ツリーハウス


 ぼくが住んでいるのは中野区の北のはずれの住宅街で、この周辺は歩いていると新旧の邸宅と古い木造アパートが交互に現れて、それに道が変な角度で交差しているから慣れない人はよほど慎重に歩かないと迷ってしまうのだけど、いざぼくの家の前に来れば他の家と見間違うことはまずない。


 両隣を比較的新しい豪邸に挟まれた二百坪ほどの空き地があって、というか暗がりだと一見空き地のようにしか見えないのだけど、塀も垣根もないその土地の真ん中にはこんもりと緑の小丘が盛り上がっていて、それが実は蔦に完全に包囲されたぼくの家なのだった。


 築五十年の木造一階建てだったけれど、都内ではありえないような広さの庭はあるし、建物自体も和洋折衷な佇まいで洒落たサンルームがついていたり、玄関の前には飛び石というか、石ではなくて濁った硝子の飛び硝子(?)が並んでいたりと面白いつくりになっていて、そもそも蔦だらけの昭和レトロな外観が一目で気に入り、部屋を探していたちょうど一年くらい前、他の物件を見もせずにこの部屋に一目惚れし、即決してしまった。


 契約ではぼくが借りているのは建物部分だけで、空き地の部分は車を停めたり物置をおいたりバーベキューをしたりしてはいけないことになっていたから、広大な庭は厳密にはぼくのものではなかったけれど、仲良くなった不動産屋の営業さんは「物干しを出して洗濯物を干すくらいはいいでしょう」と言ってくれたし、夏の初めには業者を呼んで雑草を買ってくれた。

 そもそも車も物置にしまうようなものはないしバーベキューをするような友達もいないぼくにはそれで何の不満もなかった。


「相変わらず今にもぶっ潰れそうねえ」

 なんて水村さんに言われながら建てつけの悪い引き戸を開けると上がり框があって、すぐ左がトイレで右が台所、台所の奥が風呂場で、風呂の手前で左に折れると六畳間に出る。トイレにも台所にも行かず正面のふすまを開けるとリビング兼客間の四畳半で、そこを突っ切ると板の間も挟まずすぐ濡れ縁になっている。濡れ縁へ出ず四畳半を右に行くと六畳間だが、この六畳間は先程台所と繋がっていると書いた六畳間のことだ。濡れ縁は六畳間の方までは続いていなくて、そちらにはかわりにタイル床のサンルームが、上から見ると半円形に出っ張るような形でくっついている。


 風が通るように奥のサンルームの窓を全開して、唯一の冷房器具である扇風機を全力で回す。四畳半ではニッキも水村さんもすっかりくつろいだ様子で、勝手に出してきた麦茶なんかを飲みながらさっき買ったお土産をちゃぶ台の上に広げていた。


 お土産というのはイタリア製のお菓子で、といってもマカロンとか上品なものではなく、手にとって見るとパッケージには擬人化されたラムネ瓶が目に痛いような原色で描かれ、アメリカンな雰囲気を醸し出している。イタリア語でスパゲッティなんとかと書いてあるが実体はよくわからなかった。透明な小窓から覗くと、毒々しい緑色の、確かにパスタ状の物体が謎の白い粉にまみれてぐしゃぐしゃに絡まっていて、見ようによっては茶蕎麦のように見えなくもなかった。似たようなお菓子が他にも数袋ある。

「また身体に悪そうなものをこんなに大量に……」

「見るからに凶悪そうでしょ」

「俺食べませんよ、こんなの」

「えっ、じゃあ誰が食べるのよ」

 とぼくと水村さんがやりあっているそばからニッキは別のフレーバーのスパゲッティなんとかの袋を開けてしまっていて、

「これはお箸が必要だ」

 とか言いながら台所の方へ歩いていった。


 ニッキのマイペースぶりにはぼくも水村さんも慣れっこなので好きなようにさせておいて、麦茶のコップを持って二人で濡れ縁に出た。いつの間にかすっかり日が暮れていて、裏の家の庭木がシルエットになって薄紺の空に黒々とした穴を穿っている。そのシルエットの中でも一際背の高いイチョウの樹があって、それだけは裏の家じゃなく、こちら側の空き地から伸びている。空き地に生えているのは背の低い雑草がほとんどで、その大きなイチョウだけが逃げ遅れたみたいに淋しく立っていた。


 イチョウというと、ふつう中心にしっかりとした幹がどーんとあって、そこから放射状に枝が伸びていくものだけれど、この樹はどういうわけか高さ三メートル位のところで幹が三又に分かれていて、それぞれが一メートルくらい水平に広がってからまた思い直したみたいに上に伸びているから、葉の生い茂るこの時期、アンバランスなほどのボリュームを誇っている。

「ツリーハウスにぴったりねえ」

 初めてうちに遊びに来たとき、イチョウを見て水村さんはそう言った。言われてみればその通りで、秋の終わりに葉がすっかり落ちたら三又のところがちょうどステージみたいに現れるはずだった。

「ねえ小川君、作れないかなあ。どうせ暇なんでしょ」

 と、水村さんは結構本気で言っていたけれど、イチョウの樹の上の分の家賃は払っていなかったし、ぼくもいつまでも今のように暇でいるわけにも行かないし、結局それは現実的なアイディアとはいえないようだった。ぼくは

「実が落ちるようになったら臭いですよ」

 とか適当なことを言ってごまかそうとしたけれど、その時の水村さんは

「そうかあ、そうだよねえ」

 と言いながらもまだ未練があるようだった。


 シルエットを見ながらぼくはそのときのことを思い出していたのだけれど、水村さんも同じだったようで

「やっぱり無理かねえ、あれは」

 などと言っている。

「なんでツリーハウスなんですか」

「いや、なんでって訊かれると困っちゃうんだけど。外国の映画とかでさ、よく田舎の子供とかが……」

「作ってますっけ?」

「作ってるわよ。子供の頃そういうの憧れなかった?」

「いやあ、ファミコン世代なんで。ぼくはPCエンジンでしたけど」

「でも秘密基地とかは作ったでしょ、男の子なんだし」

「えー……」とぼくは少し考え込んでしまった。「まあ……似たようなことはしましたよ」

「そうでしょ? そういうのって忘れられない記憶じゃない? 私たちの世代ってもう野山を駆け回って遊ぶようなことはしてなくて、探検とか秘密基地とか、虫取りとか、そういうのはなんか特別な遊びなのよ。だから恐る恐る触ってみただけで、ぜんぜんやり尽くしてないっていうか……」


 ぼくは昔から、心配した親に「遊んできなさい」と追い出されるまで友達と遊びに出かけたりしない内向的な子供で、秘密基地なんて作ったことはなかった。けど毎年冬になると、家族で住んでいた市営住宅のベランダに「家」を作るというような遊びを、小学校高学年くらいまで続けていた。


 あの頃は天気予報なんか見なくても、雪が降りそうな日は空気の感じでなんとなく「今日は降るな」とわかった。そんな日はベランダの隅を段ボール箱で囲って、真冬の寒さをしのぐために発泡スチロールを敷いたり毛布を持ち込んだりし、その「家」に篭って空を見上げ、雪のはじめのひとひらが落ちてくるのをじっと待った。氷点下の気温の中でも、母親に「またそんな犬小屋みたいなところへ入って!」と叱られても、飽きることなく何時間でもそうしていた。


 不思議なのはこの事を思い出すたびに脳裏に浮かぶ光景で、ベランダの手摺り越しに見える分厚い雪雲や手のひらで溶ける雪の結晶は純粋な記憶なのだろうけれど、それとは別に、自分が雪の最初のひとひらになったような視点で、市営住宅の上空からゆっくりと舞い降りて、ベランダの隅のダンボールの中でうずくまるぼく自身にクローズアップしていくという映像がなぜか思い出されるというかイメージとして浮かんできてしまう。

 それが幼い頃の空想の産物なのか、それともこの事を何度も思い出したり人に話したり文章に書く間に作り上げられてしまった勝手なイメージなのかわからないけれど、どちらにしても真夏に真冬の事を思い出してもそれは長続きしなくて、ぼくが濡れ縁でベランダの「家」のことを思ったのはほんの数秒だったけれど、その一瞬が変に影響して、不動産屋にツリーハウスを作る件について交渉してみてもいいかもしれない、と思い始めていたのだった。


「水村さん」

「ん?」

 と答えた水村さんはまだツリーハウスのことを考えているのかいないのか、ぼんやりとイチョウの樹だかその向こうの空だかを見ていた。

「やっぱり俺、訊いてみましょうか」

 と言ってみたらやっとこちらを見たけれど、

「え、な、何が。何の話?」

 とえらく慌てて、コップを口に運んだが麦茶はもうなくなっていた。ぼくはもう、「ツリーハウス、作りましょう」と言う気になっていたのだけれど、それを言う前に部屋の中から盛大な

「おえー!」

 という絶叫が聞こえてきて、ツリーハウスの話はそれきりになってしまった。

「まずっ。まずうっ」

 とまだ叫びながら、部屋の中ではニッキが口の中のぐちゃぐちゃした茶色の物体をコップの中に吐き出していて、ぼくは思わず全力で彼女の頭をひっぱたいてしまった。

「痛いっ。そしてまずいっ」

「『そして』じゃないよ、」

「だってまずくて……」

「無駄にするなら買ってくるなよな」

「私じゃないよ、水村さんだよ」

 と言っているそばからこんどは水村さんが

「そんなにまずくないでしょー」

 とスパゲッティーなんとか(コーラ味)をつまんで口に入れていて、やっぱりというか案の定というか、

「おええっ」

 と吐き出していた。

「わざとやってるでしょう、それ」

 と呆れたそぶりを見せながらも、そしてこのスパゲッティーなんとかが吐くほど不味いと分かっているにも拘らず、しかしここまでやられるとどれほどの不味さなのか食べてみなければ気がすまないような気になってしまい、

「そんなにまずいわけが……」

 とか言いながら結局ぼくもその細長いグミ状の物体を箸でつまんで焼きそばの要領でズルズルとすすってしまった。


 まず感じるのはスパゲッティーなんとかの表面にまぶされた粉末によるどことなく科学的な酸味とほのかなコーラ風味で、粉末が溶けきってしまうと途端にざらざらとした麺状の物体が存在感を増し、舌に絡み付いてくる。口の中の水分で表面はすでに溶け出していて、恐る恐る歯を入れてみると案外嫌な風味などはないのだけれど、それで安心して二度、三度と噛んでいくと細かく砕かれたそれぞれの断面から異様な粉っぽさが染み出してきて、じんわりと口中に広がっていき、それがある程度まで達すると限界点がやってきて、もう噛み続けることも飲み下すことも出来なくなってしまうのだった。

「おええっ」

 台所で三人そろって口を濯いだけれど、粉っぽさはしばらく消えてくれなかった。

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