第18話 雫月の休日─その①
「いやぁ、大学とかはちょっと考えられないですね」
「少しもったいない気もするけど……仕方ないか……」
桜も散り樹木に青葉が顔を出す頃、朝治ももう高3、進路決定の時期である。担任との面談で就職の意向を伝えた所だ。身寄りのない朝治としては早く就職して稼ぎたいというのは自然な選択だろう。
「朝治さん、お疲れ様です! あっ、カバン持ちます!」
「紗堂……そういうのいいから付きまとわないでくれよ……」
後輩の紗堂辰也。朝治に恩を感じているようで(実際は陸なのだが)、このように付きまとっているのだ。人は簡単には変われないものだ。
「朝治さん独り暮らしなんすか!?……自立してるなぁー! カッコいいなぁー!」
「いや、仕方なくそうしてるだけだから……」
「はえー、いろいろ大変そうっすね……僕に手伝えることあったら何でも言ってください!」
「おう、そうか。じゃあ俺こっちだから」
「お疲れ様です!」
深々と頭を下げる辰也に背を向けながら大きくため息をついた。了もそうだが、こういうグイグイ来るタイプはトラブルメーカーになりやすいので苦手なのだ。いつもより少し遠回りになった帰り路を力なく歩く。
「陸め、余計な事を……」
(はは……ごめん、ごめん)
「雫月からも何とか言ってやれよ」
(………………)
「ん? 雫月?」
(へ? ああ、就職するんだよね? 私もそれがいいと思うわよ)
「いやいや、その話とっくに終わってるから」
(そうだっけ? ちょっとボーっとしてたかもー)
「ならいいけど。ちょっと休んだ方がいいんじゃねえか?」
(そうするわ。お休み~)
雫月の意識が途切れる。朝治と陸は訝しんだ。普段なら雫月が会話に口をはさんでこないなど有りえないのだ。
(姉ちゃん、どうしたんだろう……)
「……恋わずらい、だな」
(え?)
「女の様子がおかしくなる理由って言ったら恋か生理のどっちかなんだよ」
(へー、どうしたんだろうね)
「あっお前呆れてるだろ」
(ベツニゼンゼン?)
「まあいいや。兄貴として協力してやるか!」
(ソウダネ、ガンバッテネ!)
「……ツッコんでくれよ」
朝治の休日は少し特殊である。土曜は雫月、日曜は陸に体を明け渡す。普段左手に魂を封じ込められている妹と弟の気分転換のためである。そして今日は土曜日だ。
「じゃ、楽しんで来いよー」
言いながら左手の甲を顔にかざすと雫月と入れ替わった。1週間ぶりに外にでてきた雫月はご機嫌そうに鼻歌を歌っている。
(で、どこ行くんだ?)
「ちょっと女の子のプライベート覗き見ないでよ」
(いや、一心同体なんだからしょうがないじゃん)
「もー、寝てて……よっ!」
雫月は左手の眼に目潰しを食らわす。朝治と陸は意識の奥深くに沈み込んでしまった。
(うぅ……何で僕まで……)
(やはり何か隠してるな……)
そして雫月は兄弟二人に内緒でどこへ行くのだろうか。いかがわしいことをしていなければいいが……しかしそんな心配はなかったようだ。
(図書館? こんなとこで何やってんだ?)
(ちょっと兄ちゃん、バレちゃうって……)
(だから寝ててよッ!)
((うぎゃぁああああ!))
再び朝治と陸を眠らせた雫月が手に取っていた本の表紙には、『よく分かる六法』と書かれていた。
「……私何やってんだろ」
空席に腰を下ろした雫月は、本のページをめくりながら物憂げにつぶやいた。本当に何をやっているのだろう。法律家にでもなるつもりだろうか。
「すみません、隣いいですか?」
「いいですけ……え?」
丸眼鏡を掛けたすらっとした優男が声を掛けてくる。雫月が驚いたのは何も彼がイケメンだったからではなく、他にもたくさん席が空いているのにわざわざ雫月の隣に来たからだ。しかし雫月は自分の美貌に自信を持っているので当然こう考える。
(ナンパか……適当にあしらって諦めてもらいましょ)
しかし男が雫月にかけた言葉は予想外のものだった。
「朝治くんと陸くんはいないのかい? 気配を感じないけど……」
「……! あんた何をッ……」
思わず立ち上がってしまう。勢いで椅子がガタンと倒れた。図書館内の視線を一身に浴びた雫月は気まずそうに、椅子をもとに戻して再び腰を下ろした。
「……あんた何者?」
「いずれ分かるさ。それより休みなのにわざわざ図書館でお勉強? 偉いねー」
どうやらこれ以上この話を掘り下げるつもりはないようだ。雫月は注意深く観察するが、男はただ余裕そうに微笑むだけである。
「質問を変えるわ。目的は何?」
「君たちの顔を見に来た。それだけだよ」
「ふざけてないでちゃんと答え……へっ?」
男は自分の指先に雫月の顎を乗せてクイと持ち上げた。その手を離せ。雫月も恥ずかしそうにしてるんじゃないよ。
「……気を付けたまえよ。君は美しいから……」
「さっきから何……」
「ふふっ、邪魔したね。お勉強頑張ってね、復讐のために」
「────!?」
動揺する雫月を尻目に軽く手を振りながら立ち去っていく。苛立ちを抑えきれない雫月は机を思いっきり叩いてしまった。
「あの……館内ではお静かにお願いします……」
「分かってるわよ!」
居づらくなってしまったので雫月も早足で立ち去っていった。何だったんだあいつ。
機嫌悪そうに人通りの多い往来をズカズカ歩く雫月。他の通行人もビックリしながら雫月を避けている。結局ロクに本も読まずに出ていってしまった。
「何なのもう腹立つ……帰ったらパルちゃんモフモフしないと……」
雫月のご機嫌は斜め45度なのでなるべく触れないのが吉であろうが、そこらにアンケートやらキャッチやらがゴロゴロいる。嫌な予感。
「すみませぇ~ん。君、今ちょっと時間ある?」
案の定だ。栗色の髪を後ろで緩くまとめてある背の高い女が猫なで声で雫月に声を掛ける。が、雫月はわざと聞こえるように舌打ちをしながら答えた。
「……今忙しいので」
女性の隣を過ぎ去ろうとする雫月。
「まぁそう言わずに!」
しかし回り込まれてしまった。ここで雫月のイライラはピークに到達した。
───────こいつシバこう。
雫月は邪悪な決意を胸に、とびっきりの作り笑いを女性に向けた。
「何ですかっ? きれいなおねーさんっ!」
街の中心から徒歩10分。スタイリッシュな佇まいと落ち着いた色彩。女の子たちはここで“カワイイ”の魔法にかけられる。あなたの美容室『Salon de YOU』(月曜定休)
「快く引き受けてくれて嬉しいわぁ~ありがとうございますぅ~」
「いえいえ! むしろタダで可愛くしてもらえてラッキー、って感じです!」
女性の用事はカットモデルの依頼ということだった。女性の名は澄川悠子。いわゆるカリスマ☆美容師だ。雫月の髪を櫛ですきながら機嫌よさそうに話しかける。
「可愛いのは元々じゃなぁい。ま、だからこそ気合入っちゃうんだけどねぇ」
「お上手ですね~」
そして、表面上はにこにこしている雫月だが、内心では「どうやってこいつを痛めつけてやろうか」と煮えくり返っている。大して悪いことしてないのにご機嫌斜めの雫月に話しかけてしまったばっかりに。
「綺麗な髪ねぇ……普段手入れとかしてるのぉ?」
「え。まぁー、そうですね、あんまり……」
手入れの必要がない、だって朝治の左手にいる内は傷まないのだから。
「企業秘密ってことぉ? ズルいんだからぁ」
「は、ははは……」
雫月のイライラは2つ目のピークに達しようとしていた。もしそうなれば病院送りでは済まないだろう。
「……今日は悠子さん一人なんですか?」
「うん、ずっと私一人でやってるの。ここ完全予約制だから」
なら少々暴れても問題なさそうだと算段を付ける雫月。しかし澄川の意外な一言が雫月のイラつきの膝を折った。
「ホントにキレイな髪……食べちゃいたいぐらい」
「はぁ? ……ちょ……」
澄川はなんと、雫月の髪を一本プチッと抜いてそのまま口へ運んでいったのだ。恍惚の表情を浮かべながら1回、2回、3回、と咀嚼していく澄川。流石の雫月もドン引いた。
「……何してんの?」
「思ったより動揺してないのね」
「ドン引きですけど?」
「その割にはすごく冷静……うぅん……可愛いだけじゃなくて度胸もあるなんて……気に入ったわ、私の奴隷になって?」
雫月はゆっくり立ち上がりながらため息をつき、心の中で朝治に謝罪した。
(何か面倒な奴に絡んじゃったみたい、できるだけ穏便に済ませるから勘弁ね!)
雫月が取り出したサイコロから、パルポンが大鎌に変形しながら飛び出してくる。穏便とは。
飛び出したパルポン鎌がそのまま澄川の腹に刃を向けて飛んでいく。
「……何だ、あなたもそうなんだ」
『なにゃっ!?』
しかしパルポンの斬撃は、栗色の太い束によって阻まれていた。意外、それは肥大した澄川の髪の毛だ。
『雫月、こいつサイコロ持ってるぞ!』
「ふーん……じゃあ思いっ切り切り刻んでいいわけだ」
大鎌が雫月の手元に跳ね戻っていく。雫月は眉の下の辺りに陰を差しながら澄川を見つめた。
「雫月ちゃん、悪いけどカットなら私の方が本職よ?」
「気安く呼ぶな気色悪い」
彼女はまだ気づいていない。自分が処刑台への階段を上り始めていることに……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます