第42話 魚龍と古剣

 世の中が西洋趣味ばかりで面白くなく、おれは東洋人だから、東洋趣味もひとつやってやろうと、漢詩なんかを読んでみた。まあ、たいして面白いものじゃないけど、時々、びっくりすることが書いてあるよ。

「君は黄河に来たのに、その起源までは見なかったのか。おしいことをしたな。上流では、黄河の水は天から滝となって落ちているのに」

 なんてことをいったりする。

 中国じゃ、詩人ってのは厳しいものでね。天帝は、詩人に詩を作らせるために、わざと困難を与えるというんだ。おれも、中国で漢詩をやる勇気はないよ。天帝が怖いから。一編の詩を作るのに、人生を賭けるなんてできるものか。

 黄河の水が銀河から落ちてくるというのも、詩人の秘密でね。一度は見てみたいだろう。銀河から水が落ちてくるのを。

 中国の詩人は酒ばかり飲んでいる。旅に出る前に酒を飲み、旅先でも酒を飲み、故郷に帰ったらまた酒を飲む。

「いつでも友だちだといってくれ」

 なんていったりする。中国の詩人は友情に熱いやつらなんだ。こんなことばはなかなかいえるものじゃないよ。

 自分と友が、それぞれ天の一方にあっても、

「四海皆兄弟」

 中国の詩人では、このことばは有名だ。

 でも、人生の困難に遭うと、ひょっとして、これは天帝がおれに詩を作らせようとしているんじゃないのか、なんて思ったりもするよね。

 李白なんかは、酒を買う金もないのに店主に拝み倒して酒を飲んでいた。飲んだくれの踏み倒しさ。

 お供え物の酒樽だって勝手に開けて、どんどん飲んだ。

 小さな隠者は山林に隠れ住み、大きな隠者は宮廷に隠れ住む。

 これも中国の詩人の知恵だ。

 宮廷に居ながら、誰にも知られることがない。どうやったらそんな生き方ができるんだろうね。

 海には魚龍がいて、詩人は古剣を持って戦う。

 天はきっとおれの力を必要とする。

 それが中国の詩人の生き様さ。

 中国の詩人はみんな酒を飲む。やがて、古代の聖賢は忘れ去られ、酒飲みの名前だけが残った。

 鳥が絶滅して、道には人がいなくなり、人類が滅亡するそんな時にも、中国の詩人はひとり孤舟を川に浮かべて、魚を釣る。

 それが中国の山水詩の理想だ。

 彼の人生の何が得で、何が損だったなんてわからない。

 千年たったら、何が栄光で、何が屈辱だったかなんてわかるものか。

 遊仙詩ってものがある。老荘思想を歌った詩のことだ。

 都は遊侠の巣窟。山林は隠遁の棲家。それが遊仙詩だ。

 酒中の仙、月と影を伴う。

 詩人を見たら気を付けろ。月と影に異常があるはずだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る