第12話 2日目 コワール!


 馬房の入り口で足を止めた。


 落ち着け私。落ち着くんだ。


 何事も第一印象が大事。あの仔馬を怖がらせてしまっては元も子もない。

 嫌われてしまったら戯れることも出来ないんだぞ。

 できるだけ静かに近づくんだ。

 大きな音を立てず、ゆっくりと丁寧に足を動かせ。

 かといって気配を消してはいけない。

 いきなり現れたらビックリさせてしまうからね! 


 逸る気持ちを精一杯抑えつつ、一歩一歩に気を遣いながら馬房を進む。



 自然を装い、にこやかに。


 怖く無いよ。

 怯えなくてもいいよー。


 そういう感じを全力で演出する。


「こんにちはー」


 そう、挨拶から始めよう。

 挨拶が大事なのは人間同士だけに限った話じゃない。


 野生動物だって初対面は鼻を擦り付けたり、匂いを嗅ぎあったりするんだし。


 おっと、こっちを見たぞ。

 特に驚いてはいないみたいだ。


 柱にコツコツと打ち付けていた前足を止め、私の顔をジッと見つめる仔馬。


 黒目の大きいその瞳がキラキラと輝いている。

 まだちょっぴり薄い灰色の体毛は産毛だろうか。触ったら気持ち良さそうだ。

 ペガサスの象徴である背中の翼はアニーやエニオンに比べたら全然小さくて、私の腕より短い。


 可愛い。


 うわ、尻尾も短い!

 アニーなんか足元に届きかねないぐらい長かったのに、この仔馬は自分のお尻を隠すのに精一杯な長さだ。


 それもまた可愛い。


 鬣も生えそろってなくて、長い部分だったり短い部分だったりが混ざっていてアンバランスだ。


「わ、私はカイリ。怖い人じゃないよ?」


 通じないと分かっていて、話しかけることは大事だと思う。

 動物って声色や表情で感情を読み取れるらしいから、無駄にはならない。


 仔馬はヨロヨロと覚束ない足取りで、私に一歩づつ近寄り始めた。

 カカン、カカンっと軽い蹄の音を響かせる。

 大きなお鼻をピスピスと動かしながら、視覚と嗅覚で私がなんなのかを品定めしている。


 こんなの可愛いに決まってる。


 なにこの仔! 全身可愛い!

 もう可愛いの塊! 

 卑怯だよこんなの! 

 可愛過ぎる! 

 『過ぎる』が過ぎるよもう!


 待て。

 私、ステイ。

 落ち着きたまえ。

 興奮すると仔馬が怯えちゃうでしょ!


「ふぅう、ふぅうううう」


 茹だった思考に喝を入れ、ここで深呼吸を一発。

 目を閉じて深く二回息を吐く。


「すぅううう……はぁあああ」


 そして深く吸い込んで、最後に吐く。


「よし。落ち着いたぞ。うわっ!」


 深呼吸の成果を実感し目を開くと、目の前に仔馬の顔がドアップで映し出された。


 びっっっっっっくりしたぁ!


【おねえちゃん、だれ?】


 ん?


 今誰か喋った?

 あれ? おかしいな。

 ラシュリーさんとアネモネさんは馬房の外にある小屋でお昼を食べてるからここに居ないし、さっきまで何人か居た騎士さん達は馬に乗ってビスティナさんが連れて行った。

 だからここには私しかいないはず。


「気のせいかな?」


 馬房の両端の大扉は全開にされてるし、柵と寝わらしかない殺風景な造りだから見通しは良い。

 キョロキョロと見回しても、誰も居ないのを再確認しただけだった。

 


【ぼくとあそんでくれるの? おかあさんたちいなくてつまんないの】


 また聞こえた。

 気のせいじゃない。


「だ、だれ?」


 聞き返してみる。

 誰かいるの?

 どうしよう。アネモネさんかラシュリーさん、呼んでこようかな。


【なにしてあそぶ? きょうはおそとにでちゃだめっていわれてるから、かけっこはできないの】


 その声は舌ったらずで幼い声だ。


 声はすれど、姿は見えず。

 おっとこれは幽霊か? 

 異世界じゃ幽霊も真昼間に現れるんだ?

 そりゃ陽気なことですね……と、冗談はここまで。


 幽霊って線はとりあえず無さそう。

 この声はとっても幼くて舌ったらずだし、なによりさっきから私のお腹にグイグイと来る積極的な感触が全てを物語っている気がする。


「き、君が喋ってるの?」


【きみじゃないよ。ぼくコワールっていうんだ】


 ですな。これは大正解ですよ。

 私の問いかけに鼻息を一つ漏らして応えてくれた。


「コワール。それが君のお名前?」


【うん、コワール。にんげんのおじさんがつけてくれたの】


「そう、良い名前だね? 私はカイリって言うの」


【カイリ……? カイリ! へんななまえ!】

 

 失礼な。人様の名前を笑うんじゃありません!

 でも許しちゃう。

 だって、可愛いは正義だから。

 だから私許しちゃうよ!


【カイリ! なにしてあそぶ!? コツコツする!? パタパタする!?】


 コツコツとパタパタがどんな遊びなのかはわかんないけど、私にできそうな遊びが良いなぁ。


 そっかぁ。


 この世界じゃ馬って喋るんだ。

 いやぁ、ビックリだよほんと。


 アニーもエニオンも照れ屋さんだったのかな?

 さっき一言も喋んなかったもんね。


 そっかぁ……。


 そう……。


 お喋り、するんだぁ……。


「アネモネさぁん!! ラシュリーさぁん!!」


 ちょっと待って! ほんとちょっと待って!

 とりあえず説明してもらおう! 

 馬とお喋りできるのは本当に嬉しいんだけど、これは合ってるの!?

 この世界の基準が分かんないから判断できないんですけど!

 答えが欲しいです!

 ギブミーアンサー!


【おおごえならぼくまけないよ! ひひーん! ぶるるひーん!】


 コワールが嬉しそうに天井を向き、甲高い声でいなないた。

 おお!? なにそれ必殺技!?

 可愛いすぎて私を『必』ず『殺』す『技』!?

 クリティカルヒットだよ! 

 赤ゲージだよ! 

 怒りメーターが実装されてたら大変な事になってるよ! 

 効果はグンバツだよ!


「どうしましたかカイリ様!」


「一体何事!?」


「しゃ、喋ったんです! 喋ったのです!」


 外の小屋から大慌てで飛び出してきた二人に猛アピールする。

 ワタワタと身振り手振りで説明しようとして、馬が喋った事をどうジェスチャーしたら伝わるのかが分かんなくて更にワタワタする私。


「落ち着きなさい!」


「カイリ様、深呼吸ですよ深呼吸」


 したんだよ! さっき深呼吸したの!

 そしたら喋ったの!


「こ、この子がお話したんです!」


「この子? どの子?」


 ラシュリーさんが小首を傾げる。


「コワールです! この仔馬が私に遊ぼうって!」


 楽しそうに遠吠えみたいな声を上げるコワールの首に抱きついた。


【ひひーん! どう!? ぼくじょうずでしょ!? おかあさんにもほめられたんだよ!?】


「うんとってもお上手! ってほらぁ!」


 今の聞きましたよね!?

 自慢気にドヤってますよね!?


「……カイリ。さっきの飛行演習、本当は怖かったのね?」


「申し訳ございませんカイリ様。そこまで動揺されてるとは気づきませんでした」


「ちがーう! 本当にこの子が喋ったんです! ていうか今も喋ってるんです!」


 恐怖でおかしくなったとかじゃないから!

 信じてください!


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「本当にこの仔馬の声が聞こえるの?」


「はい! 本当です!」


 しばらくなんだか可哀想な目で見られたけど、ようやく私の話を信じてくれたみたい。

 よかった。

 頭のおかしな子にされるところだった。


「ラシュリー様。どうやら本当に仔馬と話が通じてるみたいです。私は先ほどこの子の名前をカイリ様に教えてませんが、カイリ様はコワールの名を知っておりました」


「そうです! コワールが自己紹介してくれたんです! ぼくコワールって!」


「その子、メスよ?」


「え?」


 私のお腹を頭でグイグイと圧迫し続けるコワールを見る。

 なにが楽しいのかさっぱりだけど、見てて愛らしいからお腹の痛みが気にならない。

 でも時々勢いをつけてアタックするのはやめてね?

 グエってなっちゃうから。


「コワール、君って女の子なの?」


【うん! ぼくおんなのこだよ!】


 なるほど、馬のボクっ娘か。

 新ジャンルだ。


「女の子だって言ってます」


「……なにがなんだかさっぱりね。エリックのイヤリングに人間以外の言語を翻訳する効果なんてあるわけないし」


「あったらカウフマン男爵様が城か魔法研究所に召し抱えられて、お館様も婚約をすぐに許してくれますのに」


「……やめてアネモネ。私泣きそうになるから」


 なんだか悲しそうな顔をしたラシュリーさんから目を逸らし、右耳のイヤリングを触る。

 そっか。普通に話ができてるから忘れがちになるけれど、このイヤリングが無いとラシュリーさんやアネモネさんの言葉が分からなくなるんだっけ。


「私が異世界の人間だから……とか?」


「ありえなくはないけれど、専門家じゃないからなんとも言えないわ。専門家が居るかどうかも分からないけれど」


 ラシュリーさんは腕を組んでため息をついた。


 うーん。


「私ってミステリアスな女ですねぇ」


「まぁ、特に困る事じゃないんだから、いいんじゃない? コワールとお話できることで何か支障が起きるわけでもないし」


 あっ、突っ込んでくれなかった。

 ちょっと謎の女を演出してみたらスルーされた。

 突っ込んでくれないと只の自意識過剰な人になっちゃうのに。


「そう……ですね。前向きに捉えましょうカイリ様。大好きな馬とお話できるんですよ?」


「そ、そうですけど。なんでコワールだけ言葉が分かるんでしょうか」


 本当にアニーとエニオンが人見知りでシャイだったんだろうか。

 それは無さそうだ。

 だってあの二頭、とっても懐いてくれたし。

 頭撫でさせてくれたし。


「……うーん。アネモネ、この仔馬って先週産まれたって言ってたわよね」


「はい。先週産まれたのは4頭で、この子はその中でも一番小さくてしかも難産だったそうです。産まれた時は呼吸も止まってて、馬房係の者が何回も息を吹き込んでようやく産声をあげたとか」


 えっ!

 そんな大変な子だったのこの子!?


「こ、コワール! 貴女大丈夫なの!?」


【ぼくげんきだよ!】


 コワールはぶるるんと首を振ったあと、首を大きく逸らして元気をアピールした。

 私の目にはとっても元気な仔馬にしか見えないけれど。


「翼も他の仔馬より小さいし、母乳もそんなに飲めてないそうなんです。他の仔達と遊んで怪我でもしたら命に関わるほど弱々しいので、ここで一頭だけ離して保護してるとか」


「母馬はどこ?」


「ミアンナ号は今日は放牧に出してます。産後のストレスが結構溜まってたみたいで、この1週間はコワールに付きっ切りでしたからね。翼を休めさせてますよ」


 翼を休めるっていうのが文字通りなのがペガサスの面白いところだよね。


 そっかぁ。

 お外に出ちゃいけないって良いつけてるのも、この仔の体調を考えての事だったんだ。


「……ハインド種としては致命的すぎるわね。ここまで弱いと育成も出来ないわ。処分はどうする気なの?」


「処分?」


 なにそれ……。

 なんか嫌な響きなんですけど。


「基本的にはどんなに弱い仔でもとりあえずは一年経過を見ます。体が大きくなって来た頃にまだ弱かったら、残念ですが売り払うか……最悪の結果も有り得るかと。たとえ生かしても他のハインド種とのじゃれあいで死んでしまう可能性もありますから」


「そう。それはまた…………。頑張るのよコワール」


 アネモネさんもラシュリーさんも苦虫を噛み潰したような顔でコワールを見る。


【なんかおねえちゃんいいにおいするー。ねぇねぇ、あっちのわらのベッドとってもきもちいいんだよ? ほんとだよ?】


 コワールが私のシャツの裾を甘噛みして引っ張る。

 どうやら寝わらの気持ち良さを私に教えようとしてるようだ。


 やめようよ。

 処分なんて、そんなのダメだよ。

 だってこの仔、こんなに可愛くて甘えん坊なのに。


「カイリ様、そんな顔しないでくださいまし。大丈夫ですよ。グランハインドは馬と共にある貴族家です。そう簡単に馬を蔑ろにしたりなんかしませんよ。この仔だってちゃんと強い仔に育つ様に面倒を見ますから」


「はい……」


【あっちのね! おみずのあるばしょにときどきカエルさんがくるんだよ? とってもちっちゃいの!】


 無邪気。

 私達の心配なんてどこ吹く風に、コワールは無邪気に私と遊べると喜んでいる。


 ……よし。


 良し!


「よーし! コワール! 遊ぼ! いっぱい遊んで一杯食べようね!」


 今の私にできることは、この仔の望むままに遊んでやることだけだ!

 ならもう精一杯! 力の限り遊び倒してやる!


【わーい! どうするどうする!? おどる!?】


「踊ろうか!」


 キレッキレのダンスを披露しますよ私!


「カイリ様、少しなら外に出しても大丈夫ですよ。構ってやってくださいまし」


「いいんですか!?」


 アネモネさんから許可が出たぞー!


「今日は面倒を見る者が少ないので、コワールを出さないようにしてただけなんです。他にも馬の手入れもありましたから。カイリ様が見てくださるなら大丈夫でしょう。騎士様方には私から伝えておきますので、遠慮なくコワールと遊んでください」


「はい! 行こうコワール! お外に出て良いんだって!」


【本当!? やった! わーいわーい!】


 首と尻尾をブンブンと振り回し、コワールは体全体で喜びを表現する。

 素直だなぁ。可愛いなぁもぉ!


「気をつけるのよ? 仔馬で弱い子とはいえ、貴女よりは体重あるんだから」


 うぐぅ。

 痛いとこ突かれましたよ? 

 そりゃあ、私ガリガリだしなぁ。コワールの方が重いよね。


「了解です! そこの林の前ぐらいまでしか行きませんよ!」


 コワールの首の後ろに手を当てて、馬房の入り口から見える近くの林へと向かう。


【なにする!? かけっこ!? ゴロゴロする!? それともパタパタする!?】


「私の体力の限界までかけっこしようか! もう血反吐吐くまでおっかけるよ!」


「「やめなさい!!」」


 怒られちゃった。

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