第38話 消えたウロボロス

 真理の殿堂には、自分の尾を食べる蛇の紋章が描かれていた。

「これは何を意味しているんだ」

 と科学者が問うと、書記官が答えた。

「これはウロボロスという矛盾の象徴です」

 壁に同じような図象がたくさん描かれている。

 これらはいったい何を意味しているのだろうか。

「ウロボロスとはいったい何なのだ」

「ウロボロスは、宇宙のへび、宇宙のしっぽです。あなたが本当のことを知りたいというから、ここへ案内したのです。宇宙は自分の尾を食べる蛇です。自分の体を食べて活動している」

 科学者はことばの意味を考えようと神経を集中させた。

 宇宙が自分を食べているとはどういうことなのか。もし、それが本当なら宇宙はどのような構造をしているのか。それを工学的に利用するにはどうしたらよいのか。

「ここにはもともとウロボロスが居ました。ウロボロスは自分の尾を食べて、ここで消えてなくなったのです」

 科学者は考えつづけた。

「地球には、何万という消えたウロボロスがいるのです。この宇宙は消えたウロボロスが支配している。わたしはそう考えています」

「ウロボロスは何を望んでいるのだ」

 科学者はやっとそうたずねるのが精いっぱいなくらい、ウロボロスの正体が理解できなかった。

「永遠、無限、万物を変化させる錬金術が目的といわれていましたが、はたしてそれは本当なのか、わたしにはわかりません」

 ウロボロスの紋章が重々しく鈍く光っている。

「いったい、いつ人類はそのことに気づいたのだ」

「ワニに教えられたという伝承があります。ワニは蛇より賢く強いので」

「すまない。こちらから頼んだことだが、わたしにはこの問題を解決するには、一生をかけてもおそらく無理だろう」

「お気持ちはわかります。わたしがいいたいのは、この宇宙を支配しているのは消えたウロボロスだということです」

「ウロボロスを素粒子物理学で説明してくれないか」

 書記官は科学者の申し出に両手をあげた。

「素粒子力学には詳しくありませんが、ここに宇宙のへびがいて、宇宙のしっぽがあって、ここで宇宙のへびは自分のしっぽを食べて消えたのです。それが素粒子物理学で説明できればよいのですが」

「ヴァーリンデのエントロピック重力理論はビッグバンを否定している。宇宙は観測の地平線よりも遥かに遠くまで広がっていて、二十世紀に信じられていた宇宙像は修正が求められている。何としてでも、宇宙の謎を解きたい。それはわたしの夢なのだ」

「わかります。宇宙の謎を解くのはわたしの夢でもあります。しかし、わたしの仕事は消えたウロボロスに祈りを捧げることなのです」

 書記官は、片手を頭の前に挙げた。

「ウロボロスは自己言及命題と関係があるのだろうか」

「あるでしょうねえ。論理学には詳しくはありませんが」

「すまない。わたしは、ウロボロスが素粒子物理学に関係あるかもしれないので、ここへやってきたのだ。わたしの目的は、素粒子物理学で宇宙の謎を解決することなのだ」

 科学者が穏和な笑顔で書記官に微笑んだが、書記官は両手をあげて答えた。

「わたしには、素粒子物理学で消えたウロボロスが見つかるとは思えませんがね」

「ああ、無理だろうな。ウロボロスの探索の方はきみに任せる」

「どちらが先に宇宙の謎を解き明かすか、楽しみですね。わたしには自信があります」

「確かに、自信がなくなるのはわたしの方だ」

 科学者と書記官は握手した。

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