第2話 コンビニ店員の日常

 ぼくは普通のコンビニ店員だ。

 大きな地震があって、近くのビルがいくつか倒壊した。幸い、ぼくの働いていたコンビニは無事で、これなら少しは生命維持をする物品があるだろうと思うと気が楽だった。食料は一日に三回配達してくれるので、補充することができる。だから、ぼくは自宅にも帰らずに、コンビニに泊まりこんで、店にやって来るお客に商品を売っていた。

 ラジオがあるからつけていたら、近くで大規模な断水しているらしく、上水道の生きているぼくのコンビニに人は大勢集まった。ペットボトルの水を買う人は多かったが、飲み物は一人十本までとぼくが勝手に決めて営業していたら、「店長を出せ」という人もいたが、この非常事態を乗り切るには仕方ないことだと思った。飲み物が不足しているのに、風呂の水や洗濯に使う水などを大量購入されたら、この区画の住民は渇きで死んでしまう。

「いらっしゃいませ」

 客が来たので挨拶する。きれいな女の人だ。客は店内を物色して、おにぎりを三個持ってレジに来る。

「ください」

 客がいうので、ぼくはおにぎりのバーコードをスキャナーで読みとる。

「三百六十円です」

「ホットの缶コーヒーもひとつ」

「はい。四百八十円です」

 代金を受け取って、清算する。

「おにぎり、明日もありますか」

 女性はそう質問をした。ぼくはちょっと困ったけど、

「わかりません。工場が動いているのかもわからないですから。保証はできません」

 そう答えた。

「店員さんは何を食べるんですか」

「ぼくは廃棄のおにぎりですね。賞味期限切れで残ったのをもらいます」

「あたしも廃棄のおにぎりほしいですね」

「すいません。廃棄のものはお客さんには出せないことになっていて。食中毒とか発生したら責任とれないので規則でそう決まっているんです」

「それじゃ仕方ないですね」

 そして、女性は帰っていった。ぼくは、こんな地震の日では規則をどの程度守ったらよいのだろうかと疑問に思った。

 まあ、考えても仕方ないね。なるようになるさ。と奥に行って、廃棄のおにぎりをつかんだ。

 おにぎりの紀州南紅梅を手に取ると、さくさくしたごはんを口に運んだ。

 このおにぎりは本当に実在するのかどうか。ぼくはそこから考えることにした。ここにコンビニが存在していて、街は地震でビルが倒れている。客は一時間で十五人くらい来て、きれいな女性はさっきおにぎりを三個と缶コーヒーを買っていった。このおにぎりは本当に実在するものなのだろうか。

 紀州南紅梅のすっぱさを感じるのは、ぼくの自我の内側にある味覚神経によって知るしかない。味覚神経はぼくの自我の内側なのだ。精神を発現する意識基底は、存在する紀州南紅梅の梅に対応する物自体であるはずだ。紀州南紅梅の味は、ぼくの自我の内側から発現するのか、外側から発現するのか、それはとても難しい。梅の味を構成する元素が化学反応して、ぼくの神経が興奮することにより、ぼくの自我の内側にすっぱいという存在が発生する。

 神経をぼくの自我の内側ととらえるのか、外側ととらえるのかも難しい。ぼくの自我は情報体であるので、神経という物質はぼくの自我の外側だ。神経によって発生した刺激が情報であり、その情報はぼくの自我の内側ということができる。

 ここにおいて、紀州南紅梅の梅は、ぼくの自我の外側だということが断言できるのであり、梅の味は、ぼくの自我の内側だと断言できるのである。

 しかし、味覚の発生はそんなに簡単なものなのだろうか。それを少し慎重に考えてみようと思う。

 ヒトの自我は、意識の内側で発現するものだけではない。ヒトの自我は、意識の内側で発生したものと、意識の外側で発生したものと、その両者の統合として発生するのだ。だから、紀州南紅梅の味は、ぼくの自我の内側に発生した味と、ぼくの自我の外側、つまり、ぼくの無意識によって発生した味との統合によって発生する。さらにいうならば、ぼくは、ぼくの自我の内側の有意識と、ぼくの自我の内側の無意識、さらに、ぼくの自我の外側にある外界からの侵入者の三つの領域のどれに属するものがぼくに紀州南紅梅の味として発現しているのかわからないのだ。

 つまり、ぼくは今、紀州南紅梅の梅を食べたが、その味覚は、紀州南紅梅の中にある梅の味以外の要素が、ぼくの自我にすっぱいという刺激を与えているのだ。そうだ。ぼくは、今、紀州南紅梅の梅の味に見せかけた外界の何物かによって、攻撃されているのだ。

 まずい。

 ぼくの意識にある紀州南紅梅の味から、本物の紀州南紅梅の味と、偽物の紀州南紅梅の味を、見極めなければならない。そうしなければ、ぼくは外界から攻撃されてしまうことになる。

 何者かが、ぼくの意識を攻撃している。それは、紀州南紅梅の梅の味に見せかけた何者かによる侵入なのだ。そうだ。この梅の味に見せかけてぼくの自我へ侵入してくるのは、昨日あった大地震なのかもしれない。もしかしたら、それはさっき来た客の女性なのかもしれない。

 いつからだ。いつから、ぼくは紀州南紅梅の味に偽装された外界からの刺激に侵入されていたんだ。ぼくがこのおにぎりの味を知ったのは、もう三年は前だ。すると、三年以上前からずっと外敵に攻撃されて、ぼくの自我の内側で、ぼくの考えた意識と区別することのできない意識として、外界に精神を一部侵食させられていたのか。

 いや、やはり、地震からじゃないのか。地震と思っていたのは、外界からの侵略で、ひょっとして、地震なんて起きていないのではないか。

 すると、いつからぼくの意識に外界からの侵入がされていたんだ。意識のたどれる最も古い記憶にまでさかのぼるとどうなるんだ。二歳の時、家から歩いて出て行って怒られたそんな記憶にまでさかのぼるのか。その時はまだ紀州南紅梅の味は知らなかった。そんなに昔からぼくの意識は外界からの侵入に侵されていたのだろうか。

 外界からぼくの意識に外挿される感情。それはぼくのものなのか、外界のものなのか。ぼくは自分の意識を自分で考えているのか。それとも、ぼくの意識は、すっかりのっとられてしまっているのか。

 向精神薬。スマートサプリを受験の時に使ったことがある。ぼくの神経の作用は、外界の薬物にも依存している。

 あるいは、仏教の阿頼耶識。外界にいる他者の主観の方が、この世界の存在であり、ぼくは意識に目覚めただけの従属精神なのかもしれない。万物の夢見る他者に、このコンビニ店員のぼくの意識はのっかっているだけなのか。

 紀州南紅梅と思わせて、ぼくの心に侵入しているのは、いったい何者なんだ。

 これは、この味は。

 客の女性。

 三時間前にこのコンビニに来て、ぼくが食べるのと同じ紀州南紅梅のおにぎりを買った女性。彼女は、唾液として、目に見えない透明人間として、ぼくの口の中に侵入して、何かを語りかけているんだ。

 ぼくは両手をゆっくり突き出すようにして、虚空を押した。あの女性は、地震を起こし、このコンビニにやってきて、ぼくの中に侵入したのだ。

「一緒に食べませんか」

 ぼくはそういって、おにぎりの残りを食べた。

「初めまして。これからよろしく」

 見ると女性が店内に立っていた。

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