第20話  全方位守護天使――オーバーキル・エンジェルズ その2


・まえがき


■登場人物紹介


・バーチ・ルター  人間時  41歳

          天使時 280歳

          第6位の『正天使ライナム』に属する天使。

          ネインの支援と、フロリスへの連絡が任務。

          体格がよく、ちょっとゴツイおっさんタイプ。

          普段は寡黙だが、教会での礼拝時にはよどみのない

          説教をする。

          正体は天使なので威厳のオーラを持つ。

          そのため、アスコーナ村の人々からは尊敬されている。

          現在は人間としての肉体があるので、筋トレしている。

          チェルシーが焼くバターパンが好物。



・ミーサ・ピアレス  人間時  19歳

           天使時 265歳

           第6位の『正天使ライナム』に属する天使。

           ネインの支援と、フロリスへの連絡が任務。

           村の見回りもミーサの主任務。

           ルターとは同格なので上下関係はない。

           しかし教会での立場は修道女なので、ルターの

           指示に従うことが多い。

           普段は天真爛漫てんしんらんまんな美少女。

           フルーツが大好物。好きすぎて、皮ごと食べちゃう。

           笑顔が超かわいいのだが、それが人間に対して効果的だと

           理解している。けっこうあざとい性格。

           普段から明るくキャピッてる。かなりあざとい。



***



「ガッデムファイアの副作用……?」


 その予想外の言葉にネインの顔がわずかに曇った。その困惑した黒い瞳を見つめながら、ミーサは丁寧に説明を始める。


「この世界の魔法は精神共鳴元素シメレント――いわゆる魔力の作用で発動します。つまり精神力が魔法の源です。そのため強力な魔法を使うと精神力が大きく消耗します。そして精神力がゼロになると魂と肉体の接続は断絶してしまい、肉体は死亡します。それを防ぐために、魔法を扱う人間は自分の魂に魔法遮断陣マギアブレーカーをかけています。それにより、魔法の使用で精神力がゼロになりそうな時は魔法遮断陣マギアブレーカーが自動的に発動し、魔法を強制的に中断させることで死亡を回避しています」


「はい。オレも魔法遮断陣マギアブレーカーを魂に刻んでいるから、それはわかります。でも、今回は発動しなかったので大丈夫だと思いますけど」


「それが逆に問題なのです」


 ミーサはネインの胸にあるガッデムファイアに手を向けた。


「そのガッデムファイアを使用するとネイン様の魔力は増大します。ですがネイン様の精神力ではその魔力を完全に扱うことができないのです。例えるなら、細い水路に大量の水を流し込むようなものです。魔法を使う魔力があるので魔法遮断陣マギアブレーカーは発動しませんが、あふれ出す魔力に精神と魂が耐え切れないのです。それで魂が傷ついてしまったと思われます。それにその魂のご様子ですと、お体にも影響が及んでいたのではないでしょうか?」


「体ですか? それならたしかに2日ほど右腕がしびれましたけど……」


「やはり。それではすぐに治療致しましょう。よろしいですか、ネイン様」


「えっ? あ、はい。よろしくお願いします」


 ミーサの素早い提案に、ネインはわずかに戸惑いながらうなずいた。するとミーサはルターと視線を交わしてうなずき合い、ネインに近づく。そしてすぐにふくよかな胸の前で両手を組み、魔法を唱える。


「第1階梯天使魔法――神聖波動ホーリーオーラ。第2階梯天使魔法――神聖波動風ホーリーブレス


 そのとたん、ミーサの細い体が淡い光に包まれた。魔法を発動したミーサは再びネインの右手を両手で握り、カプっ――と言いながらネインの手首に噛みついた。


「……えっと、何で手首に噛みつくんですか?」


 ネインは思わず、わずかにじっとりとした目つきでミーサを見下ろした。するとミーサはやはり手首を噛んだまま答え始める。


ひょーふふほほへこうすることでほーひーふへふほホーリーブレスをひょふへふちょくせつ――」


「すいません。やっぱり何でもないです。治療の続きをお願いします」


ひゃひはい


 ネインが即座に質問を断念するとミーサは小さくうなずき、手首を噛むことに集中する。すると横から神父が口を挟んだ。


「ミーサはホーリーブレスをネイン様の魂に直接注いでいるのです。そうすることで、魂の傷を癒やすことができるのです」


「そうだったんですか」


「はい。そうだったのでございます」


「だけどそれって、噛まないとできないんですか?」


「いえ、噛まなくても可能です」


 ネインの質問に神父は淡々と答え、ネインは淡々と首をかしげてさらに訊く。


「じゃあ何で噛むんですか?」


「噛んでも問題がないからです」


「それは噛まなくても問題はないということですか?」


「はい」


「じゃあ噛む必要はないですよね?」


「噛まれると何か不都合がおありでしょうか?」


「いえ、特にはないです」


「では噛んでも問題はないと解釈してよろしいでしょうか?」


「ええ、まあ、特に問題はないですけど」


「では、ミーサの治療方法に特に問題はないということでよろしいでしょうか?」


「まあ、そう言われるとそうですね。特に問題はないです――って、あれ?」


 その瞬間、ネインの思考が不意に止まった。


「これはいったいどういうことだ……? 抗議をしようとしたら、いつの間にか納得していただと……? それなのに、なぜか胸の奥がものすごくモヤモヤしている……。この気持ちはいったい何なんだ……? オレは本当に納得したのか……?」


「――お待たせ致しました、ネイン様。治療が終了致しました」


 本日一番の困惑顔をしたネインの手首から、不意にミーサが口を離して声を上げた。さらにミーサは一歩下がって口元をハンカチで拭い、小さな唇をぺろりと舐めた。


「あ、はい。治療していただき、ありがとうございました」


 ネインは歯形がついた手首をじっとりと見下ろしながら礼を述べた。それからミーサにふと尋ねる。


「それでえっと、オレの精神と魂がガッデムファイアの魔力に耐えられないという話ですけど、それは魔力の精密なコントロールができれば対処可能ということでしょうか?」


「はい。あふれる魔力を制御して、出力の調節ができるようになれば問題は解消されます。それまでは現実的な対策として、階梯の高い魔法のご使用はお控えになった方がよろしいかと存じます」


「そうですか、わかりました。ベリス教会の情報を受け取るのにしばらく時間がかかりそうなので、それまでに何とか魔力のコントロールを身につけておきます。それじゃあオレは家に戻りますので、何かあったら声をかけてください」


 用件がすべて終わったと判断したネインは二人に別れを告げて、ベンチに置いていたハーフマントと背負い袋を身に着ける。すると不意にミーサが声をかけてきた。


「おそれいります、ネイン様。早速ですが、一つご提案させていただいてもよろしいでしょうか」


「え? あ、はい、どうぞ」


「ありがとうございます。では――」


 長い茶色の髪を三つ編みに結ったミーサは前に進み出て、今度はネインの両手を両手で引き寄せる。そしてふくよかな胸の前でしっかり握り、ネインの瞳をまっすぐ見つめて口を開く。


「我々は天使の最上位である五熾天使のフロリス様より、ネイン様の支援を命じられております。つまり我々にはありとあらゆる支援を遂行する義務があるということ――。それはもはや天命であり、絶対なのでございます。ここまではよろしいでしょうか?」


「え? あ、はい」


「それでは続きでございますが、ネイン様の肉体年齢は今年で15を迎えました。それはすなわち、生物学的な欲求が増大する年齢になられたということです」


「生物学……?」


「そこでまこと僭越せんえつながら、このミーサ・ピアレスにネイン様の夜のお相手を務めるようご命令いただきたいと存じます」


「……はい?」


 その瞬間、ネインは思わず首を真横に傾けた。


「夜の相手って、それはどういう意味でしょうか……?」


「そのままの意味でございます」


「すいません。ちょっと意味がわからないんですけど……」


「えー、それでは端的たんてきかつ具体的にわかりやすく申し上げさせていただきますと、ネイン様の性的欲求のはけ口として、私自身をご提供させていただきたいという意味でございます」


「性的欲求……?」


「はい。性的欲求でございます」


 ネインが思わずパチクリとまばたきすると、ミーサはネインの両手をさらに強く握りしめて言葉を続ける。


「実は私、近所のそこそこ美味しいパン屋の若い女性店員に教えていただいたのでございます。その女性店員の言葉によれば、人間の男子は15歳になると、自らの子孫を残す行為に心を奪われてしまうらしいのです。まさか人間の男子にそのような生理現象があるとは思ってもいませんでしたが、万が一にもそれが原因でネイン様の心理状態が混乱におちいるようなことになれば、異世界種アナザーズどもをぶっころ……ではなく、殲滅せんめつするという崇高すうこうな使命に支障が出るのは必至ひっし――。それはもはやこの世界の命運を揺るがしかねない一大事でございます。ゆえに我々は対策会議を開き、この一か月の間、慎重に検討を重ねてまいりました。そうしてたどり着いた結論が先ほどの提案になります。つまり、ネイン様の心身を常に最高の状態に保つのが我々の役目――。ならば、この身を捧げることに何の迷いがございましょうか。そういうわけでございますので、ネイン様。私と一晩、寝所しんじょを共に致しましょう」


「いえ、けっこうです」


 長々としゃべったミーサに対し、ネインは一瞬で断った。しかしミーサは簡単には引き下がらない。


「遠慮は無用でございます。近所のそこそこ美味しいパン屋の若い女性店員によれば――」


「いや、それクララですよね?」


 ネインは思わず突っ込んだが、ミーサは聞こえない振りをして話し続ける。


「――恥ずかしいのは最初だけで、あとは天井の染みを数えている間にすべてが終わるそうでございます。ですから是非、このさき数か月の間は私と一つの枕でゼロ距離乱舞を致しましょう」


「致しません」


 ネインは再び速攻で断った。しかしミーサはネインの手をさらにガッチリと握りしめて問いかける。


「なぜでしょうか。理由がありましたらお聞かせ願えませんでしょうか」


「特に理由はありません」


 ネインはさらに超速攻で言い切った。しかしそれでもミーサは一歩も引かずにゴリ押しする。


「もしも原因が私の肉体形状にあるということでしたら、お好みの形状をお申し付けください。我々は天使でございます。天使魔法を用いれば、顔の造形や体形はいかようにも変更が可能でございますから」


「ですから理由は特にありません」


 ネインはもはやミーサの言葉にかぶりながら言い切ったが、ミーサもネインの言葉にかぶせてさらにねじ込む。


「もしも胸の大きさが足りないということでございましたら、いくらでも無限にサイズアップは可能でございますので、お気軽にお申し付けください」


「いや、それはちょっと本気で怖いので心の底から遠慮します」


 ネインは思わず全力で後ろに下がりながら断ったが、ミーサはその手にしがみついて離れない。するとその時、それまで無言だった神父がおもむろに口を開いた。


「――ネイン様。一つよろしいでしょうか」


「えっ? あ、はい」


 ネインはミーサにつかまれている手をかなり本気で引き離そうとしながら、神父の方に顔を向けた。ミーサもネインの両手に全力で食らいついたまま神父の方を振り返る。その二人の前で、神父は落ち着き払った声でネインに尋ねる。


「ただいまのやり取りをお見受けしたところ、ネイン様はミーサの提案を強硬に拒否していらっしゃいます。その理由はもしかして、ミーサの性別に起因するものでしょうか?」


「はい……? 性別……?」


 ネインは本日一番の困惑顔を更新しながら首をひねった。神父の言わんとしていることがまるでわからなかった。しかし体中の筋肉を鍛え上げた神父は、ネインをまっすぐ見つめて言葉を続ける。


「はい――。もしもミーサの性別がお気に召さないということでございましたら、僭越せんえつながらこの私が、ネイン様の夜のお相手を務めさせていただきたく存じます」


 その瞬間――ネインの顔面は完全に固まった。そして、真剣な表情で自分を見つめている神父とシスターを交互に見てから、ボソリと呟く。


「……いえ。ほんともう、マジでけっこうですから……」



 それからすぐに、ネインは再び2人の天使に別れを告げて教会をあとにした。神父とシスターは正面入口の扉が閉まるまで丁寧に頭を下げてネインを見送る。そしてネインの気配がじゅうぶんに遠ざかってから顔を上げ、分厚い扉を見つめながら神父が先に口を開く。


「――どうにか気づかれずに済みましたか」


「はい。おそらく」


 硬い表情のまま返事をしたミーサに、神父はさらに問いかける。


「それで、採取はできましたか?」


「はい。ネイン様がガッデムファイアを入手した直後――つまり、。直ちにフロリス様の元へお届けします」


「ご苦労様です。これでようやくすべての準備が整いました」


「はい――。これでこの先になられたとしても、対処することが可能です」


 ミーサは手の中のハンカチに包んでいた小さな封印水晶エリスタルを取り出し、冷たい声で淡々と言い切った。その言葉に、神父も感情のない瞳で小さくうなずき、口を開く。


異世界種アナザーズどものは残虐にして極めて狡猾こうかつ――。ネイン様が奴らの魔手に絡め取られないよう祈りましょう」


 2人の天使はゆっくりと胸の前で両手を組んだ。そしてそっと瞳を閉じて、こうべを垂れた。


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