第47話  光と闇と、魔女と悪魔――カエンドラ&オルトリン


 晴れ渡った青空の下、誰もいない裏通りを歩いていた若い男が、小さなクシャミを1つした――。


 それは全身水浸しのネインだった。ネインは髪や服から水滴を垂らし、石の道に濡れたブーツの足跡を残しながら歩いている。そしてそのままワインボトルをかたどった鉄の看板の店に向かい、ドアを開けて中に入る。するとすぐに、軽い驚きを含んだ男の声が漂った。


「――あぁら、ネインちゃん。どうしたの? そんなにずぶ濡れになっちゃって」


「……こんにちは、カイヤさん。すいませんが、ちょっと暖炉で体を乾かしてもいいですか?」


「ええ、もちろんいいわよ。ほら、早く中に入って」


 短い髪を紫色に染めたカイヤは暖炉の方に手を向けてネインを促し、カウンターで読んでいた分厚い魔法書にしおりを挟む。それから店の奥に顔を向けて声を飛ばした。


「ユルメちゃぁーん! ちょっと大きめのタオルを持ってきてぇーっ!」


「……はぁ~い、わかったのだぁ~」


 カイヤの声が響いたとたん、店の奥から間延びした少女の声が返ってきた。しかしその直後、何やら大きなモノが立て続けに倒れる派手な音が響き渡った。さらに何かに怒鳴るユルメの声と、慌ただしく走り回る足音が終わることなく飛んでくる。


「まったく……。どうしてタオル1枚で、あんなに騒々しくできるのかしら……」


 カイヤは思わず額に手を当てて、ため息を吐いた。それから暖炉の前に立ったネインに声をかける。


「それじゃあ、アタシは替えの服を持ってくるから、少し待っててちょうだい」


「すいません。ご迷惑をおかけします」


「いいのよ、これぐらい。あっちに比べればかわいいものよ」


 軽く頭を下げたネインに、カイヤは背後から飛んでくる騒がしい音を指さしながら肩をすくめた。そして店の奥に姿を消すと、入れ替わりに長い桃色の髪の女の子が飛び出してきた。上等なえんじ色のメイド服を着た少女悪魔――ユルメだ。


「うげっ! ネインだぁっ!」


 ユルメはネインを見たとたん、あからさまに不愉快そうな顔をした。そして渋い表情のままネインに近づき、タオルを押し付けるように手渡した。


「ほら、タオル。わざわざうちさまが持ってきてやったんだから、ありがたく受け取るがよい」


「悪いな、ユルメ。助かるよ」


「ふん。オトコのくせにおもらしするなんて、みっともないんだからなっ」


 ネインが礼を言うと、ユルメはネインの足下を指さした。つられてネインが目を落とすと、服から垂れた水滴が小さな水たまりを作っていた。


「……そうだな。次からは気をつけるよ」


「ふん。オトコのくせにヘラヘラ笑うなんて、みっともないんだからなっ」


 ユルメの的外れな指摘に、ネインは思わず苦笑しながら謝った。するとユルメは軽く頬を膨らませてネインをにらみ上げる。そのとたん、ユルメの小さな頭をカイヤの大きな手がそっとなでた。


「こぉら、ユルメちゃん。ネインちゃんに感じの悪い態度をとったらダメでしょ」


「え~、なんで~? うちさまコイツ、キライなんだけど~」


「ひとに嫌いって言うと、自分も嫌われちゃうからよ。そうするとお互いにもっと嫌いになって、仲直りができなくなるでしょ?」


「べつにうちさま、コイツと仲なおりなんかしたくないんだけど……」


「でも、ネインちゃんと仲良くしておくと、いろいろお土産を持ってきてもらえるわよ?」


「えっ!? うそ! ほんと!? じゃあ仲よくするっ!」


 カイヤの言葉を聞いたとたん、ユルメの顔がパッと輝いた。さらにユルメはネインの手を小さな両手で握りしめ、期待のこもったまなざしでネインを見上げる。


「あのねっあのねっ! うちさま、おみやげはケーキがいいっ! あと、お肉っ! 血まみれの新鮮なやつっ! それ持ってきたら仲よくしてやるからなっ!」


「そ、そうか……。それじゃあ、次は何か買ってくるよ」


「ひゃああああああ~っ! おまえいいヤツっ! おまえいいヤツだったんだなっ! ほめてつかわすっ! たのしみに待ってるからなっ!」


 ネインが再び苦笑しながら答えると、ユルメは歓喜の声を張り上げた。その様子を見てカイヤも頬を緩めながら、持ってきた着替えをネインに手渡す。ネインはすぐにその場で濡れたシャツとズボンを脱ぎ、暖炉の前の台にかけて干す。すると不意にユルメが首をかしげてネインに訊いた。


「……なぁなぁ、ネイン。なんだぁ? その首にかけているヤツ」


「ん? これのことか?」


 ネインは真紅のネックレスを首から外し、ユルメに向けた。


「これはガッデムファイアだ。なんというか、お守りみたいなもんだな」


「へぇ~、お守りかぁ~、なかに火がはいってて、なんかきれいだなぁ……」


「気に入ったのか? だったら、服が乾くまで持ってていいぞ」


 澄んだ朱色の炎をうっとりと見つめるユルメの首に、ネインはガッデムファイアをかけてやった。すると水晶の中の炎は漆黒に染まり、わずかに黄金のきらめきを放ち始める。


「うっひゃあーっ! なにこれぇーっ! 黒い炎がキラキラしてるぅーっ!」


 その炎を見たとたん、ユルメは再び歓喜の声を張り上げた。そしてすぐさま近くの椅子に飛び乗って座り、ガッデムファイアを目の前につまみ上げて興味深そうに見つめ始める。すると不意にドアチャイムが小さく響き、ローブ姿の男が店に入ってきた。


「……よぉ。また安いワインを2本くれ」


 ローブの男はフードを脱ぎながら低い声でそう言うと、カイヤの前で足を止めた。そして下着姿のネインと、その隣に立つカイヤを交互に見てさらに言う。


「あー、なんだ。悪いな。お楽しみの最中だったか?」


「ええ、そうよ。なんだったら、一緒に混ざる?」


「ほほう。そいつはなかなか面白い冗談だ」


 カイヤの軽口に、男は灰色の短い髪をかき上げながらニヤリと笑う。それからカウンターの椅子に座り、暖炉の前の濡れた服とネインを見ながら口を開く。


「どうした。水遊びにはまだ早いだろ」


「えっと……女の子が水路に落ちたので助けてきました」


 ネインは男の長い耳を見つめながら、淡々と答えた。


「ほぉ、人助けか。見かけによらず、熱い心を持っているみたいだな。そんじゃあ――」


 ネインの言葉を聞いたとたん、男は感心した顔で口笛を軽く吹き鳴らした。それから肩掛けカバンに手を突っ込み、取り出したガラスのビンをネインに向かって放り投げる。ネインは反射的に空中で受け止め、ビンの中に詰まった無数の茶色い塊を見て首をひねった。


「これは……?」


「そいつはアメだ。俺はそういう人助けの話もけっこう好きだからな。久しぶりにいい話を聞かせてもらった礼だ。遠慮せずに取っておけ」


 男の言葉に、ネインは思わず隣のカイヤに目を向けた。するとカイヤは、上品に微笑みながら1つうなずく。


「……そうですか。それではせっかくですので、ありがたくいただきます」


 ネインは男に向かって頭を下げて、ビンを背負い袋の中に突っ込んだ。それからタオルで濡れた髪を拭き始める。同時にカイヤは奥に向かって歩き出し、大きな木の箱から2本のワインを取り出して、男の前にそっと置いた。


「ネインちゃん。こちらはジャコン・イグバさん。例の情報を持ってきてくれた人よ」


「え? それじゃあ、あなたが魔女の情報を教えてくれた人なんですか?」


 ネインは軽く目を見開いて中年の男を見た。すると男の方もパチパチとまばたきしながらネインを見つめ返している。


「おいおい、嘘だろ……。マジかよ。まさかこんな子どもが魔女の情報を集めていたって言うのか?」


「ええ、そうよ。ネインちゃんは、ちょっとワケありだからね」


 驚きを隠せないジャコンを見て、カイヤはやはり上品に微笑みながら4つのカップに茶をいれた。そして暖炉の前のテーブルにネインとユルメの分を置き、カウンターに自分とジャコンのカップを置いて腰を下ろす。


「ワケありねぇ……。そいつはまた、ずいぶんと興味深そうな話だな」


 ジャコンは熱い茶を一口すすり、それからネインに声をかける。


「……あー、ネインっていったな。よかったら、おまえが魔女を探す理由を聞いてもいいか?」


「え? それはまあ、別にかまいませんけど……」


 濡れた体を拭いたネインは短く答え、替えの服に袖をとおした。それから椅子に腰を下ろし、湯気の立つカップを手に取って話し始める。


「……えっと、実は少し前に、ある人の最後を看取みとったんです。そしてその人の形見の品を、その人の子どもに渡すために預かりました。ですが、その子どもはずいぶん前に養子に出されていて、どこにいるのかわからないんです。だから魔女の情報網を使って、その子どもを探そうと思ったんです」


「ほぉ、そういう理由か……。そいつはまたずいぶんといい話だが、その死んだヤツにいくらもらって頼まれたんだ?」


「ああ、いえ、実は頼まれていないんです」


 ジャコンに訊かれて、ネインは言いにくそうに顔を曇らせた。


「その人は子どもを手放したことをすごく後悔していました。そして顔を合わせると子どもに嫌われると思い、会いに行く勇気が出せなかったんです。それで子どもに渡そうと思って作ったカメオも、結局渡せないまま死にました。だからオレは、そのカメオを無断で持ってきたんです」


「はあ? なんだそりゃ? それじゃあおまえは見知らぬ他人のために高い金を出して情報を集め、わざわざあんな恐ろしい魔女に会いに行くつもりなのか?」


 ネインの話を聞いたとたん、ジャコンは呆れ果てた声を漏らした。その顔をネインはまっすぐ見つめ、やはり淡々と口を開く。


「えっと、理由はそれだけではないんです。7年ほど前にオレの父と母が殺されて、妹がさらわれたんです。その犯人を探すためにも、力のある魔女と契約したいんです」


「ああ、なるほど、そういうことか……。つまりおまえは、家族のかたきを討つために生きてきたってことか……」


 ネインの真の目的を聞いたとたん、ジャコンはしんみりと呟いた。そしてカップの中に目を落とし、低い声で言葉を続ける。


「……なあ、ネイン。その道は俺もずいぶん昔に通ったが、終わってみるとむなしさしか残らないぞ」


「そうですね……。オレもたぶん、そうだと思います」


 深い想いのこもったジャコンの言葉に、ネインは小さくうなずいた。


「……それでもオレは、犯人を探します。そして妹を必ず見つけて、オレたちが生まれ育った村に連れて帰るって、父と母の魂に誓いましたから」


「そうか……。おまえも見かけによらず、不器用な生き方を選んじまったんだな……」


 ネインの決意を耳にして、ジャコンは悲しそうに言葉をこぼした。それからゆっくりと茶を飲み干し、ネインに話す。


「……雨の魔女について、俺の知っていることはすべて店長に話してある。だから詳しいことは店長に聞け。ただし、1つだけ言っておく。今のおまえの実力では、魔女の住むオルトリンの森に入ったとたん、ほぼ確実に殺される。それでもおまえは会いに行くのか?」


「はい。これでも7年間、体を鍛えてきましたから」


「そうか……。その若さで、そこまでの覚悟を決めて生きてきたか……。だが、おまえでは――」


 ジャコンはネインの顔の横を少しだけ見て、小さな息を吐き出した。


「……いや、そうだな。涙だけが人生だ。ならばもはや、何も言うまい――」


 ジャコンは低い声で呟き、それからおもむろに立ち上がる。そして剣の模様が刻まれた小さな銀貨をカウンターに1枚置き、2本のワインを肩掛けカバンに突っ込んだ。それからネインの方に振り返り、口を開く。


「俺はイグタリネのノジルの泉から来た泉人族エルフ、ジャコン・イグバだ」


「……クランブリンのアスコーナ村に住む、ネイン・スラートです」


 不意に真剣な表情で名乗りを上げたジャコンに、ネインもまっすぐ見つめ返して名を告げる。ジャコンは瞳の中に悲しみの色を浮かべながら、さらに言う。


「いいか、よく聞け、ネイン・スラート――。雨の魔女の館はオルトリンの森のほぼ中央にある。そしてその広大な森の中には、魔女の館を中心に無数の戦闘従者バトルバレトが配備されている。、森の西から突入しろ。おまえが魔女の館にたどり着くには、おそらくそれしか方法はない」


「……わかりました。教えていただき、ありがとうございます」


「ああ。久しぶりにいい覚悟を見せてもらったからな。その礼だ。――涙だけが、人生だからな」


 そう言い残し、ジャコンはワインショップをあとにした。わずかに響いたドアチャイムはすぐに声を潜め、店の中には静寂が訪れた。


「……あの人の方こそ、見かけによらずけっこう親切ね」


「そうですね……。この世には、あんな人もいたんですね……」


 カイヤの言葉を耳にして、ネインは1つうなずいた。そして、飽きることなくガッデムファイアを見つめ続けているユルメの方に目を向けて、わずかに顔を曇らせた。


「だけど今の話だと、どうやら雨の魔女に会うのは、かなり難しそうですね」


「そうねぇ。でも、相手が欲しがっているモノを持っていけば、何とかなるでしょ」


 そう言いながらカイヤはネインに近づき、小さな紙を手渡した。


「あのジャコンって人が教えてくれた情報よ。どうやら雨の魔女は、を欲しがっているそうよ」


「これは……?」


 ネインは紙に書かれた単語を見て、首をひねった。


「カエンドラの瞳……? この言葉は、どこかで見たような気がします……」


「あら、すごい。アタシは初耳だったからちょっと調べてみたんだけど、それ、かなりのレア物みたいよ」


 カイヤは再びカウンター席に腰を下ろし、両手でカップを持って言葉を続ける。


「ネインちゃんも知っていると思うけど、この王都から南に10日ほど行ったところにイラスナ火山という大きな火山があるでしょ? その中腹に、溶岩が池のようになっているところがいくつかあるらしいの。そのマグマの中に生息する、カエンドラというモンスターの魔法核マギアコアのことを、カエンドラの瞳って言うみたい」


「つまり雨の魔女は、その魔法核マギアコアを求めているわけですね」


「そういうこと。しかもジャコンさんの話だと、のどから手が出るほど欲しがっているそうよ。おそらく特殊な魔法核――エクスコアなんでしょ。だからそれを手に入れて持っていけば、歓迎してもらえるんじゃないかしら」


「そうだといいですが……たしか雨の魔女は、かなり強力な悪魔を従えているという噂ですよね。それでも手に入れることができないとなると、そのカエンドラというモンスターは、相当手強いということですね」


 ネインは淡々と呟き、椅子に座ったまま肩の力を抜いて姿勢を正した。そしてすぐに口の中で魔法を唱え、同時に奥歯を噛みしめた。


「第1階梯電撃でんげき固有魔法ユニマギア――起電エレク・ブ思考レイン・ア超活性クティベーション


 その瞬間、ネインの脳内に青い電流がほとばしった。ネインは両目を限界まで見開き、脳に蓄積された記憶を瞬時にすべて掘り起こす。そして無意識のうちに目で捉えた視覚情報、耳にした聴覚情報、その他すべての情報を引っ張り出し、求めている答えをつかみ取った――。


「……わかりました。オレが見たのは掲示板でした……」


「掲示板? それって、冒険職アルチザン協会の掲示板のこと?」


「はい……」


 ネインは大きく息を吐き出し、額に浮かんだ汗を手の甲で拭った。


「……ここに来る前に冒険職アルチザン協会に立ち寄って、ランク2の個人識別標タグプレートを受け取ってきたんです。その時に仕事の依頼が貼ってある掲示板を見てきたのですが、その中にイラスナ火山に向かう研究者を護衛する仕事がありました。どうやら王立研究院がカエンドラを定期的に観察しているみたいで、その調査に向かうそうです」


「あら、それはちょうどいいタイミングじゃない。そのお仕事を引き受けたら、カエンドラの情報も教えてもらえそうね」


「はい。ですが護衛の募集は1人だけなので、もう締め切られているかもしれません」


 そう言って、ネインはすぐに立ち上がる。そして生乾きの自分の服に手早く着替え、ユルメからガッデムファイアを返してもらい、出かける準備を整えた。


「それではオレは、とりあえず募集主のところに行って話を聞いてきます」


「そうね。思い立ったが吉日――。行動は早い方がいいからね」


「はい。それと、魔女の情報を手に入れていただき、ありがとうございました」


「お役に立てて何よりだわ。それじゃあ、気をつけて行ってらっしゃい」


 ネインが頭を下げて礼を言うと、カイヤは上品に微笑んだ。そして入口のドアに向かって歩き出したネインに、ふと声をかけた。


「あ、そうだ、ネインちゃん。一応聞いておくけど、その募集主の名前はなんていうの?」


「――スミンズです」


 ネインはすぐに立ち止まり、軽く振り返って返事をした。


「仕事の依頼主は、ランドン王立研究院の正規研究員――メナ・スミンズです」


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