模範演奏
昼前まで読みかけの本を読んだり、ただぼんやり空き地の小鳥を見たりしているとようやくニッキも起きて会社へ出かけた。特にすることもなくて、一人になると尚更暇をもてあますように感じた。
先週に受けたいくつかの採用面接の結果の連絡がケータイに入るかもしれなくて、それを待つということをしているといえばしていたが、期待のようなものは一切なかった。
ぼくはどうやら嘘をつくのが苦手なようで、やりたくないことはやりたくない、という気持ちを隠すことが出来ず、首尾よく面接を終えたことは一度もないのだった。第一、求人に応募する段階から、その会社で働くことを想像すると嫌で嫌で仕方がないのだった。そういう感情はどうしても伝わってしまうからなかなかいい結果は出ないし、よしんば採用されても実際に働くとなるとそれは苦痛でしかないのだから、出口のないところをうろうろしているようなもので、そう思うと自然と身も入らず、結果半年近くもふらふらしているのだった。
でもそんな生活を続けているうちにも銀行の残高は減っていくばかりだし、どんな形のものでもいいからとにかく出口を見つけて無理にでも潜り抜けるしかなかった。
大学が芸術系だったものだから、夢追い人というか、いわゆるフリーターは身近に多くいた。ぼくは彼らに最大限の理解を示しているつもりだったけれど、いざ自分のこととなると「アルバイトで食いつなぐ」というのが罪悪であるという感じが意識の底からどうしても湧いてきてしまい、またちょくちょく電話をかけてくる実家の両親の顔がちらついたり、その電話口で「ニッキちゃんといつか結婚とかするんなら将来のこともちゃんと考えて……」と言われ続けているせいもあって、なかなか合理的に好きなように生きるということに踏み出せないでいるのだった。
午後になって思い立ち、街道沿いの大きな本屋に出てみることにした。大通りに出るにはふたつの方法があって、ひとつは駅までの道を途中で折れて出る方法、もうひとつは駅とは反対方向へ歩いて運動公園を抜ける方法なのだけれど、ぼくが利用するのは大抵後者のルートに決まっていた。
運動公園はまさに『運動』公園という感じで、テニスコートが四面、野球場がふたつにサッカー場もかねた陸上競技場もあってかなり広さはあるのだけれど、地元区民の憩いの場としての機能はほとんど放棄していた。スポーツに縁のないぼくが気後れしないで踏み込めるのはポプラ並木の遊歩道くらいしかなかったが、道の両脇に申し訳程度に設置されたベンチはいつも誰かが利用していて、だからぼくはそこを歩いて通り過ぎるだけだった。
真昼の暑さは厳しく、ポプラの木陰に入ると日差しが直射しないだけ涼しいような気もしたけれど、スチームサウナのような風のせいで快適さを感じることは出来なかった。ジージーという蝉の声が全方向から聞こえてくる。こんな時間帯にも犬を連れたお年寄りやら外回り中のサラリーマンやらでベンチは埋まっていた。
少し前に、ぼくま何を思ったかチェロを始めようとひらめいてしまい、安物を買って練習を始めたけれど住宅街のただ中ではまともに音を出すのもはばかられて、公園ならばと遊歩道へ来てみたのがここへ来た最初で、しかしいつ来てもベンチは空いていないし、相当数の人間がいるから練習どころではなかった。チェロは結局売ってしまった。
本屋でDIYのコーナーを覗くと、予想に反してツリーハウス製作のハウツー本は何種類も出ていた。どれも技術的な内容については大差がないように見えたが、その中で目に留まったのは巻末数十ページに渡って世界の様々なツリーハウスの写真が載っているものだった。どの写真も見ているだけでわくわくしてくるようなツリーハウスで、模範演奏のCDがついてくるチェロの教則本と同じで、何も始めないうちから夢ばかりが広がってしまう。
結局その本を買って帰って、濡れ縁に寝そべってページをめくっていたのだけれど、ツリーハウスを建てる樹の選びかたの部分を読んでも、巻末の写真集を見ても、家の中心の柱になる太い幹をもった樹ばかりが使われているのに気がついてしまった。空き地のイチョウは明らかに柱のない樹で、しかしだからツリーハウスに不向きというわけではなく、先程本屋で立ち読みした本では空き地の樹のような場合のツリーハウスも取り扱っていたから手法が色々とあるのだろう。
買う本を間違えたな、と後悔したもののまた本屋へ言って買いなおす気も起きず、たまに横目でイチョウの樹をにらみながら夕方まで買ってきた本を眺めたり、写真集のハウスを間取り図に起こしてみたりして過ごしてしまった。お金と時間さえあれば、ツリーハウスを造るのは思ったほど難しくなさそうだったが、逆に言えばどちらかが欠けると途端に遠のいてしまうようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます