第2話 母音はいくつ? (1)

「今までこの分野の研究が進まなかった原因は,言語が交替する要因にタイムトラベルが考えられていなかったことだと思われます。」

 彼は言うが、まともな人間はそんなことは考えないだろう。

「どうして気づいたんですか」

「琉球祖語は5母音,すなわちa, i, u, e, oの母音音素を持つが,これは上代日本語などよりもむしろ現代日本語に近い。」

 そんなことをきっぱり言われても困る。5母音体系など世界で最もありふれた体系だろう。

 まず現代日本語はa, i, u, e, oの五つの母音が区別される。つまり五つの母音音素があることになる。室町時代ごろの発音は布教のため日本語を研究していたキリスト教の宣教師による文献から知ることができるが、この時代は、「-aう」から生じた〈広めのオー〉と「-eう、-oう、-oお」などから生じた〈狭めのオー〉が区別されていた。伝統的には前者を開音、後者を合音と呼び、合わせて「開合」と呼んだりする。宣教師は開音を⟨ŏ⟩、合音を⟨ô⟩と区別して表記している。外国人の記録によって、日本語の表記だけからは読み取れないことが読み取れるのである。

 平安時代にさかのぼると、中古日本語(平安時代の日本語)は5母音だったとされている。この時期に定着した仮名も同じく5母音となっている。5母音は比較的安定していて、5母音の言語が最も多いといわれている。古代ローマで使われていたラテン語も、ギリシャ語からの単語に表れるYを除けばA, E, I, O, Uの5母音であり、そのためラテン語の文字であったラテン文字(私たちが普段よく目にするアルファベット)にもちょうど母音字が5つあるのである。(これは不正確な言い方だが、Yを母音字に含めない問題にはここでは触れない。)

 奈良時代はどうか。平安時代と同じだと長い間考えられてきた。江戸時代の国学者は、奈良時代に万葉仮名として使われていた漢字の使い方が、平安時代の仮名の使い方と異なることを発見したが、発音の違いという考えには至らなかった。

 大きく変化があったのは、20世紀に活躍した国語学者、橋本進吉の研究からだった。彼は万葉集のある歌の万葉仮名を不審に思い、その歌が含まれる巻における字の使われ方を調べ、単語によって使われる文字の種類が決まっていることに気づいた。これが有名な「上代特殊仮名遣い」と呼ばれるものである。

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