第九話 工房のちょっとした騒ぎ



 生産工房はギルドと同じく、基本的にいつでも賑やかだ。

 鍛冶師が武器や防具を鍛え上げる音、服飾師が衣装などを仕立てる音が大きいのは勿論のこと、錬金術師も色々な意味で盛り上げに一役買っている。錬成によって時折起こる爆発音が良い例であった。

 爆発となると大抵失敗を連想させてしまうが、必ずしもそうとは限らないのが錬金術師。成功したぞと大はしゃぎする声が響き渡ると、工房内にいる者は少なからず興味を抱いて注目する。

 ――現に、今も。


「で、き、たあぁぁーーーっ!!」


 両手を上げてバンザイの恰好をしながら、その人物は叫ぶ。


「遂に完成した! アタシはやり遂げたんだ! これでヤツを見返せるっ!」


 黄土色のローブに身を包んだその声は、まるで地の底から這い上がるかのようなおどろおどろしさを醸し出す。しかしながら周囲はドン引きする程度で、そこまで震える者はいない。

 むしろ、いつものアレか、と言わんばかりのため息が多かった。

 そしてすぐに興味を失ったのか、それぞれが自分の作業に戻っていく。もはやその人物に注目する者はいない。

 ついでに言えば、当の本人も周囲の反応に気づいてこそいるが、全く気にも留めていなかった。まるで知ったこっちゃないと言わんばかりに。

 だからこそ勢いよく振り向いて――


「さぁ、見なさいミナヅキ君! このベアトリス様が錬金した……あれ?」


 誰もいない調合場に向かって叫んでしまうのだった。


「……なんで?」


 ベアトリスが呟いた瞬間、黄土色のローブのフードが外れる。ボサボサに荒れた群青色の髪の毛に、目の下の大きなクマが目立つ少女の姿が露わになった。


「どうしていないの? もしかしてもうとっくに帰っちゃった?」

「今日は最初っからここには来てないよ」


 心の底から呆れ果てた表情で、リゼッタが歩いてくる。


「ついでに言うと、五日ぐらい前に来たのが最後かな。ラステカの自宅に新しく調合場を作ったらしいから、今頃そっちで楽しく調合してるんじゃない?」

「……ナンデスト?」


 思わず片言じみた発言をするベアトリス。何それ聞いてないんですけど、という無言の訴えをしてきているように、リゼッタは思えた。

 そして再びベアトリスは、無言のまま呆然とした表情で調合場を凝視する。今はまだ見えてないだけ。きっと見続けていれば、いつかアイツの姿が見えてくるに違いないと、リゼッタはそんな無言のオーラをも感じ取ってしまった。


(ある程度の予想はしてたけど、まさかこうもドンピシャになるとはねぇ……)


 リゼッタは深いため息をつきながら思い出す。

 実は五日前、ミナヅキはアヤメを連れて工房にやってきていた。そこでやっと自宅にマイ調合場ができたのだと、それはもう嬉しそうな笑顔を浮かべて話していたのだった。

 これからはその調合場で作業をする。したがって工房に顔を出す頻度も減ってくると思う。そう報告してきた。

 ミナヅキもそうなる時が来たのかとリゼッタは思った。

 工房以外で自分だけの作業場を持つ。それは生産職にとっての登竜門といっても過言ではない。

 それをミナヅキは成し遂げた。今はまだ小さいとのことだが、きっと彼はこのままでは終わらないだろう。他にも興味を持っているモノがあるらしいから、気がついたら色々と設備や作業場が増えており、驚かせてくるに違いない。

 そんなことを思いながら、リゼッタは代表して『頑張れ』とエールを送った。

 ちなみに後で彼女が他の生産職仲間に聞いたところ、皆揃って同じことを考えていたということに驚いたのはここだけの話だ。

 ――あのなぁ、それじゃあまるで最後の別れみたいじゃないか。

 ミナヅキは呆れるように笑いながらそう言った。

 確かになと皆で笑った。そもそもラステカの町にギルドはないため、どのみち王都に顔を出す機会がなくなるワケがないのだからと。

 こうして簡単な挨拶を終えたミナヅキは、アヤメとともに工房を出た。アイツも自前の作業場を持つくらいデカくなったんだなぁと、他の生産職仲間は感心の言葉を述べていた。それはリゼッタも、心から同意していた。


(ここまでなら、良い話という一言で片づけられるんだけどねぇ……)


 しかしそうは問屋が卸さない。

 ある一人が気づいてしまったのだ。工房の隅っこで、徹夜続きでぶっ倒れて爆睡していた存在に。

 忘れていたのだ。黄土色のローブに身を包み、何かとミナヅキにライバル心を剥き出しにして、構ってもらおうとあれこれしてきていた存在に。


(もっともそう思っていたのは、他ならぬベアトリスだけだったけどね。ミナヅキからしてみたら、変な錬金術師の女――その程度だったらしいし)


 実際、いつだったかミナヅキが本当にそう言っていたのを聞いたことがあった。特に雑談でも話題にすら出たことがないため、心の底からどうでも良い他人としか思っていないのだろう。


(そういえばミナヅキが最後に来た時、ジョセフも素材集めで遠くへ出かけちゃってたっけ。またタイミングの悪い……といってもベアトリスよりはマシか)


 ジョセフが時折、珍しい素材を求めて数週間から数か月単位で遠出することは、ミナヅキもよく知っていた。故にそこまで気に留めず、アイツが帰ってきたら改めて話すと言って、その場は収めていた。

 もっともその際に、すぐ傍で爆睡していたベアトリスの存在には全く気づいていなかったワケだが。


(まぁ、この子の存在を忘れてた私らも私らだけど、ミナヅキが来ていないことに全然気づいてなかったこの子もこの子よね)


 未だ誰もいない調合場を見つめながら、一人ブツブツと何かを呟いているベアトリスを見ながら、リゼッタは再度ため息をついた。

 いい加減この不気味さをどうにかしたほうがいいかと思い、とりあえず声をかけてみることに。


「おーい、ベアトリス? いい加減戻ってきなさーい」

「……はっ! ここはどこ? アタシは有名な天才美少女錬金術師!?」

「錬金術師って部分しか正解してないよ」

「失敬な! せめて天才という部分だけでも頷きやがれっての!」

「美少女はどうでも良いんかい」


 相変わらずワケ分かんない女だと、リゼッタは頭を抱えたくなる。実際ミナヅキは口に出して言っていたが、そんな彼の気持ちが少し分かったような気がした。

 一方のベアトリスは、リゼッタのことなど構うことなく、ガクッと膝から崩れ落ちながら再びブツブツと呟き出す。


「くそぅ、折角ミナヅキのヤローに目にモノ見せてやろうと思ったのに……なんであんな田舎町に作業場作っちゃうんだよぅ」

「広くて自然豊かで土地が安かったからって聞いたよ」

「しかも美人の奥さんがいるなんて、ワケ分かんないウワサも流れてるしさぁ」

「そこは聞こえてたんだ。ちなみにそれ、ホントのことだから」

「……ナンデスト?」

「二回目早いね」


 淡々と答えながらもリゼッタは思った。なんで自分はこんなヤツに付き合わなければならんのだ、と。

 ――お前も大概おせっかいだよな。

 いつだったかミナヅキにそんなことを言われた記憶がある。

 これがまさにそれかと、今更ながら気づかされる。


(誰か助けてー)


 リゼッタがくるっと後ろを振り向くと――


(……どうして誰もいないの? さっきまでいたのに)


 工房内は見事なまでにガランとしていた。

 トンテンカンテンと打ち鳴らすハンマーの音も、木材を加工する音も、他の服飾師が魔力裁縫機でガガガと縫い合わせる音も全く聞こえない。


(にゃろう……皆揃って逃げやがったな)


 考えるまでもない結論だった。皆がいつの間にシーフ顔負けの逃げ足を身に着けたのかを問いただしたいところではあるが、今はそれどころではない。


(せめてジョセフでもいれば、逃がさないよう巻き込むこともできたのに。どうして肝心な時にいてくれないんだろうなぁ、全くもう……)


 ジョセフならきっと、慌てて混乱して何もできず、逃げ遅れていたに違いない。しかしながらいない者に対してあーだこーだ思っていても仕方がない。それぐらいの冷静さは、リゼッタの中に残っていた。

 とにかくなんとかして、この状況を打開しなければ。

 そんな焦りの気持ちを募らせていたその時――大きな扉が開いた。


「うぃーっす。って、今日はやけに静かだな。全然人がいねぇや」


 工房に入ってきたのは、常連客とも言えるデュークだった。リゼッタはニヤリと笑みを浮かべ、瞬間移動の如く移動して彼の前に立つ。


「いやぁ、待ってましたよデュークさん。ささ、こちらで一緒に楽しくオハナシをしようじゃあーりませんか♪」


 にこやかな笑みに踊るような口調で語り掛けながら、リゼッタはデュークの腕を掴んで引っ張っていこうとする。

 当然ながら彼女の行動は、デュークからすれば不審以外の何物でもなかった。


「……おい、一体何のつもりだ?」

「オホホホホ♪ 別に何にも企んではございませんことよ♪ ただあそこで壊れている可愛らしいお嬢さんの相手をしてほしくて♪」


 リゼッタが顔を向けた先にデュークは視線を移す。傍から見れば小汚い以外に感想が浮かばない少女が、空を仰ぎながら小刻みに震えて笑っている。


「ハハハ……恋愛とは無縁同士だと思ってたのに……仲間だと思ってたのに……アッサリ先越された。裏切られた。マジあり得ねぇだろコンチクショー……」


 有り体に言って不気味であった。そしてリゼッタは、自分をそこへ連れて行こうとしている。

 否、巻き込もうとしている。となれば――


「帰る!」


 決意の叫びとともにデュークが踵を返そうとする。


「逃がすかあぁっ!」


 しかしそれを、リゼッタは渾身の力で防ぐ。どんなに引きはがそうとしても、袖を掴む手が離れない。それこそテコでも動きませんと言わんばかりに。

 これには流石のデュークも、驚かずにはいられなかった。


「ちょ、なんだよこの力? お前本当に服飾師かっ!?」

「知らないなら教えてあげるよ。か弱き乙女はピンチの時に覚醒するんだ!」

「そんなデタラメなことがあってたまるか! いいから離せよ!」

「いーやーだー!!」


 叫びとともに、リゼッタの力が更に強くなった。デュークはみるみる工房の出口から離れ、ますます逃げるのが難しくなる。


(くそっ、こんなことになるなら、工房に立ち寄るんじゃなかったあぁーっ!)


 謎の力でズリズリと引きずられながら、デュークは心の中で、見えない青空に向かって叫ぶのだった。



 ◇ ◇ ◇



 青空の中を雲が流れる。その下に広がる平原を、一台の馬車が爽快に走る。

 邪魔をするモノは何もない。野生の魔物が道を塞ぐことも、盗賊の類が積み荷や金銭を狙って待ち構えていることもない。

 風の冷たさと日差しの暖かさが、ちょうど良い心地良さを感じさせる。馬車の窓を開け、一人の少女がそれを存分に味わっていた。


「んーっ! 良い風じゃのう。まさに絶好の外出日和じゃ♪」


 つばの広い帽子を手で抑えながら、少女は窓から身を乗り出す勢いで笑う。それを目の前に座る騎士の恰好をした青年が、慌てて抑えようとした。


「フィ、フィリーネ様! 危ないですから大人しくお座りくださいっ!」

「これくらいどうということはないわ。ケニーも心配性じゃのう」


 フィリーネはニヤッと笑いながらケニーを見下ろす。それに対してケニーは、苛立ちを募らせつつ叫び出した。


「そういう問題ではございません! あなたはもう少し、ご自分の立場を……」

「ケニー、落ち着け。この姫様はこれが普通だ。あれこれ言ったところで大した効果なんか出ねぇよ」

「し、しかしダン先輩……」


 ため息交じりに話す騎士の男ダンに、ケニーは戸惑いを覚える。その隙をつくかのように、フィリーネの隣に座るメイド服の女性が口を開いた。


「ダンの言うとおりですよ、ケニー殿。それにあなたは、フィリーネ様のことを何も分かっておりません。偉そうな物言いも程々にしていただきたいですね」

「ぐぅっ……」


 鋭い視線で言われたケニーが押し黙る。そこに――


「まぁまぁ、そうあんま言ってやらねぇでくださいよベティさん」


 苦笑気味に軽く手を挙げながら、ダンが割り込んできた。


「コイツは王宮騎士としての仕事を通しているだけです。加えて見てのとおり、まだまだケツの青い若造。多少の融通の利かなさは、俺に免じて勘弁してはくれねぇですかね?」


 ダンの言葉にベティから発せられていた鋭い空気が消え去る。そして神妙な表情でケニーに視線を向けた。


「……そうでしたね。申し訳ございません。私のほうこそ、偉そうなことを申してしまいました。お許しください」

「あ、いえ。つい熱くなってしまった自分にも、責任はありますから」


 頭を下げるベティに、ダンも慌て気味に両手を左右に振りながら言った。

 その様子を見ていたフィリーネは、一件落着じゃと嬉しそうな笑みを浮かべる。果たして全ての原因が自分にあったことを自覚しているかどうかは、本人のみぞ知る話であった。


「それにしても、ミナヅキに会うのも久々じゃな♪」


 座席に座り直しながら、フィリーネが鼻歌交じりに言う。


「まさかヤツが身を固めるとは……全く驚かせてくれるわい」

「情報によれば、名前はアヤメというそうです。魔力の才能に恵まれており、とても芯の強いお方だとか」

「うむ、妾も前々から興味があった。本当ならもっと早く会いたかったが……」

「それは仕方ありませんよ。公務で国を離れていたのですから」

「……まぁいい。今日はとことんのんびりするぞ!」

「えぇ、その意気ですよ、フィリーネ様」


 フィリーネとベティが楽しそうに会話を繰り広げる目の前では、どうにも理解できないと言わんばかりの表情を、ケニーが浮かべていた。

 そして隣に座るダンに小声で問いかける。


「あの、ダン先輩? そのミナヅキとか言う人……何者なんですか?」

「そうか。お前さんは知らんかったか」


 ダンは軽く目を見開き、そしてフッと小さく笑う。


「姫様自らがタメ口を許可なされるほど、心を許している青年さ。ついでに言っちまえば、この手の突撃訪問も、今に始まったことじゃあない」


 淡々と語るダンがウソを言っているようには思えない。だからこそケニーは、頭の整理が追い付かないでいた。


「……色々とワケが分からなくなってきたんですが」

「あぁ、俺も初めて聞いたときはそうだった。ま、会ってみりゃあ分かるさ」


 ダンは苦笑するだけで、それ以上は何も言わなかった。ケニーもそのまま口を閉じて座り、町への到着を待ちながら思う。

 ここまでくると、ある種の楽しみにも思えてくると。

 フレッド王国の王女が認めた友人――果たしてどのような人物なのかと。



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