ひいおばあちゃんと伊東さん
その声は廊下を駆け抜けて、光江さんがいるところまで響いたのか、どこからかうっすらと笑い声が聞こえた。
光江さんの笑い声……だよな?
「とにかく、ひいおばあちゃんはあっちに行ってて!」
「なんじゃ、男だったのか。おぬし、得意な魔術の系統は? ソロモンか、アラビアか、ルーン……それとも近代系か!?」
「中岡君は普通の男の子なの!! 魔術の話はやめてよ、もう!!」
学校では割とクールな伊東さんが、恥ずかしくてしょうがないと言った様子で、ひいおばあさんを廊下へと押し出して鍵を掛ける。
「結婚するまで処女じゃなくなることは許さんぞ、智慧~!! 道具を作らせたら分かるんじゃからなあ!!」
「そんな話を中岡君の前でしないで!! もうあっち行ってよぉ!」
ドアの外からひいおばあさんの声がこだまする。
この文脈から、やっぱり呪文でも聞き間違いでもなかった。
伊東さんは、処女。
「げ、元気なひいおばあさんだね……?」
「やだ~、もう……恥ずかしいぃ……」
顔を両手で覆いながら、本当に弱々しい声だった。
伊東さんはドアに耳を着けて、ひいおばあさんがどこかに行ったのを確認してから、「今度こそお茶を取りに行ってくるね」と言い残してまた部屋から出て行った。
戻ってきた時には、ティーポットに可愛らしいティーポットカバー(ティーコージーというらしい)と、お皿には美味しそうなクッキーが数種類乗っていた。
促されて、上座の方に座ると、彼女は僕の横に腰を落ち着けた。
まさか、隣に座ってくるとは思っていなかったから、少しドキッとしてしまった。
数分して、彼女はティーコージーを取って、白いティーポットから紅茶を注いでくれる。
とても甘いイチゴのような香りがふわりと上がった。
「数種類のハーブとイチゴのドライフルーツがが入ってる紅茶なの。香りは甘いけど、味は思ってるほど甘くないから。私が好きなのを選んできたんだけど、苦手だったら、言ってね?」
そう言いながら、こちらにサーブしてくれる。
一口口をつけてみたけれど、確かに甘い匂いの割には普通に紅茶で、少し独特の渋みも感じる。
ほうっと落ち着いた瞬間に、彼女は僕を見て言った。
「な、中岡君……ひいおばあちゃんが何を言ったかわからないけど、忘れてくれないかな?」
「えっ!?」
そ、それは魔術的な何かを僕に使用して記憶を消すとかそういう……?
あっ、まさかこの紅茶にそういう成分が……!?
僕は生唾を飲み込んだ。
「だって、ひいおばあちゃん……その……中岡君に気に障るようなこと、言ったよね? 本当に、あの人……ちょっと魔術のことになると
「気に障るというか……」
紅茶云々は、僕の勝手な思い込みのようだ。
伊東さんが駆けつけてくれるまで、僕は男なのに処女だの処女じゃないだのと不毛な話をしていただけで……。
まあ、こういう話は困ったことに普段から割とよくあるから、伊東さんが気にしているほどは僕は気にしていない。
「ううん、いいんだ。別に大した話はしてないよ」
「そう……? なら、いいんだけど……」
一枚四角いクッキーを取ってサクサクと食べる。
話したいことはあるのに、どれからどう切り出したらいいのか迷って、僕は話しかけられないでいた。
ああ、クッキーもほろ甘くて美味しい。紅茶に、よく合うなあ。
ベッドサイドにある時計の音が、チッチッとやたらと大きく耳に響いて、この沈黙をどうにかして破らないとと思った瞬間だった。
「「あのっ……」」
――話の切り出しが被ってしまった。
「あっ、伊東さんからどうぞ」
「ううん! 中岡君から……っ!」
焦った伊東さんがソーサーに戻したカップが、ガチャリと音を立てて倒れる。
そして運の悪いことに、伊東さんの膝に熱い紅茶が掛かってしまった。
「熱っ……!」
「うわわ、伊東さん、大丈夫!?」
僕は、咄嗟にポケットに入れてあったハンカチで彼女の足をポンポンと拭く。
伊東さんはされるがまま、僕の様子を上から見下ろしていた。
「痛くない? 水で冷やしてきた方がいいよ」
「あっ、う、うん……。ちょっとタオルを水に濡らしてくるね」
伊東さんがまた部屋から出ていく。
咄嗟だったから、彼女が嫌がるかもとか考えられず足に触ってしまった。
ああ~!!
『あの破廉恥男、私が紅茶を零したのにかこつけて、足に触ってきやがったのよ、最低……!!』とか明日学校で吹聴されたらどうしよう……。
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