屋上は寒くない

 僕がこの高校に入ってびっくりしたことは、この学校のカップル率の高さ。

 どうやら屋上で告白をしてそれをOKすると、大体のカップルが結婚、その先まで末永く一生幸せにいられるという伝説があるそうだ。

 その伝説はもう何十年も前、この学校の創立からあるらしい。

 

 一段一段階段を上っていくが、足取りがどんどん重くなる。 


 ――伊東さんには申し訳ないけど、帰りたい!! 帰りたいよお!!

 

 今はもう十二月。屋上で待つのは寒いだろうに、本当に伊東さんは待っているのだろうか。

 これで伊東さんがいなかったら笑うんだけど。


 屋上へ続く扉に着くと、誰かの作った(……本当に誰が作ったんだ?)『屋上使用中♡』の看板が律儀に取っ手に下げられており、この先に誰かがいるのは間違いないようだった。

 この看板が下げられている時、呼び出された人間以外は誰も屋上に入らないというのが暗黙のルールだ。

 破ると、一生ロクな目に遭わないとかなんとか。

 噂で聞いた話によると、覗いただけの男は、それまで彼女をとっかえひっかえしていたのに、いきなりモテなくなったとか。

 女の子の話だと、その時付き合っていた彼氏に振られた後、別に可愛くなかったわけでもなかったのにその後も彼氏ができず、今は30歳を越えて結婚したい……と時折呟いているとか。

 なんだその呪い。

 ていうか、その話どこから伝わってるんだ。


 屋上に続く鉄製の扉は少し重くて、きしむような音が鳴った。

 僕は、そろりと屋上に足を踏み入れる。


「……看板が結界の要なのは間違いないわね。一体誰が何の目的でこんな手の込んだ結界術を施したのかしら……? それに完璧に風除されてる。この効果も結界のもののようね。そういえば、結界内に入ってくるもう一人は選べるのよね……、一人目の心因的なものに反応しているのかしら? だとすると――」

 

 伊東さんは、果たしてそこにいた。

 こちらには背を向けて、なんだかわけのわからないことをぶつぶつ呟きながら。

 肩甲骨の高さほどの長さの黒い髪が、さらりと美しい。

 彼女はそれに人差し指を巻きつけたり解いたりして、思案しながらウロウロしていた。

 

 ――やっぱり帰っていいかな?


 愛の告白前に、告白とは関係がないことをぶつぶつ言う人など、世界広しといえどもそうそういるわけない。

 普通告白前といったら心臓がドキドキして、他に何も考えられなくなるくらい頭がぽわっとして……。

 どんな返事が返ってくるかなとか、断られたらどうしようとかそういうのがぐちゃぐちゃになって体がガチガチになるものじゃないかな? 

 したことないから想像だけど、僕間違ってる!?

 そりゃ、僕の方だって告白される側の態度じゃないっていうのも分かるよ。

 あの伊東さんから告白されるなら、舞い上がるはずだよ。

 僕だって舞い上がりたい。

 でも昨日の今日で、告白じゃないと分かっているから、そんな浮かれた気分になれない……。

 率直に言ってしまうと、帰りたいし逃げたいんだ。


 まず僕が来たことに気付いてないっていうのが、絶対告白する側の態度じゃないもんなあ。


 見なかったことにして帰ろう。


「あっ、な、中岡君!! 来てくれたんだ!」

 

 気付かれたぁ!!

 そっと帰ろうと思ったのに。 


「わ~、嘘……ほ、ほんとに来てくれたの……? 嬉しい……!」

 

 美しくまぶしすぎる笑顔を向けて、彼女はいきなりふわふわそわそわした態度になる。

 きめの細かい白い肌、頬っぺたがピンクに染まって、落ち着きのない姿に、僕も緊張してしまう。

 伏せられた大きな瞳と長い睫毛が、どちらもふるふると震えていて、ドキリと心臓が跳ねた。


 いや、落ち着け、落ち着け……。

 違う、これはじゃないはずなんだから。

 ドキドキしたところで無駄なだけだ。

  

 彼女が魔女とか魔法使いとか、そういったたぐいの人であるというのは、さっきの独り言から察するに、どうやら現実のようだ。だとすればきっと、彼女はそれを誰にもばれたくないはずだ。

 あれを見た僕は、きっと口封じに殺され、そして魔法でこれまで生きてきたことも全てなかったことにされるのだろう。

 これまで16年生きてきて、不思議なものなんてないと結論付けて淡々と生きてきたけれど。実際に彼女が飛んでいるのを見てしまったのだから、もう信じるほかない。

 幽霊だって魔法だって、見たことがなくて、見えないから否定できるのであって、この目で見たものまで、否定はできない。

 見た光景だけを思い出さないように封印できるとかそういう便利な魔法があればそれを使ってもらって、命までは奪わないでほしいな……。

 いや、まずそもそも僕は……昨日見たことを誰にも言うつもりはないんだけど。

 そうだ、僕はそれを伝えないと……!!


 柔らかそうなあかい唇がきゅっと一瞬結ばれて、彼女は僕を真っ直ぐ見て、何かを言おうとしたが、結局言わずに目を泳がせる。


 ――っ!! 


 まずい。

 彼女が「死んで?」とか「殺す!」とか言いだす前に、こちらから先制しなければ……!!


 ああ、でもやっぱり伊東さんは、綺麗だなあ。

 彼女になら、殺されても……いやいやいや。


「き、昨日のことなら、絶対誰にも言わないから、だから命だけはっ!」 

「な、中岡君! 私、あなたのことがずっと好きでした。付き合って下さい!」

「「……え?」」


 ぽかんとした表情をこちらに向けた彼女は、同じような顔をしている僕を見て、どう思っただろうか。

 僕は、初めて見たぽかんとした顔の伊東さんを、美しいではなく可愛いなと思った。

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