死者の書 第4節
ナルキアが指した方向へ、少年が足早に歩き出す。
「あ、待って! ねえってば!」
「そうそう。私のことは、気軽に“ヴェルグ”と呼んで下さい。貴女は……」
「ナルキア! ナルキア=オードネイ! ねえ、あなた本当に何者なの……! オルヴェルグって本名? 昔話の神様と、何か関係あるの?」
「神様?」
ヴェルグ、と名乗った少年が足を止めず、顔だけをナルキアに振り向かせる。
「ああ、絵本に出てくる、あのオルヴェルグですか? 私もあの物語好きですよ。綺麗な話ですよね」
「いや、だから……あなたの名前が、その」
「私は神様ではなく、【融資屋】のオルヴェルグですので」
言いながら、ヴェルグはそそくさと近くの屋台で焼き鳥を二本買うと、「よければどうぞ」とナルキアにそのうちの一本を渡した。
自分の分を大きく頬張り、幸せそうに頬を緩めるヴェルグを見て、ナルキアも釣られるように一口かじる。
当然、味を感じる余裕などあるはずもなかったが。
(何だろう、この状況……結局この人、何なの? なんで焼き鳥? もう、わけわからない……)
本当に、これは全部夢なのではないだろうか。本当はまだ、ベッドの中で、とてつもなく長い悪夢を見ているだけなのでは……。
そんなことを真剣に考え始めながら、今しがた焼き鳥を買った屋台の、翡翠色の瞳と、燃えるような紅蓮の髪が特徴的な竜族の少女を一瞥し、ナルキアは天を仰いだ。
ーーこの世界には、ヒュームとガルム。二つの種族が存在する。
ゴブリンやハーピィなどの魔物が、生物的に進化した姿とされるガルムは、かつての魔物の面影を随所に残しながら、人の姿を象っている。
一方のヒュームは、ガルムのように鋭い爪も牙も、皮鎧もないが、知能と繁殖力に優れ、一般的にガルムよりも優れた人種として世界に広く認知されている。
つい百年ほど前までは、ヒュームがガルムを排他的に扱い、二種族の優劣が明確に分かれていたが、近年ではその選民思想もやや薄れてきている。
その証拠が、あの小さな屋台であると言ってもいいだろう。近年まで、ガルムがヒュームの住む街で店を構えることなど、許されない時代だったのだ。
(……もし、これが夢だとしたら、あの子が可哀想だなあ)
毎日の通勤路で見かけるたびに、弾けるような笑みを飛ばしているあの竜族の少女も、今日はヒュームの少年に商品が売れたからか、特別嬉しそうに笑みを滲ませている。
……きっと、ヒュームの自分などには知る由もない、苦しみを味わってきたはずなのに。あんな風に笑えるのは、何故だろう。
(……私とは大違いだな)
何となく居た堪れない気持ちになり、ナルキアはさっさと残りの焼き鳥を頬張っていると、突然、前を歩くヴェルグが足を止め、その背中に鼻をぶつけてしまった。
「んぐっ!? ……げほっ、い、いきなり止まらな……!」
「ご自宅、ここでしたか?」
ひょい、とナルキアから串を取り上げながら、ヴェルグが問う。むせながら顔を上げると、確かにそこには、見慣れた我が家があった。
「あ、そう。ここーー…」
答えかけて、直後にぴたりと言葉を切った。ーー方向は伝えたが。なぜ、家を知っているのだろう。
ナルキアが、じとりとヴェルグを見る。
「……なんです? 不審者でも見るような目で」
「いや、どう見ても初めから不審者でしょ、あなたは。何で私の家を知ってるの?」
「ああ、それはおか――……と、いや。まあお気になさらず。それより……もうお待ちのようですよ」
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