第4話 深い闇 (1)
その後の研究で、上代日本語の母音は、日琉祖語と呼ばれるさらに古い時代の言語の母音体系が変化してできたものであると考えられるようになった。上代日本語で語末以外にエ段が来るのは珍しいのだが、上代日本語でイ段で始まる語のうち、琉球祖語ではエ段で始まるものがある。(たとえば妹は上代日本語ではイモだが琉球祖語では*emo(エモ)である。)これは日琉祖語の*eを上代日本語は語末以外ではiとして受け継ぎ、琉球祖語では*eとして受け継いだと考えると説明がつく。同じ5母音とはいっても現代日本語とはだいぶ違うものだ。
私は彼に問いただす。
「5母音の言語はありふれてますよね?それだけでは何も言えないのでは」
「もちろん根拠は母音の数だけではありません。琉球祖語と日本語の分岐はアクセントなどを見ても分かるように明らかに上代日本語よりも前です。しかし琉球祖語には日本語では平安時代になってから生まれた語彙が存在します。これを説明するには琉球祖語と日本語の分岐がそれよりも後だと考えるしかありません。」
「分岐した後、琉球祖語が崩壊して琉球諸語になる前に借用されたと考えれば説明できるのでは」
「琉球祖語にはもっと後に生まれた,それどころかまだ生まれていない語彙や文法的な現象が見られます。代表的なものがミの文法化です。」
「というと?」
「ご存知のように琉球語ではkacjuN(書く)というように動詞の終止形にンが付きます。宮古語ではkaksmのようにmが付きます。おもろさうしでは"む"や"も"で表記されています。これは琉球祖語では*mV(Vは不明な母音)のような形だったと考えられます。この接辞と比較できると思われるのが現代日本語のミです。」
「なんのミですか?」
「わかりみが深い。」
「は?」
「わかりみのミです。」
私は絶句した。この人は本気なのだろうか。
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