03. 再スタート

 結論から言うと、地球へ戻ったのは夏休みの真っ只中、八月三日だ。

 突然、かつて女神に呼び出されたのも夏休みで、俺にしてみれば十年を巻き戻されたのかと思った。


 高校二年生の日常と、魔王と戦った月日が二重写しのように混じり合い、妙な感じだ。

 日本時代の記憶を辿り、自宅まではすぐ帰り着く。


 本当の名前は光代みつしろけん、実に勇者っぽい。

 まさか名前で選ばれたんじゃないだろうなと、胸がざわついたものの、今さらゴネても無意味だろう。


 ここから一週間が、日常とは程遠いドタバタ騒ぎだった。

 叫んで抱き寄せる母に、ほろほろと落涙する父。

 十年は経っていなかった。

 一年だ。丸々一年間、俺は所在不明だったらしい。


 病院に放り込まれ、連日、病室で刑事たちから事情聴取を受けた。

 三年生になった友人たちが、見舞いにも訪れる。

 何処にいたのか、何があったのか、そりゃもう根掘り葉掘り聞かれたけど、全て「忘れた」で通した。


 診断で付けられた病名は長期記憶障害、何らかの事件に巻き込まれたことで、一年分のエピソードが失われたのだろう、と。

 嘘だけどな。ここは頑張って、皆を騙し切るつもりだ。


 同級生に、やたら心配して世話を焼こうとした女の子がいた。

 俺が名前を思い出せないのに酷く落胆していたけど、これは事実だから仕方が無い。

 今まであんまり喋ったこともないはずだ。

 おそらく俺に好意を持ってくれているんだと思う。この精神年齢になれば、それは分かる。

 でも、色恋は当分いいや。


 身体は重く、頭痛は五日ほど続いた。

 極度の肉体疲労かと思いきや、検査結果は健康そのもの。

 どうやら、女神の加護が消え、身体能力が低下したのを勘違いしただけみたいだ。


 不調はどこにも無いので通院に切り替え、今は家でゴロゴロしている。

 復学は九月から。

 その時点を以て、頭はオッサンの高校生が誕生する。


 一ヶ月のニート生活を、さてどう過ごすか。やりたいことは、意外とたくさん見つかった。

 コミックの新刊が欲しい。ストーリーは鮮明に覚えているが、懐かしいことこの上ない。続きが読めるのは、真に喜ばしい。


 新作ゲームを遊びたい。オンライン対戦も久しぶりだ。

 魔王戦のシビアさには敵わないと言え、ロボットや銃器なんて向こうに無かったからな。近未来的なやつがやりたい。


 食い物、これが一番の楽しみだ。

 肉まん、アイスクリーム、ドーナツにポテトチップス。

 十年ぶりだぜ? 母さんの味噌汁とサーモンフライですら、涙が出そうだった。


 思い返せば、向こうの料理は不味まずいなんてもんじゃない。塩が貴重品なんだもの。

 焼いただけの肉なんて、もう食いたくねえよ。


 ベッドに寝転んだ俺は、新品のスマホをいじくる。

 元々使っていたやつは一緒に召喚されて、捨ててしまったからさ。入院中に、親に頼み込んで買ってもらった。

 スマホが無いことには、何も始められん。


 まずは通販だ。アカウントは、まだちゃんと残っている。

 漫画とゲームを調達しよう。

 ショッピングカートに三冊と一本を入れて、決済画面へと進む。

 “シエルクロス”とかいう、ロボMMOを選んだ。


 購入資金なら有る。未使用のポイントカードが一枚、机の引き出しに仕舞ってあった。

 一万円分、使い切ってやる。

 発送先は自宅、支払い方法はポイントカードで、と。


 番号入力画面で、カードに記載された数字を入れる。

 OKボタンを押して数秒、冷酷な宣言が下された。


 “この番号は有効期限を過ぎています。再入力してください”


 は? 一年で期限が切れるなんて――。


 ――違う、三年だ。

 このカードは、入学祝いで貰った。

 三年で失効してしまったんだ。

 いくらでも欲しいものはあるからと、三年生まで取っておいて、これか。一万円だぞ?


 ……諦めてたまるかよ。


 魔王のしぶとさにも、気持ちが萎えたりはしなかった。

 ポイントカード如きが、勇者の意志を曲げられると思うな。

 滅魔の一撃、喰らえっ!


有効期限延長リミットブレイクっ!」


 カードの数字がグニャリと歪む。

 一瞬の後、ポイントカードは新たな生命を吹き込まれた。


 この身に残された唯一の神力――リミットブレイク。俺は限界を超える。

 正確に言うと、超えたのはカードだが。


 無事に注文を終えたら、スマホへ用済みだ。

 友人からの通話も今は不要、しばらくは邪魔されたくない。


 端末をベッドに放り投げた俺は、台所にいた母さんへ外出を告げた。

 猛烈に心配されるのは、当たり前ではあろう。気持ちは分かるけど、早く平静に戻らないもんかな。


 俺には大事な責務がある。友よりも親よりも優先すべき、勇者の務めが。

 スニーカーへ足を突っ込んだ俺は、最寄りのコンビニへと向かった。

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