インタールード――side:ジャコン・イグバ

第93話  この残酷な幻想世界で生きていくつもりなら――クルオルガール&マン・イン・ザ・ダーク


 降りしきる雨の中、傘をさした2人の少女が黙々と歩いていた――。


 それは長い黒髪を頭の後ろで結わえた少女と、金色の髪を頭の左右で短い房にした少女だった。日暮れ間近の薄暗い空の下、少女たちは濡れた石畳の道を時折曲がりながら進んでいく。そして、ところどころ崩れかけた石の家が並ぶ狭い路地を通り抜け、人の気配のない広場に足を踏み入れた。しかしそのとたん、2人は思わず顔をしかめた。


「うわぁ……なに、この匂い……」


 金色の髪の少女が鼻をつまむと、黒髪の少女も険しい顔で周囲を見渡しながらうなずいた。その広場には大量のゴミが散乱し、かなりの悪臭が漂っていたからだ。


「これは、けっこうキツイわね……」


「ねぇ、ヨッシー。ジャコンって人、ほんとにこんなところにいるのかなぁ? ここ、人間の住むところじゃないと思うんだけど」


「さぁ。ザジさんが言ってたから、そうなんでしょ」


 金髪少女の質問に、黒髪少女は半信半疑の顔でそう答えた。


「とにかく、ここはけっこう広いから手分けして捜すわよ。フウナは時計回りね。私は奥に見える建物の方を見てくるから」


「あいあい、りょーかい」


 ヨッシーの指示と同時にフウナは諦め顔で肩をすくめ、人の背丈ほどに積まれたゴミの山の方へと向かっていく。


 ヨッシーもフウナの細い背中をちらりと見てから、ゴミの間にできた道を歩き出す。そして左右を眺めながら、再び顔を曇らせた。そこには大量の残飯やガラスのビン、破れた服や首のない人形、砕けた食器や壊れた戸棚など、ありとあらゆるモノが今にも崩れそうなほど積み上げられていたからだ。


「まったく……。人間ってのはどこの世界でも、はどうでもいい生き物みたいね……」


 ヨッシーは、かつて住んでいたゴミだらけの星を思い出しながら、呆れ果てた息を漏らした。


「大量にモノを作って、大量に消費して、大量のゴミを出す――。100億の人間が無制限にそんなことをしていたら、地球全体が汚くなって当然でしょうが……。ほんと、地球人ってのは、腐ったクズどもばかりなんだから……」


 ヨッシーは自分のことを棚に上げてうんざりしながら、転がる汚物おぶつや水たまりを避けて進んでいく。そして広場のはしにある石造りの建物の前で足を止めて、顔を上げた。


 それは一般的な住宅より一回り以上も大きな、3階建ての建造物だった。しかし、3階部分は半分以上が崩れていて屋根がなく、壁には大きなひびが走っている。さらに、目につくところの窓はすべて割れていて、入口にはドアすら見当たらない。


「これは公民館みたいなものかしら……? まあ、今は完全に廃墟みたいだけど」


 ヨッシーは大きな水たまりを避けて歩き、建物の中に足を踏み入れた。すると薄暗い通路の奥に光が見えた。どうやら扉のない部屋から、灯りが漏れているようだ。


 ヨッシーは腰の刀に右手を添えて、足音を殺しながら光の方へと進んでいく。そして壁に身を隠しながら中を覗いてみると、そこは狭い部屋だった。石の壁で囲まれた室内には粗末なベッドとサイドテーブルだけしか見当たらず、床にはワインのビンが何本も転がっている。そしてベッドの上には、灰色の髪の男が目を閉じて横になっていた。


(長い耳……。ということは、あの人がジャコン・イグバね……)


 ヨッシーは中年男性の耳を見て、すぐに泉人族エルフだと気がついた。しかし次の瞬間、思わず体がビクリと震えた。ベッドの上の男がいきなり口を開いたからだ。


「……俺に客とは珍しいな」


(うそ……。気配は完全に消したはずなのに……)


 ヨッシーは顔を引っ込めるかどうか一瞬迷った。しかし男がゆっくりと体を起こし、ベッドに腰かけて手招きしたので隠れるのは諦めた。今さらそんなことをしても意味がないのは明らかだったからだ。


「この広場は俺の結界だからな。おまえらが足を踏み入れた時点で殺すこともできた。転生者管理官ゲームマスターの名前を口にしたのは運がよかったな」


「……そう。全部お見通しってわけね」


 男の言葉を聞いたとたん、ヨッシーは観念した。そして両手を軽く上げながら部屋に入り、壁を背にして立ち止まった。


「私はヨッシー皆本。連れの子はフウナ数見かずみ。あなたがジャコン・イグバさんですか」


「久しぶりに、けっこういい夢を見ていたんだがな……」


 ヨッシーは念のために本人確認をしようとしたが、ジャコンはヨッシーの言葉を軽く無視して床の上に手を伸ばした。そして転がっていたワインのビンを手に取って、残っていた中身を飲み干した。


「……おまえ、泉人族エルフの村に行ったことはあるか?」


「えっ?」


「エルフってのは、森の泉を中心に村を作るんだよ――」


 不意の質問にヨッシーは呆気に取られて言葉が出てこなかった。しかしジャコンはヨッシーの反応を気にすることなく、自分の言いたいことだけを一方的に語り続ける。


「俺が転生したこの体は、人間の街で孤児になっていた子どもだった。だから俺がエルフの村を目にしたのは、転生してから何年もあとのことだ。……まあ、エルフっていっても、見た目も中身も人間とほとんど同じだからな。森の奥にある村だって、べつに珍しいモノは何もない。だが、野暮やぼな人間たちの手が入っていない森というのは、これぞまさに幻想世界ファンタジーって感じの美しい土地だった。そして俺は、その美しい村で生まれ育ったエルフの娘と結婚した――」


 ジャコンは空になったワインボトルを床に置き、両手を組んで息を吐いた。


「……リーンは華奢きゃしゃな女だったが、娘を3人も産んでくれた。エルフってのは男も女も美人が多いからな。アミもサナもミミも、本当にかわいかった。こんな薄汚い俺の血を受け継いだとは思えないほど、純心な娘たちだ。……だが、イグタリネ王国の魔法戦団が俺を軍隊に連れ戻そうとして、俺の村を焼き払った。それで妻と娘たちは殺された」


 静かに語るジャコンの話を聞いて、ヨッシーは思わずこぶしを握りしめた。自分も家族同然の仲間たちを殺された。だから、ジャコンの怒りと悲しみが痛いほどよくわかった。


「……なぁ。おかしな話だと思うだろ? 俺を軍隊に戻すために俺の家族を殺すなんて、どういう思考回路ロジックなのか何年たっても理解できない。だけどな、世の中ってのはそういう狂った考えがけっこうまかり通るもんなんだよ。なんでだかわかるか?」


「……わかりません」


 ヨッシーは数秒ほど考えて、すぐに首を横に振った。するとジャコンは自分の額をつつきながら、淡々と言葉を続けた。


「人間ってのは、見た目がよく似ていても、頭の中はまったく違うからだ」


「頭の中が、まったく違う……?」


「そうだ。人間ってのは、い人間と悪い人間にわかれるワケじゃない。まともな人間と狂った人間にわかれるんだ」


 思わず小首をかしげたヨッシーに、ジャコンは声に力を込めて言い切った。


「そして、狂ったバカほど声が大きく、周囲に狂気をまき散らす――。そういう頭の狂ったヤツの過激な思想ってのは伝染病みたいなもんだからな。


 地球でもそうだっただろ?


 組織のトップに立つ人間は権力を振りかざし、弱い立場の人間を強引に従わせる。ネット上では、むきになって他人を叩くクズどもが、臆病なカスどもを強引に黙らせる。そうして腐った思考が社会に蔓延まんえんすれば、どんなに理不尽なことだってまかり通るんだ。


 しかもこっちの世界は教育水準レベルが低いからな。暴力装置の軍隊なんて、上から下までバカばっかりだ」


「……だから、魔法戦団を全滅させたんですか?」


「そういうことだ」


 ジャコンはヨッシーの顔に指を向けてうなずいた。


「おまえらがこの広場に来るまで、俺はあの日の光景を夢で見ていた。いい気分だったぜ。戦う力のないエルフたちを、ヤツらは一方的に殺しまくった。そのクソみたいな魔法使いどもを、俺が一方的に虐殺してやったんだ。あの時はほんと、胸がスッとしたよ。達成感と充実感で心の中が満たされたぜ。……だけどな、夢からめちまうと、俺の中はカラッポなんだよ」


 ジャコンは小さな息を1つ漏らし、足元に置いた空のワインボトルを軽く蹴った。その転がるビンにヨッシーは目を落としながら、申し訳なさそうに口を開いた。


「……すいません。私たち、邪魔しちゃったみたいですね……」


「ようやくわかったか」


 ジャコンは再びヨッシーに目を向けて、淡々と吐き捨てた。


「わざわざこんなゴミだらけの広場に住んでいるってことは、誰にも会いたくないって意思表示だ。そんなこともわからんバカの相手なんかやってられるか。だから、この先の言葉には気をつけろ。下手なことを言えば、即座に跡形もなく食い殺す――。わかったか」


「は……はい……」


 ジャコンは瞳の中に鋭い殺気を込めてヨッシーに言い放った。その瞬間、ヨッシーはビクリと震え、慌てて首を縦に振った。


「わ、私たちは、ザジさんの指示を伝えるために来ました」


「断る。帰れ」


 ヨッシーはわずかに震える声で訪問の理由を口にした。しかしそのとたん、ジャコンは話も聞かずに手首を払った。


「俺はやりたくないことはやらない主義だ。そして今は何もする気がしない。性根しょうねの腐った貴族どもをぶっ殺すってんなら話を聞かないこともないが、どうせそんな話じゃないんだろ?」


「それは、その……」


 ジャコンの揺るぎない意志を目の当たりにしたヨッシーは、思わず言葉に詰まってしまった。しかしすぐにこぶしを握り、瞳の奥に力を込めた。


(私だって、遊びでこんなところに来たわけじゃない……。男子たちを殺したヤツを捜すには、このエルフの協力が必要だ……。だから、ちょっとやそっとのおどしで引き下がるわけにはいかないんだから)


 ヨッシーは仲間の死を燃料にして、怒りの炎を燃やしながらジャコンをまっすぐ見返した。


「これはジャコンさんにも関係のある話です。この国に、転生者を狙って、殺しているヤツらがいます」


「ほう……?」


 その言葉を聞いたとたん、ジャコンは興味深そうな顔で人差し指をクルクル回した。続きを話せという合図だ。それと察したヨッシーは1つうなずき、話を続けた。


「この2か月ほどの間に、転生者が7人も殺されました。そして、そのうちの5人は私の仲間です。これはおそらく、転生者に対抗する組織の仕業だろうとザジさんは見ています。それで今は、その組織を特定するために情報を集めているところです」


「なるほどな……。おまえが転生者管理官ゲームマスターの使い走りをしているのは、仲間を殺したヤツを見つけたいからか。それで、その仕事を俺にも手伝えって言いに来たんだな?」


「はい」


 ヨッシーがあごを引くと、ジャコンは胸の前で腕を組み、少しのあいだ考え込んだ。


「……つまり、わざわざ俺のところに話をもってくるってことは、おまえらみたいな小娘には任せられない具体的な仕事があるってわけか」


「そういうことです――」


 ジャコンが状況を分析して呟くと、ヨッシーは腰に下げた小さな革袋から白銀のコインを取り出してジャコンに向けた。


「今までの調査で、このゲートコインを調べている人間の存在が判明しました。ザジさんはその人間を監視して、転生者に敵対する組織の全容を探ろうとしています。ただ、中央大陸を管理する女神エタルナが、早く結果を出すように求めてきたので――」


「それで俺の出番ってわけか」


「はい。私たちでは、その、がないので……」


「どうやらそうみたいだな――」


 ジャコンはヨッシーの頭の横に目を向けて、納得顔でうなずいた。


「おまえのステータスからすると、転生して1年ってところか。そんな高校生に毛が生えた程度の子どもなら仕方ないだろ。だが、転生者管理官ゲームマスターなら話は別だ。わざわざ俺の手を借りなくても、情報を引き出すことぐらいできるはずだ」


「それが実は、ちょっとした事情でザジさんはその人間に手が出せないので、ジャコンさんに任せたいって言ってました」


「はあ? なんだよ、そのちょっとした事情ってのは」


「それは話してもらえませんでした」


 ジャコンに訊かれたヨッシーは軽く肩をすくめて答え、ゲートコインを腰の革袋に戻した。するとジャコンは渋い顔で頭をかいて、ため息とともにうなずいた。


「まったく、しょうがねぇなぁ……。なんだか面倒くさそうな話だが、女神が絡んでいるとなると、さすがに無視するわけにもいかないか……」


「それじゃあ」


「ああ。引き受けてやるよ」


 ジャコンは淡々と答えてベッドから立ち上がり、壁にかけていたフード付きのローブを手に取った。


「……それで? その仕事とやらは、いつまでにやればいいんだ?」


「できるだけ早い方がいいそうです」


「そうか。それじゃ、明日の昼間だな」


「え? お昼?」


 ヨッシーは思わず呆気に取られてパチクリとまばたいた。ザジが依頼したを、まさかそんな時間に実行するとは夢にも思っていなかったからだ。しかしジャコンは当然といった顔でローブを羽織り、さらに言った。


「べつにおかしな話じゃないだろ。夜中に出歩くヤツは少ないから、警備兵に姿を見られたら怪しまれる。しかし、昼間だと誰も怪しまない。闇ってのは、太陽の下でも目立たないモンだからな」


「闇、ですか……」


 ヨッシーはゴクリと唾をのみ込んだ。話しながらわずかにわらったジャコンの顔が、本当に闇の化身に見えたからだ。


(これが、長年生き延びてきた転生者の顔ってわけね……)


 ヨッシーはジャコンの中に自分の未来を垣間かいま見た気がして、思わず眉間にしわを寄せた。そのヨッシーの険しい顔に、ジャコンは指を向けて命令した。


「それじゃ、おまえらは明日の昼にここに来い」


「えっ? 私たちも行くんですか?」


「当たり前だ。こっちはやらなくていい仕事をやってやるんだ。道案内と相手の確認ぐらいはおまえらがしろ。それに――」


 ジャコンはサイドテーブルの下に手を伸ばし、肩掛けカバンを拾い上げた。


「これはいい機会だ。この残酷な幻想世界ファンタジーで生きていくつもりなら、おまえも勉強しておいた方がいい。俺がのか、その目でしっかり見ておくんだな」


「どうやってって……」


 その瞬間、ヨッシーは思わずあとずさった。ジャコンが口にした言葉の奥に、何か得体の知れない恐怖を感じたからだ。そんなヨッシーを見てジャコンは軽く鼻で笑い、カバンを肩にかけて歩き出した。


「それじゃ、俺はちょっと出かけてくる。おまえらもさっさと帰れ」


「え? どこに行くんですか?」


 自分の横を通り過ぎたジャコンに、ヨッシーは反射的に声をかけた。するとジャコンは首だけで振り返り、邪悪な笑みを浮かべてみせた。


「ワインを買っておくんだよ。のあとは、酒が飲みたくなるからな――」






***



・あとがき


本作品をお読みいただき、まことにありがとうございます。


参考までに、明日の投稿時間をこの場に記載いたします。


引き続きご愛読いただけますよう、どうぞよろしくお願いいたします。


2019年 1月 26日(土)


第94話 01:05 運命の日の始まり――

第95話 08:05 錬金術師と白天の闇――

第96話 13:05 嵐の前の、約束のこぶし――

第97話 18:05 たとえこの街を灰にしてでも――

第98話 21:05 押し寄せる狂気――その1



記:2019年 1月 10日(木)

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