第10話 2日目 エニオンとアニー


「これで準備完了でございます」


 アネモネさんがにっこりと笑って私の背中を押した。


「これって、なんですか?」


 いや、なんとなく分かって来てるんだけどさ。

 とりあえずは聞いとかなきゃ。


「乗馬用の軽装備ですよ。騎士見習いは入団して暫くはこれを身につけて乗馬の訓練をするんです」


「乗馬……」


 アネモネさんに連れられて馬房へとやって来た私は、さっきまで着ていたラシュリーさんのお古のドレスから厚手の長袖シャツとズボンに着替えさせられ、肘と膝に革と鉄でできたプロテクターみたいな物を付けられている。


 頭には皮と鉄のパーツでできたヘルメットみたいなものを被されている。

 すこし大きめだからグラグラと揺れるが、顎紐をきつく締めているから外れる事はないだろう。


「馬に、乗るんですか?」


「はい。乗ります。これからカイリ様には、グランハインド領での祭りで必ず行われる騎馬による飛行演技を体験して貰います」


 飛行演技って、それはつまり。


「乗っていいんですか!?」


 本当に!?


 私ずっと意地悪されるもんだと思ってたから、これは素直に嬉しい!


「ええ。ビスティナ様とティオール様の乗る馬での二頭立ての演技です」


「やった! ありがとうございます!」


 バッと後ろを振り向き、馬房の前の木製の机でお茶を飲んでいたラシュリーさんを見る。


「うふふ。喜んでいられるのも今の内よカイリ。さっき言ったでしょ? ハインド種は気性が荒くて力強い馬だって。話を聞いてるより体験するのが一番良いわ」


 ニマニマと楽しそうに笑うラシュリーさん。


 確かに空を飛ぶのはちょっと怖いけれど、それよりもペガサスに乗れる嬉しさの方が強い。


「先頭は私が務めますから、カイリ様はフライデル卿と二頭目の馬にお乗りください」


 ビスティナさんが馬房から一頭の馬を出しながら私に言う。


 手綱が繋がれているくつわを咥えながら鼻息荒く歩くその馬は、茶色と白のブチが可愛くておっきな子だ。


「フライデル卿! 私は先に準備しておきますね!?」


 私が着替えていたから、男性のティオールさんには外で待機して貰っていた。

 ビスティナさんは大声でティオールさんに呼びかけると、あぶみに片足を掛けて軽々と鞍に飛び乗った。


 うわぁ、かっこいいなあの乗り方。


 私にもできるかな?

 難しそうだなぁ。


「この子は私の愛馬で、エニオン号と言います。空を駆けるのがとても上手いんですよ?」


 カッポカッポと音をたてて、ビスティナさんとエニオン号が私の目の前に来た。


「エニオン号……うわぁ、可愛いなぁ。よろしくお願いします」


 おっかなびっくりと右手を差し出すと、エニオン号は頭を下げた。


 さ、触ってもいいの?

 良いんだよね? エニオン号が許してくれたんだよね?


「あら」


「なんと」


 アネモネさんとビスティナさんがなんか驚いてる。


「し、失礼します」


 意を決してエニオン号の鼻の上を撫でる。

 その毛並みは見事で、サラサラしてて手触りが良い。


 エニオン号は目を細めて、逆に首を動かして私の手をスリスリした。


 撫でる力が足りなかったのかな?


 こうかな?


 小さな往復から、大きな往復へと手の動きを変えた。


 エニオン号の鼻息がより荒くなった。

 喜んでるのかな?

 じゃあもっとやってあげよう。


 鼻の上だけじゃなく、眉間まで。

 ゆっくり丁寧に、痛くないように。

 背伸びしないと届かないけれど、エニオン号が喜ぶならお安い御用です。


「驚きました」


「私もです。エニオン号がこうも簡単に知らない人間の手で撫でられるなんて」


 え?


「あ、あの。触っちゃ、不味かったですか?」


 ダメだったかな。


「いえいえ。エニオン号に限らず、ハインド種は騎手や世話係の者以外には滅多に触れさせないんです。なのにカイリ様にはすぐに頭を下げて触れることを許してましたから、私もアネモネも驚いてるのです」


「躾けられてるので暴れたりはしませんが、普通は嫌がるんですよ?」


 そうなの?


「えっと、ありがとね? エニオン」


 私がお礼を言うと、エニオン号は一回ヒヒンと鼻を鳴らした。

 うわ、お返事までしてくれた。

 本当に賢い子だなぁ。


「さて、じゃあエニオン号。私の相棒よ。お嬢様とお客様に日頃の鍛錬の成果を見せる時だぞ。はっ!」


 ビスティナさんが気合いを入れて手綱を引くと、エニオン号は高らかに嘶いて馬房の入り口まで駆けていった。


 外に出てしばらく走り、大きく翼を広げて飛び上がる。


「かっこいい……」


 外の明かりのせいでエニオン号とビスティナさんが逆光の中に消えてきったように見えて、あんまりにもその光景が似合ってたもんだから見惚れてしまった。


「カイリ様、私の準備も終わっております」


 馬房の入り口からティオールさんが入って来た。


 その手に引かれた手綱の先に、灰色の毛並みを持つペガサスが続く。

 うわ、あの子凄い大きい!


 今日見たペガサスの中で一番だよきっと!


「こ、この子のお名前はなんて言うんですか?」


 エニオン号と二回りぐらい違う体格のその馬に駆け寄る。

 近くに来ると見上げる形になって、余計大きく見える。


「アニー号ですよカイリ様。彼女は騎士団の騎馬の中でもっとも強く早い馬なんです」


 アニー号! 女の子だ!

 

「よろしくねアニー!」


 さっきエニオンにしたみたいに右手を出すと、アニーも頭を下げてくれた。


 やった! アニーも触らせてくれた!

 ほんと優しい子たちだ!



「へぇ、凄いわカイリ。アニー号はウチの馬の中でも一、二を争うほど気難しいのよ? ティオ以外だと言うことを聞いてくれないの」


 ラシュリーさんが口元に手を当てて驚いている。


「機嫌が悪いと世話係りすら触れさせて貰えない時がありますからね」


 ティオールさんにそう言われても、あんまりピンと来ない。

 なにせ今のアニーはとっても嬉しそうに私に撫でられているから。


「よーしよしよし。良い子だねアニー。ありがとう」


 あんまりにも嬉しくて両手で頬をわっしわっしと撫でまくる。


 喉を鳴らして喜ぶアニーが可愛くてしょうがない。


「ティオ、分かってると思うけれど気をつけて頂戴ね? 貴方が居てカイリが落馬するとは思えないけれど、一応よ?」


「任せてくださいお嬢様。アニー号もカイリ様をとても気に入っておりますし、演技も難しい演目ではなく簡単な物を行うつもりですから」


 不安そうなラシュリーさんにティオールさんが笑顔で応える。


 これやるって言い出したのラシュリーさんなんだけどな。

 私の反応が見たくて勢いで始めちゃったけれど、今になって怖くなっちゃたんだろうか。

 

 ていうか、どれくらいの高度をどれだけの速さで飛ぶんだろう。

 あんまり高いと少し嫌かも。


 まぁ、良いや。

 ティオールさんは凄腕らしいし、ビスティナさんも一緒なんだし。

 きっと大丈夫でしょ。きっと。

 アニーに乗って空を飛べるんだし、すこしぐらい怖くても我慢するよ!


「ではカイリ様、失礼いたします」


「え? うわわっ!」


 ティオールさんが突然私を持ち上げた。


 両脇に手を突っ込まれ、軽々と。


 自然な流れすぎて抵抗すらできなかった。


「そちらのあぶみに右足を掛けて下さい」


「こ、こうですか?」


 アニーの背中の鞍からブラ下がる鐙に右足をかけ、左足を大きく開いてそのその背中に乗った。


 ちょと戸惑っちゃったけれど、大丈夫だよね?

 アニーに痛いこととかしてないよね?


「お上手にございます。後ろに私が座りますので、ちょっとだけ前に詰めて頂けますか?」


「は、はい」


 あぶみにかけた足を外し、言われた通りに前に詰める。


 さっきエニオンが背負ってた鞍より少し大きいな。

 あ、もしかしてこの鞍って二人用なのかな?


「どうカイリ。大好きな馬に乗れた感想は?」


「最高です!」


他の子より体の大きなアニーに乗ってるから、周りの景色の見え方が全然違う。


 地上にいてもこれだけ違うのに、空から眺める景色はいったいどうなってるんだろう。


 楽しみだ!


「では次は私が失礼して」


 ティオールさんが軽々と鞍に飛び乗ってきた。

 私にもアニーにもまったく揺れが来ない乗り方だ。

 コツみたいなのあるんだろうか。


「ではお嬢様。行ってまいります」


「ええ。お願いします」


 い、いよいよだ。


 アニーに乗って、私の飛行デビューだ!


 ワクワクしすぎてちょっとだけ心臓が痛い。


「はっ!」


 ティオールさんが気合いとともに手綱を動かすと、アニーが体の向きを変えて馬房の入り口まで駆けた。


室内から外に出たことで眩しさに目を閉じる。


 目を細めて光に慣れるまで耐え、やがてゆっくりと見開く。


 上空にはビスティナさんとエニオンがぐるぐると旋回し、その周りを他の馬たちが興味深そうに眺めながら飛んでいる。


「大丈夫ですかカイリ様」


「は、はい! 大丈夫です! いつでも行っちゃってください!」


 ティオールさんの言葉に元気良く返事を返した。


 この冬空を、今から飛ぶんだ!


 ペガサスに乗って!


 私のテンションのボルテージが最高潮なんだよ! アニー!

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