立ち上がって姿勢を正した。そして瞳の中に漆黒の炎を燃やしながら悪魔の専用スキルを発動させて、魔力の回復力をさらに高めた。


「これでしばらくすれば、それなりに戦える魔力が回復すると思われます」


「そうね。わらわとおまえで交互に魔法を使用すれば、ジャコンが相手でもなんとか戦えるでしょ。あとはもう、ハッタリで押し切るわよ。第1階梯魔女まじょ魔法――妖艶魔性ビューティーケア


 カルナは髪型を丁寧に整えてから魔法を唱え、汗で崩れたメイクを一瞬で元に戻した。そしてふらつく足で立ち上がり、木のみきに寄りかかりながらブリトラに言い放つ。


「さあ、ブリトラ。わかっていると思うけど、どんなに苦しい状況でも、それを誰にも悟らせないのが本物の魔女よ。だからおまえもわらわの契約悪魔なら、たとえ今夜こんやここで命を散らすとしても、最後の最後までカッコつけてから死になさい。具体的に言うと、『おう、余裕で勝てると思ったのに、ちょっと油断したせいで負けちゃったぜ』――って相手に思わせるのが絶対条件よ」


「はい。ご命令、たしかにうけたまわりました」


 澄ました顔で命を捨てろと命じたカルナに、ブリトラはうやうやしく頭を下げた。


 するとその時、夜の大気に鈍い音が響き渡った。カルナとブリトラが反射的に目を向けると、いつの間にか発生していた大きな石の壁に激突したクレアが、大地に倒れる姿が見えた。


「あらあら。どうやらすでに、前哨戦ぜんしょうせんが始まっていたようね」


 カルナはドレスの尻をはたいて汚れを落としながら、すぐに立ち上がって走り出したクレアを眺めた。


「だけどあの様子だと、クレア・コバルタスはもうすぐ死ぬわね。ならば、わらわたちの出番はそのあとよ。おまえも人前に出る時は、全力でスカした顔を作りなさい。あくまでもクールに、そして、これ以上ないほど優雅にいくわよ」


委細いさい承知いたしました――」


 ブリトラも執事服の汚れを払い、えりを正して返事をした。すると、フウナの風撃魔法を受けて猛烈な勢いで吹っ飛んだクレアが、再び石の壁に激突して動きを止めた。


「カルナ様。どうやらクレア・コバルタスが意識を失った様子です」


「ぃよしっ! ナイスタイミングっ!」


 カルナはこぶしを握りしめ、倒れたクレアに駆け寄るネインを見つめながらニヤリと笑う。


「ふふ。味方が減った今がチャンスね。この状況でわらわが颯爽さっそうと助けに駆けつければ、ネインの中のわらわの評価は爆裂急上昇まちがいないでしょ」


「はい。おっしゃるとおりでございます」


 ブリトラはカルナに近づき、赤いドレスの襟元えりもとすその形を整えた。


「それではカルナ様。私は影の中で控えております」


「そうね。おまえはしばらく魔力の回復に専念しなさい」


 カルナの指示を受けたブリトラはうやうやしく頭を下げた。そしてすぐに黒い影に変化して、カルナの足元に姿を消した。


「――よしっ! 舞台はすべて整ったっ!」


 再びヨッシーの前に足を運んだネインを眺めながら、カルナは大きく息を吸い込んだ。そして、青い妖刀を抜いたフウナが風を集め始めたとたん、カルナは片手を上げて優雅なポーズを決めながら、魔法を唱えた。


「ここがおそらく最後の難関っ! ならばこの試練を切りひらきっ! ! その最初の第一歩をっ! わらわは今っ! 歩き出すっ! さあっ! いくわよブリトラっ! 第6階梯やみ魔法――魔影転移シャドウホールっっ!」



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