第10話 三心同体

 「お兄ちゃん、ここで住むのー?」

 蜂鐘の娘がキラキラした瞳を範一……ここではハジメか。ハジメに向ける。女の子はハジメのことを気に入っているようである。

 「うん、少しの間だけ。えーと……」

 「凪だよ!」

 「凪ちゃんか。僕は……サイトウハジメだ」

ためらいながら偽名を告げる。この純粋な瞳に嘘を教えるのは少し気が引ける思いであった。その純粋な瞳はハジメの部屋を見渡している。

 「あっ!」

 「ん? どうしたの?」

凪は部屋の隅に置かれたアヒルのぬいぐるみをロックオンした。ライゲン逃げて超逃げて。

 「かわいー! この子はお兄ちゃんのお友達?」

 「ぐぉふっ!?」

手加減なしのフルパワーで抱きしめられて思わずうめいてしまう。ライゲン君、痛恨のミス。優秀な彼らしくもない。

 「あれ? この子今……」

 「違うよ凪ちゃん、そいつは僕の相棒だ」

真面目か。凪ちゃんは相棒という聞きなれない単語に興味津々だ。ライゲンの体をまさぐったり顔を引っ張ったりくちばしを掴んだりとやりたい放題だ。流石のライゲンといえどもこれ以上耐えるのは難しいだろう。しかし彼の正体を知られるわけにはいかない。

(参ったなこりゃ、どうしたもんか……)

(お兄様、私に代わっていただけませんか?)

ここで美玖と代わるのは余計危ない気がするが、女の子同士の方が分かり合えることもあるだろう。範一は美玖の提案を受け入れ右手の手袋を外した。

 「ねえねえ、お兄ちゃん! ……あれ?」

お兄ちゃんは、お姉ちゃんになっていた。風に優しく包まれているような亜麻色の長い髪。おとぎ話のお姫様のような笑みをたたえながら凪を見つめていた。

 「……お姉ちゃん……お兄ちゃん?」

 「そうですわよ」

凪の興味はすっかり喋るアヒルのぬいぐるみから、目の前のキレイなプリンセスに移っていた。お兄ちゃんがお姉ちゃんになった(強調)のだ、ライゲンなんかよりよっぽど興味深いだろう。

 「すごーい! どうやったの?」

 「ふふ、秘密です」

(ライゲンのことはバレなかったけどよぉ……)

(仕方ないさ、背に腹は代えられない)


 「ただいま、ハジメ。悪いけど俺しばらく……」

部屋に入ってきた蜂鐘。娘の凪と一緒にいる少女の姿を見て硬直した。いや、おそらく彼は少女とは認識していなかっただろう、だからこそこの反応。

 「お前、ハジメ……なのか?」

 「パパ! スゴイんだよ、お兄ちゃんがお姉ちゃんになったの―!」

(オワタ)

(何がだ?)

 「あー、えーと、その、何だ。趣味は、人それぞれ、だからな。俺も、いちいち口出しするつもりは、ねえよ、うん」

蜂鐘はハジメを女装癖の変態と認識したようである。

 「凪、ハジメ兄ちゃんが困ってる。離れてあげなさい」

 「はーい」

愛娘をさりげなく変態から引きはがす蜂鐘。範一は自分が誤解されていることに全く気付いていない。雄吾は頭を抱えた(顔はないが)。

(蜂鐘さん、何か言おうとしてなかったか?)

(それより気にすることあんだろ……)

凪を安全圏に避難させると、ハジメの女装(勘違い)で吹っ飛んでいた用件を思い出したように語り始めた。

 「あー、そうだ。来てもらってすぐで悪いんだけどよ、俺しばらく帰れなくなっちまうかも。金は凪に預けとくから、適当になんか買って食わせといてくれ。キッチンは勝手に使っていいから」

 「……事件、ですか?」

美玖が精一杯範一のしゃべり方をマネしながら答える。とはいえ17年間も一心同体もとい三心同体なのだからお茶の子さいさいだろう。

 「まあ、そうだな。お前、家で大人しくしてろよ」

 「え? ええ、もちろんです」

 「この前みたいに首突っ込むなよ」

蜂鐘が語気強めに釘をさす。実際範一たちは首を突っ込む気満々であった。

 「はい、分かってます」

 「……ならいい。凪のこと頼む」

(美玖、放っておくわけには……)

(まじめだなぁ、方便ってヤツだよ)


 「あれ、お姉ちゃんじゃなくなっちゃったのー?」

 「ああ、ごめんね」

 元の姿に戻ったハジメを見て凪は残念そうな顔になった。範一はちょっと傷ついた。そんなことより、この子に夕食を食べさせなければ。

 「凪ちゃん、食材買いに行こうか。お兄ちゃんが何か作ってあげよう」

こんな幼い女の子になんて残酷なことを。下手をすれば一生消えない傷を彼女の心に負わせることになるだろう。美玖と雄吾は必死で範一の意識を抑え込む。

(ちょっ……お前ら何を……)

(お兄様! ここは雄吾に任せましょう!)

何とか範一の意識を抑え込んで表に出てきた雄吾はふーっとため息をつく。

 「お兄ちゃん、また顔が変わったー!」

 「……ああ、そうだな。じゃあ、買い物行こうか」

雄吾は金髪で目が範一より少し吊り上がっているくせに意外と家庭的なのだ。何そのベタなギャップは。


 「捜査一課ねぇ……エリートじゃん」

 「そうだよー、パパはすごいんだよー」

 雄吾の料理を食べながら屈託なく笑う凪ちゃん。パパが大好きなんだねー。

 「あ、そうだ。えへへー、テレビつけちゃおっと」

食べながらテレビを見てはいけないといわれているらしい。父親がいないときはこっそりこうしているのだ、幼女の癖にずる賢いな。

 「ニュース、ニュース!」

 「ニュース見るんだ?」

 「パパのお仕事見れるかもしれないもん」

 「……そうか」

雄吾は凪を微笑ましい気持ちで見つめた。このなりで案外子ども好きなのだ。だから何そのベタなギャップは。

 『──ここで臨時ニュースです。音楽評論家の兼岩隆さんが先ほど遺体で──』

 「これパパが”そうさ”してるのかなー?」

 「ん? ああ、かもな」

殺人事件のニュースを見て抱く感想がこれなのか。末恐ろしい子どもだ。

 『警察は、先日殺害された作曲家の山野さんの事件とも関連を──』

 「音楽関係者か……」

(雄吾、ちょっと調べてもらおうか)

(お兄様、今はライゲンを下手に動かさない方が……)

 「お兄ちゃん、どうしたの?」

 「何でもないよ」

首をかしげて見つめてくる凪の頭を優しくなでる。凪ちゃんはキャハッと顔をくしゃらせた。

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