第八話 平穏と引っかかり



 ラステカの町――フレッド王都から西に位置する、自然豊かな小さい町。

 その片隅にある広い敷地に、ポツンと建つ小さな一軒家。そこにミナヅキとアヤメは暮らしていた。

 王都と違って人口も家も少ないことから、自然と賑やかさも異なる。故に朝も実に静かなモノであった。


「んー、今日も良い天気ねぇ♪」


 居間の窓を開け、アヤメは朝の澄んだ空気を味わい、耳を澄ませる。鳥の鳴き声と羽ばたく音、そして風に揺れる草花の擦れる音が聞こえてきた。


「こっちに来てから、もう三ヶ月くらいか……」


 異世界生活にも馴染んできた。冒険者としての活動も楽しく、辛い時も苦しい時もあるが、そこには確かなやりがいがある。

 確かに最初は、色々と戸惑うことも多かった。

 地球――特に現代の日本では当たり前にあるモノは、この世界には当たり前のようにないモノも多い。地球で言うところの中世を連想させ、科学の代わりに魔法が発達している世界なのだ。むしろ何もかも違っていると言って差し支えない。

 それでもアヤメは強く思う。人間とは慣れる生き物なのだと。

 たとえどれだけ環境が変わろうとも、堂々と立ち向かっていけば、大抵なんとかなってしまうモノなのだと。


「勢いで結婚までしちゃったけど、それはそれで結構悪くない感じだし」


 アヤメは左手薬指に嵌めている指輪を見下ろすと、自然と頬が緩んできた。

 傍から見れば、嬉しくて仕方がない表情そのものであるが、それに本人が気づいているかどうかは定かではない。


「おはよー」


 キッチンと一体化になっている居間に、ミナヅキがのそっと顔を出す。


「おはようミナヅキ。朝ごはん食べる?」

「食べる」


 軽く欠伸をしながらミナヅキは洗面台へと姿を消す。また遅くまで調合してたなと思いつつ、アヤメは慣れた手つきで朝食の準備を進めていった。

 ミナヅキは基本的に好き嫌いがない。更に言えば毎日同じメニューが続いても平気なタイプだったりする。相手に気を使ってるのではなく、純粋に全く気にならないのだ。故にメニュー選びも非常に楽で良い。

 更に言えば、食べ物も地球のそれと殆ど同じであるのがありがたかった。

 普通のパンや白米は勿論のこと、みそやしょうゆ、みりん各種調味料も普通に存在しているのだ。

 中世の世界観でありながら、食べ物に関しては現代丸出しである。

 これも異世界だからという一言で片づけられるのかとアヤメは思ったが、ミナヅキの説明により、少し納得したのだった。

 ――地球から召喚ないし転生されてきた人が、俺たち以外にも普通にいる。

 言われてみればと思った。自分たちだけが特別だといつ決まったのか。

 過去にこの世界へ飛ばされた人がそのまま住み着き、地球の現代的な食べ物や料理の技術を浸透させた。ラノベでよく見るシーンの一つである。

 それを実際に行った人が過去に何人かいたのだ。まさか物語だけだと思っていた出来事を現実で目の当たりにするとは。

 一瞬、そう思ったアヤメだったが、すぐにその考えは取り払った。


(そんなことよりも、まずは『ありがとう』を言うべきよね。おかげで食べ物に関しては、あまり戸惑わずに済んでるんだし)


 先人の知恵に感謝せよ。何回か教わってきた言葉だ。それをまさか異世界に飛ばされたことで噛み締めることになろうとは、それこそ予想外ではあったが。


「コーヒーと紅茶、どっちがいい?」

「コーヒー」


 椅子に座る音を聞いてアヤメが尋ねると、ミナヅキはやはり眠そうな声でボソッと答える。

 それに対してアヤメは、手を動かしながら尋ねる。


「随分と眠そうね?」

「あぁ、昨夜かなり遅かったし」

「調合に夢中になるなとは言わないけど、夜はちゃんと寝なさいよ」

「へーい」


 分かってるのか分かってないのかよく分からない返事に、アヤメはしょうがないなぁと言わんばかりに苦笑する。

 まるで奥さんというよりお母さんみたいね、と思ったのはここだけの話だ。

 アヤメは苦笑しながら、ミナヅキと自分のパンとコーヒーを準備する。作り置きのサラダと皮をむいて切り分けた果物も添えて。

 それらをテーブルに並べ、向かい合う形で座り、アヤメが最初に手を合わせる。


「それでは、いただきます」

「いただきます」


 アヤメに続いてミナヅキも一緒に手を合わせ、温かい朝食を味わう。

 開けた窓から心地良い風を感じ、ふと外を見ると、広い芝生の庭に野生のスライムが遊びに来ていた。

 これもまた、いつもの光景だ。ミナヅキとアヤメは自然と頬を綻ばせる。紛れもない平和な時間がゆったりと流れていた。


「まるで魔物ちゃんたちの広いお庭ね」


 次第に数匹ほど増えてきたスライムたちを見ながら、アヤメが笑う。


「いっそ、魔物専用の遊び場みたいなのを作ってみたらどう?」

「それもいいかもしれんが、まずは調合場をもっと大きくしたいんだよな。あとは薬草を育てる畑とかも欲しいところだ」


 元々ミナヅキがこの広い敷地を購入したのは、異世界でファンタジーゲームのようなスローライフを楽しんでみたいと願っていたからだ。

 長いこと買い手がつかなかったこの土地は、購入した当時はかなり荒れていた。それをミナヅキは伝手を辿り、協力者を集って綺麗に整備したのだ。

 本人は気づいていないことだが、町の人々は驚いていた。

 若造が急に移住して来たかと思いきや、王都で名の知れた冒険者や生産職の面々が次々と加勢に現れ、親しげに話しながら急ピッチで作業を進めていく。

 同時に普段、王都へ足を運ばない人々が、王都の人間と話す良いキッカケにもなっていた。結果的にそれまで深い結びつきの無かった町と王都が、急速に切れない糸で結ばれるようになっていった。

 いつしかラステカの町は、ミナヅキを大歓迎していた。

 彼を自由にしていたら何かが起こるのではないかと、そんな期待も込めて。

 小さな田舎故に、娯楽が乏しいのも確かだ。つまり刺激がないのだ。そこに凄まじい刺激がいきなり来たらどうなるか。

 それはもう忘れられるモノではなくなってしまう。そして再び味わってみたいという欲求が、自然と湧き出てくる。

 それもまた、この町と王都が深く結びついた理由の一つであった。

 無論、ミナヅキは全く知る由もないことだが。


「でもまぁ、魔物たちの遊び場を作るってのも考えてみるか。幸い広いからな。いくらでもやりようはある」


 ミナヅキがコーヒーを片手に独り言のように呟くと、アヤメがフッと小さく笑いながらパンを手に取る。


「まぁ、良いんじゃない? やりたいようにやってみたらさ」

「そーする」

「言っておくけど、暴走してると思ったら止めるわよ?」

「むしろありがたい。こっちのセリフでもあるけど」

「何よそれ」


 お互いに釣られる形で苦笑し合う。これもまた、いつもどおりの姿であり、ずっと続けばいいと願う暖かい時間でもあった。


「さて、次は何を調合してみようかな」


 ミナヅキは呟きながら、冷めかけたコーヒーを飲んだ。



 ◇ ◇ ◇



「先日行われた、王宮騎士による遠征訓練結果のレポートです」

「ありがとう」


 フレッド王都の執務室。ギルドマスターの元に受付嬢のニーナが書類を届けに訪れていた。

 書類を受け取ったギルドマスターは、ニーナを見上げながら訪ねる。


「表はどんな感じかね? 大きな騒ぎはなさそうだが」

「えぇ、概ねは。しいて言うなら、ミナヅキさんたちのことぐらいですかね」

「そうか」


 ギルドマスターは苦笑を浮かべながら頷いた。


「リトルバーン家の当主とも繋がりを得たからな。全く彼には驚かされる」

「あれから数ヶ月経ちますけど、未だに話題となってますよ」

「ハハッ、無理もないさ。それだけ凄いということだ」


 ほんの少しだけ愉快そうにギルドマスターは笑う。しかしそれはすぐに、神妙な表情へと切り替わった。


「しかし納得してない者も、わずかながらいる。特に王宮の重鎮たちとかな」

「……それも相変わらずですね」

「ハハッ、確かにな」


 忌々しそうに言い放つニーナに、ギルドマスターは小さく笑う。お世辞にもギルドの受付担当がして良い表情ではないが、表ではしっかりと笑顔を取り繕っていることはよく知っていた。

 故に、今は特に注意する必要もなしと判断しつつ、ギルドマスターは続ける。


「ミナヅキのほうは、それほど心配することもないだろう。あのリトルバーン家が彼の味方に付いたのは確かだ」

「ですよねぇ。もっともミナヅキさんは、それをコネとして利用しようとは思わないんじゃないでしょうか?」

「確かにな。しかし彼がコネを使うか否かは、この際それほど重要ではない」


 カップをテーブルに置きながらギルドマスターは言った。


「ポイントは後ろ盾という存在そのものだ。それが大きければ大きいほど、自ずと恐れをなして尻込みをしてしまう。特に後ろ盾という存在をよく理解している貴族や王族、もしくは王宮勤めの役職持ちともなれば、尚更だろうな」

「なるほど。リトルバーン家も、この王都にかなり貢献してますもんね」


 ニーナの言葉にギルドマスターは頷いた。


「ウチのギルドの資金援助もしてくださっているからな。それで国王様からも絶大な信頼を得ておられる。無論それは私も同じだ」

「はいっ、私も心得ております」


 笑顔で頷くニーナだったが、それはすぐに深いため息へと切り替わる。


「……そのリトルバーン家の息子は、そのことを全く知らないまま勘当されたらしいですけど」

「あぁ、確かマーカスと言ったな」


 ため息をつきたくなる気持ちはギルドマスターも同じであり、思わず笑い声を零していた。


「今も行方不明になったままだったか?」

「えぇ、どこかでくたばったんだろうと言って、もはや誰も気にしてませんが」


 それ自体は別に不思議でもなんでもないとギルドマスターは思っていた。全てを失った貴族など誰も興味を示さない。ましてや人物そのものに興味を抱かれていないのならば尚更だ。

 お世辞にもマーカスは、人物として慕われていた形跡は全くない。

 取り巻きたちが従っていたのも、あくまでマーカスの家柄――端的に言えば、金の匂いにつられていただけに過ぎないのだ。その何人かは、すぐさま他の貴族の息子に取り入る姿が目撃されたとか。

 もっともこれは、別に珍しいことでもなんでもない。

 貴族と取り巻きの関係は、大半が薄っぺらいモノなのである。固い絆で結ばれている者たちは、ごくひと握りと言えるのだった。


(マーカスの人間関係も、そのひと握りに当てはまってはいなかった。よくある七光りの姿と言える。普通なら気にするほどでもないが……)


 そこまで考えたところで、ニーナがまだこの部屋にいることを思い出し、ギルドマスターは声をかける。


「ニーナ。時間を取らせてしまったな。早く持ち場に戻りたまえ」

「え、あっ、そ、そうでした! 失礼しますっ!」


 うっかり長居してしまったことに慌てつつ、ニーナは頭を下げて執務室を飛び出していく。それでもちゃんと、扉の開閉を丁寧に行ったのは流石であった。

 一人になったところで、ギルドマスターは改めて考える。


(マーカスの行方不明……どうにも引っかかりを感じてならんな。私の思い過ごしなら良いが)


 ふと視線を漂わせていると、ニーナが渡した机の上の資料に目が留まる。


(まぁ、今はそんなことを考えていても仕方ないな。それよりもこの、遠征訓練結果のレポートに目を通してしまわないと)


 気持ちを切り替え、ギルドマスターはレポートを閲覧し始めた。

 このような王宮騎士や魔導師などの活動記録は、ギルドへも転送されるシステムとなっている。王宮とギルドが、大規模討伐クエストなどでスムーズに連携を取れるよう、双方が話し合って導き出されたモノであった。


(今回は東の地方での調査だったな。あそこは大変だったらしいが……ん?)


 レポートをパラパラと捲っていくと、とある内容に目が留まった。

 内容そのものは別に不思議なことでもなんでもない。普通ならばご愁傷様という気持ちとともに、後で詳しい話を聞く程度でカタが付いていた。

 しかし――


「まさか、彼がこうなってしまうとはな……」


 レポートに目を凝らしながら、ギルドマスターは重々しい声で呟くのだった。



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