第20話 六つ目の生い立ち

 穏やかな日曜日の朝。ベランダの手すりに止まった小鳥が朝日の下でさえずっている。朝治もまだ光にさらされていない新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んで大きく伸びをした。


 「ふっ……いい朝だな……」


キッチンへ向かった朝治は、袋に詰められた食パンの耳を一掴み皿に盛り、朝食の準備を完了させる……ドンドンドンドン! ……何事だろうか?


 「誰だよ朝っぱらから扉叩きまくりやがって……」


朝治がぼやきながら扉を開けると、そこには涙目になった初希が立っていた。


 「朝治くん……」

 「なんだ初希か……どうかしたか?」

 「朝治くんのバカー!」

 「ぐわー!」


初希は腰をしっかり落とし、拳を半回転させながら朝治のみぞおち目がけて突き出した。朝治は情けない声を上げながらその場でうつ伏せに倒れ込んだ。



 「ぐすっ……ひどいよ朝治くん……」

 「何が……?」


どう考えても早朝に押しかけてきていきなり殴りかかってくる方がヒドイと思うのだが、初希の表情からはそう感じさせないほどの悲壮感が漂っていた。


 「だって……昨日の夜女の人がこの部屋に来てた、って……」

 「あ」


朝治には心当たりがありまくった。初希が言っているのはおそらく澄川悠子のことだろう。なぜ知っているのかは知らないが。


 「落ち着け初希。あの人は雫月のお客さんだ」

 「……嘘 つ い て な い よ ね?」

 「ついてないよ?」


誤解は解けた。初希は泣き止んだ。雫月は初希が帰った後でもう一回怒られることになるだろう。



 「雫月さぁ……」

(待って待って! 昨日一回叱ったじゃん!)


 「お前大学行きたいのか?」

(…………へ?)


雫月は面食らった。叱られると思っていたのに、全く別の話を切り出された。


 「いや、なんとなく。お前が行きたいなら3人でもうちょっと話し合って決めた方がいいかなって」

(…………)

(姉ちゃん、どうなの?)

(……分かんない。私、別に勉強好きじゃないし)


だったら何を迷う必要があるというのか。乙女心は複雑というやつなのだろうか。しかし朝治と陸は雫月の複雑な心中を見透かしていた。


 「……まさか村の連中訴えるつもりか?」

(……そうよ。何か悪い?)

(ええ……ホントに言ってるの?)


“村”というのは朝治と範一が幼少期を過ごした村のことである。彼らが朝治たちにした仕打ちを考えれば、雫月がこう考えるのも無理からぬことであるが。それにしても訴訟のために法律の勉強とは恐れ入る。


(あの時は子どもで力もなかったから言いなりになるしかなかったけど……今は違うじゃん! あいつらが今でものうのうと生きてると思うと頭がどうにかなりそうなの!)

 「雫月……俺はもうあの村には関わりたくないと思ってる」

(でも……)

 「もういいじゃねえか。今もこうして生きてられるんだから。俺がいて、お前がいて、陸がいて。…………で、できれば範一と美玖と雄吾もいれば」

(姉ちゃん、気持ちは分かるけどさ……僕たちが普通に生きてれば、村でされたことの否定にもなるんじゃないかな?)

(むぅ………………分かったわよ)


 「……そうか。ありがとな、雫月」

(……ん)



そうだ、彼らには兄弟さえいればそれでいいのだ。愚かな者たちにわざわざかまってやる必要はどこにもない……


────────────────


 彼らはまず懐妊の時点で異常だった。彼らの母親は処女懐妊したのだ。医師たちも最初は彼女の妄言だと思っていたが、調べてみたところどうやら事実であることが判明し、至急大学病院へ移送された。

 医師たちも懸命に検査を重ねたが、ついぞ彼女がどのようにして懐妊したかを突き止めることはできなかった。そして運命の日18年前の6月2日。その奇妙な双子は誕生した。彼らの母親は出産と同時に死亡した。そして、彼らの手には不気味な瞳がついていたのだ。


 彼らは、母親の両親、つまり祖父母が暮らす村に引き取られていった。その村は人口100人にも満たない、旧習の根深い、谷あいの限界集落だった。村人たちは手に目玉がくっついている彼らを気味悪がったが、祖父母は孫で娘の忘れ形見ということもあり、“範一”と“朝治”という名前を付けてたいそう可愛がった。


 しかし偶然か必然か、彼らが村に引き取られてきた頃から、村では大風や河川の氾濫が相次ぐようになった。いまだに迷信を根強く信じている村人たちは当然のようにこう考えた。


範一と朝治は忌子なのだ。それを村に持ち込んだから龍神様がお怒りになっている。


と。龍神様というのはこの村で古くから信仰されている土地神のことなのだが、実に下らない。そして信じられない話だが、ともかく村人たちは範一と朝治を生贄に捧げなければならないと考えたのだ。


 だが当然、彼らの祖父母はそれを許さなかった。度重なる説得という名の脅しにも動じず、狭い村内で孤立状態にされても揺るがず、作物を台無しにされても稗を噛んで耐え、二人を守り抜いてきた。5年もの間。


 祖父母が亡くなってからは二人は孤立無援だった。村で発言力を持っているイタコのババアが適当でっち上げてとんとん拍子に二人を生贄に捧げる合意が形成された。彼らは周囲の圧力に、村社会の理不尽に、ただ言いなりになることしかできなかった。


 こうして5歳の幼き双子は濁流のうねる谷に身を投げた。ここで彼らの魂は天に昇る……はずだった。


 「朝治! 朝治!」

 「……範一?」


彼らは下流の河川敷に打ち上げられて奇跡的に助かったのだ。兄の必死の呼び掛けに弟も泥水を吐き出しながら目を覚ます。彼らの心は、助かった安堵と助かってしまった不安で埋め尽くされていた。朝治が不安そうに差し出した左手を範一の右手が優しく握った。


(──────!)

(────?────!)


 「……!? 範一……」

 「うん、僕にも聞こえた……」


この時からだ。手の中に住むきょうだいの声が聞こえるようになったのは。いつから居たのかは分からなかったが、ずっと一緒にいたような気がしていた。手の中に住むきょうだいにもそれぞれ“美玖”“雫月”“雄吾”“陸”と名前を付けた。祖父の部屋に丸め捨てられていた紙に書いていた名前である。要するに彼らの名前の“没案”だ。しかし兄弟たちはその名前をいたく気に入った。


 「俺達生きられるかな?」

 「生きよう。6人で一緒に」


 二つの体に6つの魂。六つ目の双生児は、自分たちを誰も知らない街で新しい一歩を六人四脚歩み始めた。


────────────────


 「ここが彼らの故郷か。……景観だけは美しいが」


 そして、朝治たちの忌まわしき故郷に訪問者が一人。丸い眼鏡を掛けた精悍な顔立ちの青年は、村の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込みながら道草を踏みつぶした。

 村は久方ぶりの訪問者に厳戒態勢であった。と言っても、訪問者が珍しいから、というわけではない。彼が村人にした質問の内容に、彼らは警戒していた。


 「六つ目の双子について教えてもらえませんか?」


村ぐるみで隠蔽してきたその双子のことを、本人たちでさえ誰にも話したことのなかった生い立ちを、彼は知っていた。そして彼は、足取りに一切の迷いなく、イタコのババアの家に向かった。


 「お邪魔しまーす」

 「な、なんじゃ貴様は!?」


縁側でくつろいでいたババアは、突然の来訪者に腰を抜かした。青年は縁側に腰を下ろしながらババアをゆっくり抱き起した。


 「大丈夫ですか?」

 「貴様は何者じゃ!」


 「無田なしだ 零司れいじ。駒並くんの友人です」


駒並の友人。そう聞いたババアは冷や汗を流し始めた。


 「……汗かいてますね。暑いんですか?」

 「なっ……何故、忌子のことを知っている!?」


立ち上がり、おぼつかない足取りで逃げようとするババア。しかし零司はそれを許さなかった。ババアの足元が床ごと凍り付いて張り付けられる。


 「逃げないでください。別にあなた達のしたことを咎めようとか、そういうつもりじゃないんです。ただ、彼らの過去を知りたい──話してくれますよね?」

 「あやつらも不思議な力を持っておったが……貴様は一体……わ、分かった! 話す、すべて教えよう!」


ババアは自分たちが朝治と範一に行った仕打ちを洗いざらい白状した。あまりに前時代的なやり方に、零司も思わず苦笑いしてしまった。しかし、実際にそれで厄災が終わったのだという。


 「へぇ……それが彼らの生い立ち」

 「も、もういいじゃろ!? この氷を何とかしておくれ!」

 「ん? あー。そうでしたね、暑いかと思って用意したんですが……そういうことでしたらもう必要ないですね」


零司がババアの方にニッコリ微笑みかけると、ババアの足元を覆っていた氷はババアの体を這い上っていき、たちまち全身を包み込んでしまった。


 「醜悪だなぁ、可哀想に……僕が救ってあげますから」


零司は本当に哀しそうに、氷漬けになったババアの死体に手を合わせた。




そしてその日、小さな一つの村の人口は0人になった。

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