一旦最終話 被災地へピアノをとどける会と希望

被災地へピアノをとどける会の団体名を聞いた事があるでしょうか。震災後の活動で新聞とテレビにも取り上げられたりしましたので、思いだされる方もいると思います。


被災地へピアノをとどける会の概略を申しますと、2011年3月11日の東日本大震災で、ピアノを破損或いは失った方々及び学校等教育機関に、使用していないピアノを届けては、音楽で得られる笑顔を忘れさせてはいけないとの主旨を持った崇高な活動です。


■被災地へピアノをとどける会 ホームページ

http://www.piano-donation.org



活動の実績としては、使用されていないピアノ(グランド:70台 /アップライト:228台/etc)、若しくは寄付金で購入した電子ピアノを含め、宮城県岩手県福島県等々に517台を送りました。


ここで過去形なのは、ピアノの受け入れを2018年3月11日で終了となり、寄付金も受付も2018年6月9日で終了したからです。

全受付は終了したものの、被災地へピアノをとどける会そのものが閉じる文面は見当たらないので、復興への気持ちは未だに有るで宜しいと思います。



被災地へピアノをとどける会の活動を知らなかったの声も有りましょうが、私もそれなりに声を大きくしたつもりです。それでもやや至らなかったのは、皆々が東日本大震災を静かに閉じたい気持ちもなきにしもあらずでしょうか。


そう、思ったよりピアノ少ないとお思いでしょうが、グランド:70台 とアップライト:228台の支援が集まったのは偉業だと禁じ得ません。しかも、その一台一台全てに物語が有るのですよ。

とは言え、その台数の声も有りましょう。ピアノの価格はピンからキリまでですが、それは相当な価格です。活動記録の報告ページの中には、とんでもない美術品クラスのグランドピアノがあって目を疑った程です。


実はこのアップライトの中に、私の実家の使っていないピアノが含まれています。ここは使っていないから寄附すべきだろうと、当時東京圏にいたものの、早いうちに、被災地へピアノをとどける会にメールで申し込みました。


引き取りに関しては、全国のピアノ運送の全面協力の元、移動代実費3万円を振り込み後、実家に連絡の上、二階の窓を全部取り外して横向きにしてはユニックで引き取っていったそうです。


この経緯を当時の会社のイントラの日記に書いたのですが…遠回しにやっかみ貰いました。相変わらずのブラック体質なのは分かってましたが、とことん根性がどうかしています。


まあ、会社のイントラに被災地へピアノをとどける会の日記を書いたところ、出来が渾身の文章なだけあって、情報システム部からも是非イントラ掲示板にも載せて下さいの依頼が来ましたが断りました(ここでやや身元がばれますかね)。


情報システム部への建前は、ピアノ支援はあくまで私事であったし。現にイントラ掲示板には、ただ物を送ろうの安易なYahooの支援募集品のリンクが張られているから結構ではで、丁重にお断りしました。


まあ会社のイントラ掲示板もブラック体質故に文化として実を結ばず、現にYahooの支援募集品のリンクのレスは誰も関心が無いかコメントが微々たるものでしたから、被災地へピアノをとどける会が案にいじられるよりは良かったかなと。どうしてもなら私の日記辿ってくるから良いでしょうし、本当呆れてはそれでした。

現にコメント貰ったのもリアル人間関係の身内だけでしたし、復興支援をいじる会社なら、それで正解だったかなと思い起こします。



ここは言っておきますけど、ピアノ支援をしたから、復興に胸を張って貢献したとはまるで思っていません。そのピアノも実の所妹の所有であったり、私も帰郷したらフリージーなジャズフレーズを引くだけであったので、ややの感慨しか有りません。

それでも、ピアノ弾くのって楽しいですよ。私はまるっきりのキーボード派だったので、ピアノの打鍵が重いのなんので、その疲労感も含めての音楽でもあるんですよね。

この当たり前と思われている音楽が出来ない方々がいた、そう思うとピアノ1台の支援で良かったものかと、節々に思っていました。



東日本大震災からまだ8年、そして尚も復興中です。

無責任にもういいよの声も有りましょうが、被災地はまだ目の前の光景ようやく変わろうかです。私も現在は青森で東北の何かに貢献したいですが、日々の生活がやっとでもあるので、啓蒙活動でやっとでは有ります。


そんなある日、被災地へピアノをとどける会経由で東北の被災県から手紙が実家に届きました。調整が終り実家のピアノが送られた方からの手紙です。

実際は妹のピアノなのになと思いつつ、照れつつも一読しました。読んだのは後にも先にもこの一度です。折りを見て読んでは、多分想像しては涙が止まらない為でしょうね。


送り主は、東北の震災県の少女でした。実家のピアノが破損したらしく弾かせて貰ってるとの事です。


東日本大震災、一生に一度かあるかの災害ですけど、無事に再びピアノを弾けて良かったと思います。

ピアノが生活の中に有る事で、この先成長して、音楽家なり、ピアニストなり、各学校の先生なり、この先何らかの形で音楽に携わる仕事もかな、いや家庭に入って子供に聞かせるのも有りでしょう。何もかも希望しか有りません。

奏でた音は、必ずや誰かの心を澄まさせ、新たな希望へと挑む事でしょう。ここは、ピアノの台数は決して関係なく、東北だけでは収まらず世界へと伸びては、時間を追う程に確信を募らせる筈です。


改めて復興とはですが、内と外の両側に花となり実になる事で、皆々に新たな希望を齎す筈です。


私も図らずに、震災の計画停電から発した混乱で事故に巻き込まれましたが、言える事は一つ、次は本当に無いの絶望。


復興有りきでも、被災された方々の心には、そうは簡単に絶望を拭えない事でしょう。その為に今日この瞬間にももがいている事と思います。

ですが、希望を齎すピアニストが、この間にも必死に譲り受けたピアノで練習しています。そのピアノの音は何らかの形で皆の元に届くと思いますので、心穏やかに澄ましてみてみませんか。きっと見つけられる筈です。



最期に、平成終了だから何もかもリセットボタンを押したい、そんな方もいるでしょう。でも私はあの3.11を克明に覚えていますので、自然の猛威も人間の本性を忘れずに伝えて行きたいとここで言わせて貰います。



言葉として容易く言っていますが、希望とは、その一つ一つの困難を乗り越えても、尚も輝けるセントエルモの火と思います。その光景が有る事を決して忘れないで下さい。きっと皆さんにも見える筈です。ここはお約束します。何せ皆の希望を手助けする517台のピアノが既に降り立ったのですから。






まあですね。この話が書きたくて平成夜話を書いて来ました。

最期に重く無いかでしょうけど、平成は何事も結果が見えない時代で有り、自身の行った事が本当に正しいかでした。それは悪い事もですね。

それ故にボランティアに対して、懐疑的でも有ります。これだけやったのだから大丈夫であろうとか、本当に役立っているのだろうか等。それを心の中で検証すべきが平成残り僅かの期間と思います。まずは新元号だからと浮かれる前に、筆を取って発信してみましょう。きっと何か変わる筈です。


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