第43話 渇愛

 渇愛が苦しみを生む。これが釈尊の悟りだったのだけども、どんなに苦しくても渇愛を求める女がいた。

「渇愛こそが我が人生」

 女はいう。

「渇愛を捨てなければ、いつまでも輪廻転生することになるんだよ」

「輪廻なんて怖くない。わたしは愛を探す。何度、輪廻転生しても愛を探す」

 女にも好きな男ができた。この男なら、愛を捧げるに足る。そう考えたが、数年もたつと男への愛は醒めてしまった。

「だからいったでしょう。渇愛は苦しみの源泉です。渇愛を求めるといつまでも苦しむことになりますよ」

 高僧がいう。

 やがて女は死んでしまい、輪廻転生した。

「今度の人生でこそ、愛するものを見つけてみせる」

 女は意気込んだが、やはり高僧が来ていった。

「愚かなことだな。いつになったら世界に愛などないと悟るのだ」

「わたしはあきらめない。愛を探す。きっとある。世界に愛はきっとある」

 女はむかし、夫と暮らしていた時、確かに愛のようなものを感じたのだ。だから、愛は存在すると信じていた。

「愛はある。釈尊よ、嘘をつくな」

 とうとう釈尊にまで文句を言い始めた女だった。

 それで、釈尊がやってきていった。

「この世の苦しみは渇愛から生まれるのだ。愛をあきらめれば、穏やかな生活がやってくる」

 釈尊はそう教えたけれども、女は納得しなかった。

「愛はある」

「ちがう。愛などというのは、誰かがまちがって言い出した嘘だ」

 女は仏教を反駁しようとした。

 愛はある。渇愛は悪いことではない。輪廻転生を恐れずに愛を探す。

「しかし、男も女も美しいのは十年か二十年かではないか。後は醜くなり、老いていくだけだぞ。それでも愛せるのか。万人を見よ。美しい人よりそうではない人の方が多いのではないか」

 高僧はいう。

「釈尊よ、渇愛が満たされたことはあったのか」

 女は凄まじい形相で質問した。

「ない」

 釈尊は答えた。

「釈尊よ、愛を求めるのは確かに苦しいのです。何度、裏切られたことか」

 女は告白した。

 女は愛を求めて輪廻転生した。

「ああ、この人生でも愛は見つからなかった」

 そして、再び輪廻転生した。

「今度の男はけっこういい線いってたのになあ」

 女の渇愛はまだ満たされなかった。

 産まれてから、ただ愛を探すためだけに生きた女が、一生かけても愛を見つけることができなかったのだ。

 いい男はたくさんいた。だが、愛する男は見つからなかった。

「わたしはあきらめない。愛を探す。きっとある。世界に愛はきっとある」

 女は前世を見てもらうと、前世はサルだったこともあり、ゾウだったこともあり、ライオンだったこともあった。それでも愛を探した。何百回と輪廻転生して。

 女は男に転生して、女とやったことがあった。それでも、その愛に満足しなかった。

 女は何度も輪廻転生して、

 格闘家の妻になったことも、

 芸術家の妻になったことも、

 兵隊の女になったことも、

 不良の妻になったことも、

 悪人の妻になったことも、

 王妃になったことも、

 王女になったことも、

 性豪の妻になったことも、

 社長の愛人になったことも、

 政治家の妻になったことも、

 努力家の妻になったことも、

 映画俳優の妻になったことも、

 地味な男の妻になったことも、

 隠れた天才の妻になったことも、

 大富豪の妻になったことも、

 戦友と呼べる男の恋人になったこともあった。

 近親相姦や売春婦をしたこともあった。

 それでも、女の渇愛は満たされなかった。

「わたしは何度転生しても、必ず愛を見つけてくる」

 女はそういって、また輪廻転生した。

「性愛だけではなく、慈愛や人類愛も大事ですよ」

 高僧が忠告したが、

「見くびらないでくれ。わたしは慈愛や人類愛も得意だ」

 と女は答えた。

「ここまで来たら、愛の神を探すしかないんじゃないか」

 と女がいうと、

「だから、愛の神なんて存在しませんよ。愛は存在しないもの。人類が作り出した幻想。そして、愛は幻の希望です。四十年連れそった夫婦が、喧嘩をすることもなく、お互いを愛していたなんて話はそうめったにあるものじゃないですよ。あなた程度では、そんな人生は歩めないでしょう」

 と高僧が忠告する。

 そして、輪廻転生をくり返した女は、素晴らしい愛の師匠に出会った。愛の師匠は物理学者だった。二人は禁じられた師弟愛ってやつになった。

 その物理学者は、なぜ女が愛を求めてひたすら輪廻転生しつづけるのかを物理学で解明してくれたのだ。その物理学者はとても頭のいい人だった。

「あなたが求めていたのは、物理学による愛の解明だ。おそらく、古代に仏教徒が目指していた解脱とは、物理学による愛の解明なのだ」

 物理学者がいった。

 女は数百回と輪廻転生をしたけど、この物理学者こそが探していた愛の化身だと思ったよ。

 釈尊よ、愛はあるよ。渇愛の輪廻転生の行きついた先は、それはそれは愛に満ちた人生でしたよ。

 わたしは、ただひたすら愛を求めて輪廻転生した。そして、とうとう探していた愛が見つかった。わたしは仏教に勝った。愛は存在した。

 そこで、女の輪廻転生は終わった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る