死者の書 第10節












「……ひとつだけ、わからなかったことがあるの」


 母の肩口に頭を預け、目元を赤く腫らしたナルキアが、暫しの沈黙の後に、そう呟いた。


「あの日……私が旦那さんを殺した、あの日はね。バケツをひっくり返したみたいな、どしゃ降りの雨の日だった。それなのに、廃屋を焼き払った火は、少しも勢いを落とさないで、いつまでも燃え続けてた。たぶん……油か何かを使った、人為的な火災」


 過去の情景を思い返すように、ナルキアが、ぽつぽつと話し出す。


「それに、炎の色もおかしかった。普通の炎じゃない……魔法で生み出した、飴色で。……まるで、自分自身を食らい続けて、大きくなってるような……魂を燃やして輝いてる、宝石みたいな炎だった」


 魔法で生み出した炎とあって、あの火災のあと、街の貴族のヒューム、及び炎熱系種族のガルム全員に嫌疑がかけられたが、当時の天候状況などもあって、目撃情報もなく、結果は証拠不十分として、犯人は特定されなかった。


「……あれは、誰がやったんだろうって」


「――……そうね」


 母が、膝に目を落としながら、ぽつりと呟く。


 ナルキアは、預けていた身体を起こして、「私ね」と続けた。


「自首、しようと思うんだ。……こんな中途半端なままじゃ、生き辛いし。それに……みんなに、申し訳ないから」


「……そう」


「――……せっかく、助けてくれたのに、ごめんね」


 ナルキアの言葉に、母が、ふっと笑う。


「私が勝手にやったことだもの。そうしないといけない事情もあったし。勝手に病体に負担をかけて……もともと、死ぬ予定だった日よりも早くに死んだ。それだけのこと。……あなたに、お別れの言葉もかけられなかったもの。謝るのは、私の方よ」


 ナルキアも、ふふっと笑い、ソファの背もたれに身体を預けて、天井を仰いだ。


「……やっぱり、気付いてたんだ」


「それはそうよ。死に際まで一度だって、ボケてはいなかったもの」


 そこまで言って、母はそれ以上何かを聞こうとはしなかった。


 ――どうやって、自分を生き返らせたのか。その答えを、母は持っているのかも知れないし、そうでないのかも知れない。


 ただ、お互いに、それ以上は語らなかった。


「……結局、お母さんに何も返せないままだったから。こんな形だけど、少しでも親孝行できてよかった。……出来ることなら…………これからも、ずっと……」


「……ナルキア」


「ん……?」


 母が、すっと目を細める。


「これから先も、何か辛いことがあったらね。お母さんのことを思い出して。……向こうからでも、きっと、あなたのことを守ってあげるから」


 ナルキアの栗色の髪を、愛おしそうにかき抱き、母が言う。


「……いつまでも傍にいてあげたいけど……それは叶えたくても、叶えちゃいけない願いだから」


「…………。……うん……」


 母の手に、そっと触れる。


 この夢のような三日間を反芻するように、ナルキアは瞳を閉じて、母の額と自分それを、こつんと合わせた。


「わたし、がんばるから。……見守っててね」


「……ええ」


「……ありがとう。お母さん」


 頰を、一筋の雫が伝い落ちる。


 母のあたたかい手のひらを、ナルキアは、きゅっと握り締めた。











 ーー翌朝。


 目が覚めたナルキアの隣に、母の姿は、もうなかった。


 残されたのは、飲みかけの二つのティーカップ。


 そして、つい先ほどまで、確かに母がそこにいた証である、手のぬくもりだけだった。




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