第19話 雫月の休日─その②

 澄川悠子は美容師である。美のカリスマとしてこれまで多くの女性の髪をカットしてきた。初めは純粋に嬉しかった。自分の手によってより美しく可愛く、女性たちが変身していくのが。


 「悠子さん、相談があって……」


髪を触っている間ずっと無言でいるというわけにはいかない。無言の方がありがたいという客もいるが、澄川のところに来る客はそうではない。話している中で客の相談に乗っているうち、髪型だけでなくファッションや美容、果てには恋愛相談まで受けるようになっていた。


 「悠子さんのアドバイス通りにしたら上手くいきました!」


本当に純粋な善意だった。自分が誰かの助けになっている……その感覚だけで幸せだった。しかし同じようなことが毎日毎日繰り返されるうちに、澄川は次第に増長し、挙句にこう考えるようになっていた。


────自分には人を思い通りに操る才能がある。


それからの澄川は、自分の店にやってきた女性に対して時間をかけてじっくりマインドコントロールを施し、自身の“奴隷”に仕立て上げた。

 彼女が賽子パワーを手にしてからはそのやり方はもっと強引になった。超常的な力と培ってきた話術により、恐怖と安堵を交互に与えて心を縛る。こうして彼女は、3年間で延べ83人の女性を自身の奴隷にしてきたのである。


そして今、その矛先が雫月に向かおうとしていた。




 「気色悪い奴……さっさと片付けて帰ろっと!」


 雫月が鎌を澄川の脳天へ向けて振り下ろす。しかしこれは、肥大化した頭頂部の髪の毛で阻まれる。余裕綽々な表情で仁王立ちする澄川を見て雫月は歯噛みした。


 「そんな顔すると可愛い顔が台無しよ?」

 「うるっさい!」


頭に血が上ってもハートは冷静だ。悔しそうに吐き捨てながら、弾かれた勢いでそのまま後ろに飛び跳ねて距離をとる。


 「怖がらなくてもいいのよ? ほら、私にすべて委ねてみて……言う通りにしてれば、悪いようにはしないから」


両手を広げるポーズをしながら甘い声で語り掛ける澄川。雫月は無視してため息をついた。


 「とんとんとーん……」


ブツブツ言いながら鎌の柄で床を何度も叩く。その目は虚ろに揺れている、どうやら苛立ちがマックスに到達してしまったようだ。


 「言う通りになんかならないから……」

 『おい、雫月?』


せっかく距離をとったのに再び澄川の方に歩み出す。澄川もただならぬ雰囲気を感じたのか、自分の髪を針状に伸ばして四方から雫月を狙う。


 「邪魔」


しかし雫月は難なく切り捨てた。粗雑に切り捨てられた澄川の髪の毛が雫月の周りにぼとぼと落ちる。


 「こんなもんで粋がってたの?」

 「あらあら、視野は広く持たないとダメよ?」

 「は? ……ッ!」


切り落とされた澄川の髪の毛が伸長して雫月の腕に巻きつく。雫月はとっさに鎌を投げ捨てた。


 「パルちゃん!」

 『任せろー!』


手放された鎌がふわり浮きながら雫月に巻き付いた髪を切り裂く。自由を取り戻した雫月の手に、鎌が舞い戻っていった。


 「あなたとナビゲーター、仲がいいのね。羨ましいわ」

 「当然でしょ、可愛いペットなんだから」

 『当たり前だ! ……ん?』


パルポンは雫月の発言に何か引っかかりを感じたが、気にしている暇はない。切り捨てられた髪の毛が次々と肥大化して襲い掛かってくる。


 「キリがないねこれ……」


襲い掛かってくる髪の毛を捌きながらぼやくが、切れば切るほど発射口は増えていく。


 「無駄な抵抗はやめた方がいいわよ?」

 「うるさい指図するな絶対最後まで戦うから」

 『雫月、ここはいったん引いた方がいい!』

 「うるさい! いくらパルちゃんでも怒るよ!」


雫月はムキになって切りまくるが、いよいよ抵抗虚しくその体を太く肥大化した髪の毛で縛り上げられてしまった。


 「ふふっ、つっかまーえたっ!」

 「ああ、もう……ホントこのクソイカレ女……」


口ぎたなく恨み言をつぶやく雫月の唇に澄川が人差し指を当てる。


 「そんな言葉づかいしたらダメよ。その辺も含めてきっちり調教してあげるわね」


パルポン鎌も床に抑えつけられている。万事休すか。


 『だから引けって言ったのに! 雫月のバカ!』

 「何よ、私のせいだっての?」


おいおい仲間割れか? こういう時こそ二人で協力して窮地を脱する方法を考えないといけないというのに。澄川は二人のやり取りを興味深そうに見つめている。


 「パルちゃんがもっと役に立つペットだったらなー」

 『ペットだと!? ふざけるな、下界の人間如きが僕のことを……』

 「下界下界って言うけどさあ、パルちゃんって具体的に何が凄いわけ? なんか他のナビゲーターにもバカにされてるみたいだし」

 『いくら何でも言っていいことと悪いことがあるだろ……もーいい! お前らなんかその女の奴隷でも何でもなっちゃえ!』

 「あー、はいはい。こんなわけわかんない生き物のお世話よりよっぽどマシかもね」


雫月とパルポンの険悪ムードに澄川は思わず噴き出した。


 「ははっ! こらこら、喧嘩はダメよ?」

 「……ねえ、あんた。いや、悠子お姉さま」

 「……! ふふ、どうしたの?」

 「言う通りにするから。そこに落ちてる鎌処分してもらえない?」

 「やっとわかってくれたのね、雫月ちゃん」


澄川は嬉しそうに鎌の方に近づき、床に縛り付けたまま勢い良く踏みつける。鎌はミシミシと悲痛な音を立て始めた。


 『んぎゃぁあああ!』

 「最後の最後に見捨てられちゃったわね」


ここまでか。それにしても雫月は何を考えているのだろう。いくら機嫌が悪いといっても限度というものがある。





 「……で、十分に時間は稼げたと」

 「何ですって!?」


何ということだろう。雫月を縛り付けていた髪の毛はするりと緩んでほどけてしまっていた。ふわりと床に降り立つ雫月に澄川は激しく動揺した。鎌を縛り付けていた髪の毛ももうすでに力を失っている。


 「あ、あなた一体どうやって……」

 「あら? 言わなかったかしら? その鎌にはね、賽子パワーを打ち消す力があるの。だからもっと早くこうすることもできたんだけど……ちょっとストレス発散? こんなに切りまくれることってなかなかないから♪」


すっかり機嫌を良くした雫月は穏やかな笑顔を澄川に向けた。鎌が三度雫月の手元に飛んでくる。


 「ちなみにさっきの喧嘩もお芝居ね。お礼に楽しませてあげようと思って」

 「あ……そんな……それじゃあ……」

 「思い通りにされてたのはあんたの方ってこと。そういうことだから、さよなら」


鎌をギュッと握りしめつつサイコロを1つ振る雫月。出目は2だ。


 「死神舞─真紅の双葉ジ・エンド


雫月が振り下ろした鎌は、今度は頭から股まで一直線に振り抜かれる。これで澄川から賽子パワーは完全に断ち切られた。澄川が懐から落としたサイコロを拾い上げ、雫月は美容室を後にしようとした──


 「そういや、あんたのナビゲーターは?」

 「……私に力だけ渡してさっさと帰っていったわよ」

 「ははっ、そいつ賢いね」


心底どうでもよさそうに吐き捨てると澄川の顔は屈辱に歪んだ。……と、同時に新たな熱も帯び始めていた。


~~~~~~~~~~~~~~



 「そうだ、雫月。この間結局どこ行ってたんだ?」


部屋でダラダラしながら朝治が何の気なしに問いかける。当然真実を話せば朝治は怒るだろうから雫月は適当に誤魔化すことにした。もちろんパルポンとも口裏合わせ済みだ。


(別にー? 適当にその辺ブラブラして帰ったよ)

 「ふーん、そっか。……ん?誰だろ」


朝治の部屋のインターホンが鳴る。そっとドアを開けると、そこには朝治には見覚えのない女性が立っていた。


 「あの、どちらさ……まっ!?」


その女性はいきなり朝治に飛びかかり首を絞める体勢に入る。結果、朝治はなすすべなく組み伏せられ気道を圧迫されてしまう。


 「あ……がっ……何……」

 「なぜ雫月サマの家にいる? どういう関係?」

 「え……雫月……?」


それを聞くと朝治は女性を突き飛ばしながら跳ね起きた。


 「ふっ! はっ! ……雫月は妹ですけど」

 「え? なーんだ、勘違いしちゃった」


朝治は目の前の女性への怒りと困惑でいっぱいであったが、雫月のことを知っているとなれば無視するわけにはいかない。いったん部屋の奥に引っ込み、雫月に変わって対応することにした。


 「あー、あんた……何しに来たの?」

 「雫月サマ!」


雫月は一発で思い出した。澄川だ。しかし彼女が何をしに来たというのだろう。すると澄川は信じられない速さで雫月の目の前にひざまずいた。


 「……マジで何?」

 「あの……あなたのあの冷たい態度が忘れられなくて……えっと……私をあなたの奴隷にしてくれませんか!?」

 「うわ……」


(雫月、説明してもらおうか?)

 「いやー。成り行き、って言うか……あ! ほら、サイコロ一個増えたよ!」

(誤魔化すなぁ!)

 「ごっめーん☆」


前門の変態後門の兄。もはや雫月の逃げ場はどこにもなかった。その後雫月は朝治にこっぴどく叱られしばらく表に出ることを禁じられた。そして澄川は自称・雫月の奴隷となった。

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