第9話 賽の刀
放火魔の男は頭から真っ二つに切り裂かれていた。確かに少年は刀を持っていた。しかし、刑事には太刀筋が全く見えなかったのだ。刀が少年の手から消滅すると、少年は刑事のほうに向き直った。
「お前、そこで何をしている?」
刑事は観念した。両手を情けなく上げながら少年の目の前に出てきた。
「……全部見ちまった。煮るなり焼くなり好きにしろ」
「…………お前は一体何を……うっ」
「えっ」
少年は険しい表情のままその場に倒れ込んでしまった。その場には間抜けに両手を上げたベテラン刑事だけが残っていた。
「うっ……ここは……」
(知らねぇ天井だな)
「あっ! 起きた!」
「…………君は……?」
見知らぬ幼女が目をパチクリさせながら少年の顔を覗き込んでいる。少年は思考を巡らせるがどう考えても自分の枕元にこんな小さい女の子が座っている道理がない。
「おう、目が覚めたか」
「パパ―!」
部屋に入ってきたスーツ姿の無精ひげを生やした男の足に幼女が抱き着く。どういうわけか少年はこの親子の家に厄介になっていたらしい。
「あの……僕は、どうして……」
「偶然ぶっ倒れてるの見つけてよ。放っとくわけにもいかねえから連れてきたんだ」
「そうだったんですか……すみません、ご迷惑を……」
起き上がって頭を下げようとする少年。男が手で制すると、グぅ~と大きな音が響いた。
「あ……」
「お前、腹減ってんのか」
少年は男の作った料理、と言っても米と具材を適当にぶち込んで炒めただけのいわゆる男飯というやつなのだが、旨そうにがっついている。
「パパのご飯がおいしいの?」
幼女が不思議そうに尋ねる。そんな言い方したら、パパが可哀想だろ! 少年は男に見えないように首を振った。お前もかい!
「ちゃんとした食事は久しぶりなんだ」
「お兄ちゃん、ビンボーなの?」
女の子の遠慮のない問いかけに思わず笑みがこぼれる。確かにある意味では少年は貧乏と言えるかも知れない。今の彼は家なし文無しだ。
「……かもしれないね」
「あ! わたし学校行かなきゃ!」
(聞いちゃいねぇよ)
「パパー! 行ってきまーす!」
「おう、気を付けてなー!」
親子の微笑ましいやり取りに目を細める少年。少し運命が違えば彼にもこんな日常があったのだろうか。少年は頭に浮かんだ無益な想像を瞬時に打ち消した。
「元気な娘さんですね」
「おう、可愛いだろ?」
(お兄様に幼女趣味はありませんわ)
(そういう意味じゃねぇだろ)
男は窓越しに、元気に走り回る娘をハラハラしながら見つめている。可愛い盛りの娘を持つと大変だ。
「……で、お前なぜあの男を殺した?」
少年のほうに向き直ると一気に表情が引き締まった。さっきまで娘にデレデレしていた男とは思えない。少年も箸をおいて、表情を引き締める。
(お兄様、口元にご飯粒が……)
口元の米粒をふき取って再び表情を引き締める。
「勘違いされてるようですが、あの人は死んでいませんよ」
「大人をからかっちゃいけねえ。俺はあの男が真っ二つになるのをこの目でしっかり見た」
「本気でそう思ってますか?」
男の眉がピクリと上がった。少年はご飯を口に運びながら続けた。
「もしそうなら、僕は殺人犯です。可愛い娘のいる家にそんな男を寝泊まりさせるとは到底考えられません。……あなたも本当は僕のことを疑っていないんでしょう?」
男は無言で立ち上がって大きくため息をつく。少年を睨み付けていた表情が一気に崩れた。
「意地悪して悪かったな。……冷静に考えてみりゃ、あれだけ豪快に切ったのに返り血が一滴もついてなかったからな。」
彼の言う通り、何と少年に切られたはずの男は血の一滴すらこぼしていなかった。少年は彼の”悪意”のみを切り裂いたのだ。
「それにあの後、あの男が出頭してきやがった。お前一体何者だ?」
「別に、平穏を願う無辜の市民の一人ですよ」
「そういうことにしておいてやるよ。お前、行く当てはあんのか?」
「……野宿でも何でもしますよ」
「そうなったら、俺はおまわりさんとしてお前を補導しなきゃいけなくなる」
少年は困ってしまった。弟のいるアパートに帰るわけにはいかない。目的を果たすまで彼と会ってはマズいのだ。
「お前……ここに住むか?」
「え?」
「勘違いするなよ。俺がお前を疑ってないってのは、あくまで昨日のことに関してだ。これは監視だ。俺がお前の正体を見極めるまで、ここにいてもらう」
強引な提案。しかし少年には悪い話ではない。
(お兄様、どうしますの?)
(でもよぉ、ライゲンにも相談しねーと……)
「……お願いします」
少年が立ちあがって頭を下げると男はニッコリ微笑んだ。曰く子どもは素直が一番だ、と。
(いいんですの?)
(どっちみち俺らは着いていくしかねーよ)
「お前、名前は?」
「あぁ……こま……」
(偽名使った方がいんじゃね?)
右手の弟の冷静な提案。それもそうだ、身元がばれたらすぐに弟のところに突き返されるだろう。
「えーと……サイトウハジメ、です」
「ハジメか。俺は
ハジメをまっすぐ見つめる蜂鐘。名を偽った気まずさから無意識に目を逸らしてしまう。
「あの、よろしくお願いします……」
「ああ、よろしくな」
蜂鐘が左手を前に出してきた。握手を求められていると理解するのには少し時間がかかってしまった。ハジメはためらいながら手袋をはめた右手を差し出した。
「手袋ぐらい取ったらどうだ?」
「それは……」
「……いや、いい。何か事情があるんだな?」
ハジメが黙って頷くと蜂鐘は左手を引っ込めて右手を出してくれた。世間の大部分の善良な人間にとっては何てことのない気遣いかもしれない。しかしそれは彼にとって何よりもうれしい心遣いだった。ハジメは裸の左手で蜂鐘の右手を固く握りしめた。
部屋が余っているからと、何とハジメに丸ごと一部屋貸してくれることになった。彼は右手につまんだサイコロを見つめる。
「……ライゲン。来てくれ」
4の面をつつく。稲妻色の毛並みを蓄えたアヒルのようなぬいぐるみが飛び出してくる。彼のナビゲーター・ライゲンだ。彼は翼でわざとらしく目を押さえながら大きく息を吐いた。
「範一、心配したぞ」
「すまない。……しばらくここで厄介になる」
範一、それがハジメの本当の名前だ。ライゲンは目を細めて範一を見つめた。顔に似合わない低い声のせいで心なしかダンディーな表情に見えてくる。
「お前、あのおっさんは信用できんのか?」
「……根拠はないが」
「正直だなお前は。お前がそういうなら別いいけどよ」
全幅の信頼。これぞ相棒! 範一が
「ライゲン、朝治は今どこにいる? まだ追いついてこないのか?」
「それは言えない約束だぜ」
「分かってる。……朝治、どこで足踏みしている? ……僕達は、6人で一つだ」
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