第13話 2日目 赤子攫いを追って

 

「こ、こわーる。まって……も……もうダメ」


 息も絶え絶えに地面にヘタリ込む。

 コワールを伴って馬房を出て四十分。


 無邪気にはしゃぐ仔馬の元気な姿に癒されながらも必死に走り続けていたけれど、体力の限界はとうの昔に訪れていたのだ。


 私を突き動かしていたのは只々コワールが喜ぶ姿が可愛かったからだけど、やはり無茶だったようだ。


【えー? ぼくまだはしりたーい】


「す、すこしだけ……少しだけでいいから休ませて……」


 普通に考えたら分かる事だけど、子供だからと言って人間が馬の体力に付いていける訳ないんだよね。


 賢くて素直なコワールは私の言いつけ通り馬房から遠く離れようとはせず、建物の周りをぐるぐると走り回ってくれている。


 軽快に蹄を鳴らしながらカッポラカッポラとまるでダンスでも踊るように、有り余る体力をこれでもかと見せつけてくれた。


 この仔、本当に他の仔馬より弱い仔なの?

 私の目には普通に逞しい仔にしか見えないんだけど。


【しょうがないなぁ。ぼくおりこうだからまってあげる】


「ありがとう。本当いい子だなぁコワールは」


【えへへ】


 座り込む私の顔に自分の顔をスリスリと擦りつけて、撫でられるのを待つコワール。


 ああ、なんて可愛い。

 ちょっと待っててね?

 もう少し体力が回復したら走るのは無理だけど歩ける様にはなると思うから。


 コワールの頬をナデナデと撫でながら体力の回復に努める。

 アネモネさんにお願いしてお水とか貰えないかな。

 喉がカラカラだ。

 こんな寒いのに汗もビッショリかいちゃったから、それが乾いて体も冷えてきた。

 風邪ひかないと良いけど。


【んしょ】


 四本の足を曲げて私の横に座るコワール。

 首をだらんと地面につけて、草の感触を確かめている。


 私はコワールの体に背中を預けて弛緩する。

 体温高めなその体が暖かくてとても気持ちいい。


 灰色の曇り空を眺めながら、ドクンドクンと脈を打つコワールの心臓の鼓動を感じ取る。


 ああ、良いなぁ。これ。

 なんてマッタリとした時間だろうか。

 空が晴天だったらもっと気持ちよかったんだろうなぁ。

 でも良いやこれで。

 コワールさえ居ればオールオッケー。


 私は大満足です。


「んんぅううう」


 一つ大きく伸びをする。


 いい感じに疲労している体がズッシリと重く、気を抜いたら眠ってしまいそうだ。


 ダメダメ。

 こんなところで眠ったら風邪ひいちゃうよね。


 それにまだお昼前だし、寝るには早すぎる。


 寝る子は育つなんて時期はとうの昔に過ぎ去ってますからー。

 私このちっちゃい体を受けいれて生きていきますからー。


【あれ?】


 色んなところがこじんまりしている自分の体に嘆いていたら、不意にコワールが首を起こした。


「どうしたの?」


【んー。あっちのもりのとりさんがなんかさわいでる】


「鳥さん?」


 体を起こしてコワールが見ている方へと目をやる。


 そこには深そうな森があった。


 放牧地に隣接してる薄暗い森だ。


 さっきアニーの背中から見た放牧地の風景を思い出す。

 放牧地に隣接しているあの森は、かなり先の山の麓まで伸びていてとても広かったはず。


「あれ?」


 森の上空、雲よりも低い場所に三つの影が浮いていた。


 それは鳥と言うにはかなり歪で、そして大きい。

 羽らしきものが見受けられるけど、その下にある体はどっちかって言うと人間に近い。


 二本の腕と二本の足。

 その背中にコウモリみたいな翼のある……猿に近い動物だ。


 遠いから良く分からないんだけど、その体の半分ぐらいの大きさの楕円形の物を、三匹で協力してえっちらほっちら運んでいるようだ。


 相当重たいのか、右に左に上に下にとヨロヨロ危なかっしく飛んでいる。


「なんだろうアレ……」


 この世界の生き物は翼が生えてるのがデフォなのかな……。

 いや、それは無いか。

 さっきちらりと遠くに走っていったモコモコの牧羊犬は、翼なんて無かったしね。


【だれかないてるよ?】


「泣いてる?」


 コワールの言葉に小首を傾げ、耳を澄ます。

 北風の音、森の木々の擦れ合う音、鳥の鳴き声、草の上を風が撫でる音。


 そんな優しくも騒がしい喧騒の中に、たしかに何かの声が聞こえた。


「なんだろう……」


 コワールの背中に預けてた体を起こして立ち上がる。


 ゆっくりと三匹の飛ぶお猿もどきに向かって歩を進めた。

 コワールも私の後ろをそろそろとついてくる。


「…………ぁああああん…………んびゃあぁあぁ」


「んー?」


 お猿もどき達はかなり遅く飛んでいて、私との距離はどんどん詰まっている。

 それに合わせて何かの声も徐々にしっかりと聞き取れるようになっていった。


「んびゃああああっ! ふにゃあああああ!」


「……これって」


【なんのこえ? はじめてきいたー】


 うん。

 多分だけど。


「赤ちゃんの……泣き声?」


【あかちゃん? なにそれ】


「コワールと同じだよ。生まれたての人間の子供」


 そう。

 仔馬に比べたらとても弱々しく、立つことも歩く事も出来ない人間の…………赤ちゃ……ん。


「…………って!!」


 思わず走り出した。


 思い出せ私!

 さっきティオールさんが言っていた言葉を!


『この国では有名な魔物なんです。人間の赤ん坊を攫い、食う魔物です。一匹ではそれほど脅威では無いのですが、群れているのなら話は別。とてもさかしい奴らなので、早い内に手を打たねば犠牲者が出てしまいます』


 そうだ!

 魔物!

 赤ちゃんを食べる奴!


 アレが赤子さらいって魔物に違いない!

 なんでここに!?


 ビスティナさんやティオールさん達が追いかけて言ったはずだよね!?


【おねーちゃん! どうしたの!? もうかけっこしていいの!?】


 全速力で走る私の後ろから、余裕たっぷりのコワールがカパラカパラと蹄を鳴らして追いかけてくる。


「コワールごめんね!? 今それどころじゃ無いみたい! あのお猿さん追わなきゃ!」


 食べられちゃう!

 赤ちゃん、食べられちゃう!


 ど、どうしよう!


 一度戻ってラシュリーさんやアネモネさんを呼びに行った方が良いかな!?


 でも見失ったらもう見つけられないかも知れないし、戻ってる間に食べられちゃったら後悔してもし足りない!


【なになにー!? なんのあそびー!?】


「遊びじゃないよコワール! 赤ちゃんを食べる悪い奴を追ってるの!」


【たべる?】


「そう! 食べられちゃう!」


 ああっ!

 どこから現れたのか、赤子さらいがもう一匹増えた!


 四匹で一緒に運んでるからスピードが上がってどんどん遠ざかっていく!


 だめだ!

 ラシュリーさん達を呼びに行ってる暇なんて無い!


「こ、コワール! 貴女、私を乗せれたりなんかできないかな!?」


 駄目元で聞いてみた。

 小さな私の目から見てもやっぱりコワールは小さい仔だ。


 アニーやエニオンのがっしりとした体格から比較したら、どう見たって頼りない。


【のるの? おかあさんとかおとうさんとかみたいに?】


 キョトンと首を傾げながらコワールは私と併走している。


「う、うん! あの魔物から赤ちゃんを取り戻さないといけないの! お友達が食べられちゃうの嫌でしょ!?」


【たべられたら、どうなるの?】


 あ、ダメだ。

 この仔まだ死ぬとかそういうのを理解していない。


 当たり前だ。

 まだ生まれて一週間。

 とても賢い仔だけど、生まれたての赤ちゃんなコワールに生き物の生き死がわかるわけない。


「えっ、えっと! もうずっと遊べなくなるの! コワールと同じぐらいのお友達が! ずっと居なくなるの!」


【いなくなる?】


「そう! もしかしたらコワールと遊んでくれるかも知れない子が! 遊べなくなっちゃう!」


 難しい!


 一体どうやったらこの仔に死ぬって事を理解させる事ができるのか。


 よくよく考えたら、人間の子供ですらそこらへんの理解を覚えるのはずっと大きくなってからだ。

 小学生の低学年を過ぎた辺りからやっと分かり始めるんじゃないだろうか。


【よくわかんないけど、あのとんでるのおいかけたらいいの?】


「そう! 頑張れる!?」


 小さなコワールに無理をさせるようで本当は嫌だけど、今は私とこの仔しか居ない。


 お願いコワール!

 あの赤ちゃんを助けるのに力を貸して!


【わかった! せなかにのっておねえちゃん! ぼくがんばるよ! おかあさんやおとうさんみたいにはとべないけど、いっぱいはしる!】


「ありがとうコワール! 本当にいい子だね!」


 コワールが私を追い越して少し先で止まる。

 身を屈めて私が背中に乗れるように構えてくれた。


 私は急ぎながらもゆっくりとその背中に乗る。

 うわ。

 さっきアニーに乗ったから分かってしまう。


 この仔の背中、とても華奢だ。

 背中が細くて、お肉が無くて、骨がお尻に直に感じ取れてしまう。


 怖い。

 何が怖いって、私が乗る事で壊れてしまいそうでとても怖い。


【んっしょお! カイリおねえちゃんおもーい!】


 ヨタヨタと頼りなく立ち上がったコワールがよろついた。


「だ、大丈夫コワール? 無理だったら降りるから、ちゃんと言ってね?」


【だいじょーぶ! はしるからつかまってー!】


「う、うわっ」


 小さな翼をパタパタと羽ばたかせて、コワールは駆け出した。

 フラフラとふらつきつつも、次第にその足取りがしっかりと地面を踏みしめ始める。


【だんだんはしりやすくなってきたー! もっとはやくはしるよー!】


「う、うん! 頑張ってコワール!」


 こんな小さくても立派な馬だ。

 本能なのかなんなのか、乗馬経験なんてつい一時間前に済ませたばかりの素人な私を背中に乗せて居ても、コワールはしっかりと走ってくれる。


 アニーやエニオンに比べたらまだ全然遅いけど、それでも私が走るよりとても速い。


『ギッ!?』


『ギャース!』


『ギアッギアッ!』

 

『ギャギャギャッ!』


 翼の生えた猿モドキ四匹が私達を見つけてしまった。

 すでにその体をちゃんと確認できるぐらい距離は縮まっている。


【なにあれ……キモちわるーいっ!】


「うわぁ……」


 猿モドキの姿はとてもグロテスクだった。


 皮膚が一切無く、血管や筋肉が剥き出しだ。


 背丈は多分私の腰ぐらいまでだろう。

 120センチ有るか無いかで、足が極端に細く腕があり得ないぐらい太い。


 背中の翼は鳥のソレではなく、コウモリなんかと同じ骨格に薄い皮が張られたタイプ。


 それは魔物と言う言葉が本当にぴったりくる醜悪な生き物だった。


 そのビジュアルだけでも最悪で気持ち悪いけど、それ以上に心の底から説明しようの無い不快感が湧き上がる。


 言うなれば邪気の塊。

 足のつま先から頭のてっぺんまでが悪意で形作られていると言われたら、意味が分からなくても納得できてしまう。


 生理的嫌悪感。


 そう。

 生きていく上でどうしても受け入れがたいあるとあらゆる要素で、あの猿モドキという生き物の全てが満たされているかのようだ。

 

「ふぇああああっ! んびゃあああああっ!」


「あの籠! あの中に赤ちゃんが入ってるんだ!」


 木の皮で編まれた丈夫そうな籠の中から泣き声が響く。


『ギイッ!』


『ギァッ!』


 猿モドキ達は二匹ずつで籠の両端に付いている取手を持っていて、風に揺られて危なかっかしく揺れている。


「お願い! 赤ちゃんを返して! きっとお母さんが心配してる!」


【かえせー!】


『ギャーギャッギャッギャッ!』


 私とコワールの声に、下卑た笑い声を返す猿モドキ。


 なんで笑うの!?

 何がそんなに面白いの!?


『ギャース!』


『イギャーッ!』


「ああっ!」


【わぁっ! とんでっちゃう!】


 嫌らしい声を上げて、猿モドキ達は私達を挑発するかのようにフラフラと揺れながら高度を上げていく。


 そうか、あの猿モドキ達。

 楽しんでいるんだ。


 ティオールさんも言っていた。

 あいつらは賢い奴らだって。


 必死な私達の姿を見て、『滑稽だ』って、『愉快だ』って笑ってるのか。


「かえせ……」


 コワールにしがみついている腕に自然と力が入る。


 許せない。


 動物だから、肉食なのは理解できる。


 でもなんで人間で、しかも赤ちゃんを狙うのか。


 確かに赤ちゃんは大人に比べて弱々しく、そして抵抗しない、餌として見るなら最適な獲物だろう。


 でもわざわざ人里に降りてまで狙う必要は無いはずだ。

 森や川、山にだって色んな生き物が居るんだもの。

 他の動物なら良いって言いたいんじゃない。

 でもそれが自然の掟なら、認めるしかない。


 だけど、多分あの猿モドキはその掟の為に人間の赤ちゃんを狙ってるわけじゃないと思う。


 何でだろう。

 根拠も何も無いけれど、あの猿モドキ達は絶対に普通の生き物じゃない気がする。


 あの気持ち悪い邪悪な生き物達はきっと、人間に害を与える事を喜んでるだけだ。


 だから許せない。


「赤ちゃんを! 返せぇええええ!!」


 脳内で作りあげた勝手な思い込みが爆発した。

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