第4章   7年前の真実――ジ・アグス&リトルハート

第11話  旅立ちの日――ジ・オール・トリガー


・まえがき


■登場人物紹介


※今回の第4章では、7年前のネインとその家族、そして絶対神が描かれます。そして第5章で時間軸が現在に戻り、アスコーナ村の教会に入ったネインの視点から再開します。



・ザッハ・スラート   38歳 ネインの父。元は凄腕の探索者。

                現在はアスコーナ村で宿屋を経営。


・ジュリア・スラート  34歳 ネインの母。

                名門ロックバード家出身の大賢者。


・ネイン・スラート    7歳 主人公。8歳の誕生日目前。



・ナナル・スラート    3歳 ネインの妹。今年4歳。



・ベリスマン・ジ・アグス 惑星ヴァルスが存在する宇宙を創った絶対神。

             『A.G.S』→アグス。最高の絶対神という意味。



***



 今にも雨が降り出しそうな曇天の下、一台のほろ馬車が山道をゆっくりと走っていた――。


 その切り立った断崖だんがいに挟まれた道の幅はそれなりに広かった。およそ馬車4台分というところだろうか。しかし昼下がりの時間だというのに、その道を走る馬車は一台のみで、前にも後にも他の馬車や人影は見当たらない。


 やはり天候のせいだろう。不意に吹き抜けた強い風に誘われて天を見上げると、崖の間の狭い空に分厚い黒雲がふたをしている。しかも水の気配を含んだ風がもう一度吹いたとたん、小さな滴が落ちてきた。同時に幌付きの荷台に乗って空を眺めていた男児が、御者台に顔を向けて声を張り上げた。


「――父さん! 雨が降ってきたみたい!」


 その言葉で、御者台に座る中年の男も暗い空に目を向けた。すると雨粒が1滴、2滴、男の顔をわずかに濡らす。そしてすぐに数を増した水の粒が、幌を叩いて雨の音色を奏で始めた。


「そうだな、ネイン。やっぱり降ってきちまったか」


「どうするの? 村に戻る?」


 体の小さな男児は父の背中に近づき、回り続ける車輪の音より大きな声で質問した。


「いや、ササンまではなんとか行けるだろ。――ジュリア! どう思う!?」


 中年男性は首だけで振り返り、荷台に向かって声を張り上げた。すると小さな女児を抱いて座る中年女性も負けじと声を張り上げる。


「道を決めるのはあなたよザッハ! 私とネインとナナルはあなたについていってあげるから!」


「ざっはぁ~、ついてくぅ~」


 威勢のいい声を飛ばしたジュリアの膝の上で、小さな女児も母を真似して幼い声を張り上げた。その言い草にザッハとネインは顔を見合わせ、二人そろって軽く吹き出す。


「まったく。うちの女王様とお姫様は頼もしいな」


「ナナルは母さんの真似をしてるだけだよ」


「つまり、諸悪の根源はジュリアってことだな」


「――うるさい! バカザッハ!」


 父と息子が再び声を上げて笑ったとたん、ジュリアが布製の人形をザッハの背中に投げつけた。するとナナルも持っていた人形をネインに向かって投げつける。それでさらにザッハとネインは大笑い。やっぱりジュリアが一番悪いと結論づけると、笑われたジュリアもにこにこ笑いながら幼いナナルを抱きしめた。


「よし! 今日はササンまで行って一泊するぞ! ギルネスまでは二か月の道のりだ! 出発した当日に引き返していたら、いつまで経ってもたどり着けないからな!」


「そうよ! いけいけザッハ!」


「いけいけぇ~」


 再びジュリアとナナルが声を張り上げ、ザッハとネインはクスクス笑う。それからふと、ネインがザッハに質問した。


「だけど、父さんと母さんは駆け落ちして、お爺ちゃんとお婆ちゃんを怒らせたんでしょ? ほんとに許してもらえるの?」


「さぁ~て、どうかねぇ~」


 ザッハはニヤリと笑い、雨が強くなってきたのでハーフマントのフードで頭を覆った。


「ま、なんとかなるだろ。オレとジュリアが手に手を取って、魔法都市国家ギルネスを飛び出してからちょうど10年――。このタイミングでジュリアの妹の結婚式に招待されたんだからな。あのクソジジイとクソババアも、おまえとナナルの顔が見たいと思ったんだろ」


「それと私の顔もね! ザッハはおまけよ!」


「はいはい! オレはおまけでじゅうぶんさ!」


 付け加えるように飛んできたジュリアの明るい声に、ザッハも苦笑いしながら明るく返す。すると再びネインが訊いた。


「ねえ、父さん。そういえば、駆け落ちってなに? どういう意味なの?」


「おう、駆け落ちか。ん~、そうだなぁ~、駆け落ちっていうのはなぁ……おーい大賢者様っ! 我が家の王子様に説明してやってくれ!」


「はいはい、わかりました、イケメンシーカーさん」


 ジュリアは軽く肩をすくめ、振り返ったネインに語って聞かせる。


「いい? ネイン。駆け落ちっていうのはね、若気の至りのことよ」


「わかげの至り……?」


「そうよ。人間ってのはね、若い時は男も女もアホなのよ。好きな相手と一緒にいたいという気の迷いを愛情だと勘違いして、それまでの生活のすべてを捨てて遠くに逃げるという究極の選択ミスのことを駆け落ちっていうの」


「それはつまり……父さんと母さんが駆け落ちしたのは間違いだったってこと?」


「そう。大間違い。私は逃げてはいけなかったの。魔法研究ギルド、ダブルリングの仲間たちや、ロックバード家の全員が反対しても、私は逆に説得するべきだった。そしたら今頃ネインとナナルは、ギルネスにあるうちの大きなお屋敷で、何不自由なくぬくぬくと贅沢三昧できたはずだからね」


「はっはっは! 違いない! 悪かったな! 田舎の貧乏宿屋で!」


「まったくよ! おかげでロックバード家最高の大賢者様のお手てがこんなに荒れちゃったんだからね!」


 楽しそうに笑い出したザッハに、ジュリアも日に焼けた手を向けて嬉しそうに笑い返す。それからジュリアは再びネインをまっすぐ見つめ、続きを話す。


「でもね、ネイン。私はこれっぽっちも後悔していないの。自分の意志を貫かないで逃げ出したことは選択ミスだと思っている。だけど結果には大満足よ。ザッハの生まれ故郷のアスコーナで宿屋をしながら、裏庭で野菜を育てる毎日がとても楽しいの。そしてネインとナナルと毎日一緒に生きていけることがこれ以上ない幸せなの」


「じゃあ、父さんと駆け落ちしたのは間違いじゃなかったってこと?」


「間違いか間違いじゃないかというと、それは間違い。でも、今の私はとても幸せ。つまりね、人生に正しい道というものはないのよ。間違った選択をしたと思っても、振り返ってみれば最善の選択だったということもある。正しい選択をしたと思っても、最悪の結果につながることもある。いい、ネイン。よく覚えておいて。どんな選択の先にも道はある。大事なのは、自分で選んだ道を全力で生きることよ」


「自分の道を……全力で生きる……?」


「そうよ。そうすれば、どんな状況でも幸せに生きていけるの。――たとえ田舎の貧乏宿屋でもねっ!」


「はっはーっ! まったくだっ! 家族がいればそれだけで幸せだからなっ!」


 突然飛んできたジュリアの声に、ザッハも笑顔で声を張り上げた。それからジュリアはネインの手を握って優しく引き寄せ、ナナルと一緒に抱きしめる。遠くで雷の音が響いたのはその時だった。


「おや? 変だな……。雷の気配はなかったと思ったが……」


 ザッハは暗い空を見上げて首をひねる。すると崖の上の黒雲の中で閃光が走った。


「ジュリア! どうやら雷雨になりそうだ! この道を抜けた先に炭焼き小屋があっただろ! とりあえずそこまで行って様子を見るぞ! 少し揺れるからつかまってろ!」


「わかった!」


 ジュリアが返事をすると同時にザッハは馬車の速度を上げた。ネインはジュリアから離れて荷台の枠にしがみつき、ジュリアはナナルを強く抱きしめる。


「母さん。大丈夫?」


「ええ、もちろん」


 不安そうな顔のネインに、ジュリアは優しく微笑みかけた。


「あなたのお父さんはあれでもけっこう頼りになるから大丈夫よ。ダブルリングにいた頃は、最強にしぶとい照明係ライトマンって言われていたんだから」


「――おーいっ! 聞こえてるぞっ!」


「聞かせてんのっ!」


 ジュリアはザッハに言い返し、ぺろりと小さな舌を出す。


「それに私はギルネスでも最高の大賢者様だったからね。ネインとナナルがたとえどんな怪我をしたって一瞬で治してあげる。今までだってそうだったでしょ? だから大丈夫よ」


「だいじょうぶ~」


 再びナナルが母を真似してのんきな声を上げたので、ジュリアとネインはクスリと笑った。その瞬間――世界が青白い光に包まれた。さらに一瞬後、耳をつんざく轟音が響き渡り、ザッハが緊張した声を張り上げた。


「雷が落ちたっ! 崖が崩れるぞっ!」


 ザッハはとっさに手綱を引いて馬を止めた。同時にジュリアはナナルを抱えて立ち上がり、ネインの手を引いて外に飛び出す。しかしその寸前、ネインがつまずいて手が離れた。ジュリアはナナルを抱いたまま馬車の外に転げ落ち、ネインの名前を鋭く叫んだ。その悲鳴で気づいたザッハが反射的に荷台に飛び込みネインの元へと突っ走る。


 しかし、一瞬遅かった――。無数の落石が一気に馬車に襲いかかり、ネインは岩の下敷きになった。



「……う……うぐ……」



 ネインが目を開けると、そこは暗闇の中だった。目を凝らしても何も見えない。雨と土の匂いがして、息が苦しい。体中に何か重くて冷たいものがのしかかり、身動きどころか指先一つ動かせない。


「と……さん……かあ……さん」


 しかも両親を呼ぼうとしても、声がほとんど出なかった。頭は割れるように痛いのに、体の感覚がまったくない。かろうじてわかることは、どこか遠くで聞こえる雨の音だけ。すると不意に、誰かの声がかすかに聞こえた。


「ネイ……どこ……ネ……へんじを……」


「ザッ……どい……わた……まほうで……」


(あれは……父さんと母さんの声……。ナナルは……どこだろ……)


 ネインは急に眠くなった。


 もはや目を開けていられないほど眠くて仕方がない。だからネインは目を閉じた。すると感覚のない体から、なぜか力が抜けていくのがわかる。その時どこかで鋭い音が響いた気がした。しかしそれが何の音だったのか、ネインは疑問に思う前に意識を失っていた――。




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