ロージー

ふぐりたつお

ばら色

 なにかの加減で、辺りの空気がわっとばら色に染まることがある。内面の比喩としてではなく、ほんとうにそうなる。


 それは日の出まえや夕焼けの余韻として現れることが多くて、要するに太陽からの光の成分が極端に偏って、全体としては薄暗いのに紅さばかりが際立って見え、しばしば闇が「濃密」とか「どろりとした」みたいに形容されるのと多分同じ感覚による錯覚で、物理的には空気の向こうのビル郡とか空気の向こうの児童公園の砂とか、空気の向こうの自分の手のひらとかがばら色に染まっているのだけど、空気自体がばら色に染まったように感じてしまう。


 そのときぼくは駅まで人を迎えに出たところで、会社帰りの人たちに逆行して駅前商店街を歩いていた。まだ八月のはじめで、夕方になってもまだ蒸し暑い空気が地表にへばりついていた。ぼくはぼんやりした頭で自分のつま先ばかりみて歩いていたのだけれど、ある瞬間にふっと足もとのアスファルトが暗くなって、同時にいちばん賑わう時間帯の商店街から一切の人の声が掻き消えたのだった。


 顔を上げたときにはもう商店街はばら色の水の底に沈んだようだった。見ればぼくだけではなく、ネクタイを緩め背広を肩にかけたおじさんも、弁当屋の店番の女の子も、学習塾のお揃いのかばんを持った小学生の一団も、みんなが魅入られたように空を見上げ、ばら色に染まって立ち尽くしていた。


 恋人のニッキと水村さんは駅前で待っていると言ったのに見当たらなくて、居場所を確かめるためにというよりは文句を言ってやるためにケータイを探したがポケットには家の鍵しか対っていなかった。でもちょっと途方に暮れているとすぐそこの百円ショップから二人は出てきて、水村さんはぼくを見つけるなり、

「お土産買ったわよぉ!」

 とビニール袋を掲げて見せた。どうせろくでもない物だろうなと思いながら、ぼくも手を挙げて応じた。


 三人で家まで歩きながら、

「さっきのは凄かったよね」

 と例のばら色の話をしてみたのだけど、二人とも

「えー何それ」

「気づかなかった」

 と冴えない反応で、ついさっき商店街全体が一瞬ひとつになったようにみんな同時に空を見上げるのを目撃していたぼくは、あの止まったような時間の存在と二人の反応との温度差に違和感を感じてたじろいでしまった。けれど彼女たちは百円ショップにいたからあれを見ていなかったのは当たり前で、でも何とかそのときの感じを伝えたくて「わっ」についてひととおり感想を述べてみたのだけれど、ニッキなどはもっともらしく頷きながら

「まあわかるけどね。確かに凄くきれいな夕日に遭遇すると、『もったいないからちゃんと見なきゃ』ってついつい立ち止まって凝視しちゃったりするもんね。でもかと言って沈むまでずっと見てることはまずないんだけどさあ……」

 とかちょっとずれた事を言うので、

「いや、夕日じゃなくて空気の話で……」

 とぼくはまた説明に取り掛かったのだけど、やはりニッキにはピンとこないらしかった。そんなぼくらのやり取りを水村さんはニヤつきながら見ているだけで、ほんとうはピンときているのかもしれなかったが、すぐに話題が二人の仕事のことに移ってしまい、確かめそびれてしまった。

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