第七話 路地裏に潜む闇



「な、何だったんだろう、今の?」

「とりあえず、生産工房の平和は無事に守られたってことだな」


 呆然としているジョセフにデュークが答えながら近づいてくる。久しぶりに見た彼の姿に、ミナヅキは呟くように呼んだ。


「デューク……」

「よぉ、ミナヅキ。しばらくぶりだな。勝手ながら協力させてもらったぜ」


 軽く手を挙げながら、デュークが笑いかけてくる。


「ギルドマスターには俺から伝えておいた。あのマーカスの行動には、前々から目に余るモノがあったからな。今回の一件をチャンスとして利用させてもらった」


 それを聞いて、どうして彼がここにいるのかという疑問が晴れる。ミナヅキは表情を綻ばせながら頷いた。


「そうか、ありがとう。世話になったな」

「僕からもお礼を言わせてください。本当にありがとうございました!」

「いいってことよ」


 慌て気味に頭をガバッと下げてくるジョセフに、デュークは笑みを返した。そこに再びミナヅキが話しかける。


「それにしても、流石はデュークだ。高ランク故の顔の広さは相変わらずだな」

「いやいや、今回ばかりはミナヅキのほうが大きいだろ。ヤツの親父さんに声をかけた際、ミナヅキが関わってるって知った途端、速攻で動き出したんだぜ?」

「マジかよ……」


 恐らくウソではないのだろうということは分かるが、ミナヅキはどうにも実感が沸かないでいた。もっとも彼からすれば雑談程度の会話に過ぎず、その情報を真剣に取り入れるつもりはなかった。

 特に深い理由はない。貴族にどれだけ気に入られようが自分は自分。ただそれだけである。


「それにしても、お前も随分と謙虚だよな。病気の貴族を救ったなんて、普通なら勲章をもらってもいいくらいだぞ?」


 デュークがそう言うと、ミナヅキは苦笑しながら手を左右に振る。


「いや、マジで大したことしてないんだって。あれは単に、あの人が大げさに話してただけだよ」


 ミナヅキは軽く笑いながら、明るい声で言う。


「ヤバかったのはあくまで容体が急変したからさ。無理して出かけたりせず、家で安静にしていれば、普通に問題なく治る程度の病気だったんだよ」

「そ、そうだったの?」

「うん」


 あまりにも予想外の事実にアヤメは戸惑いを隠せない。それに構うことなくミナヅキは続ける。


「だから俺が調合したのは、上質の万能解毒薬と上質のポーションだけ。それであの人は落ち着いて、無事に熱が下がって元気になった。要はそういうことだ」

「……マジか」


 引きつった表情でデュークが言葉を絞り出す。周りの生産職の人々も皆、ウソだろと言わんばかりに絶句していた。

 そこにアヤメが、呆れつつ納得したような表情で言う。


「なるほど。それでアンタは、今の今まで忘れ去っていたってワケね」

「そんな感じだ」


 周囲が妙な空気になっている中、二人の間だけに和やかなムードが漂う。

 ここでジョセフが、改めてアヤメの存在に気づき、戸惑い気味に問いかける。


「ところでミナヅキ……その女の子は、キミの知り合いかい?」

「あぁ」


 ミナヅキが右隣に視線を落とすと、アヤメがスッと前に出ながらお辞儀をする。


「初めまして、アヤメと申します。ミナヅキの妻でございます」

「あ、そうですか。これはご丁寧にどうも……へっ?」


 丁寧にお辞儀をするアヤメに、ジョセフも殆ど条件反射の如く頭を下げる。そして数秒後、ガバッと勢いよく頭を上げた。


「ええぇーっ! ミナヅキってば、いつの間に結婚したんだよおぉーーっ!?」


 ジョセフの叫びが工房中に響き渡った。当然ながら、工房内にいた者全員にその声は聞こえており、どよめきがどんどん大きくなってくる。


「あーあ、折角騒ぎが収束したと思ったら……」

「またベタなことになったもんだな」


 デュークの言葉に続いてミナヅキも苦笑気味に言った。静かになった工房が再び騒がしくなる。しかしこれこそが、いつもの工房の姿とも言えた。

 改めて帰ってきたんだなぁとミナヅキは実感する。

 これからはずっとこっちで暮らしていく。長年抱いてきた夢が実現した。それが素直に嬉しくて仕方がない。


「喜ぶのはまだ早すぎるでしょ。私との生活はこれからなんだからね?」


 腕を組みながらため息交じりに言ってくるアヤメに、ミナヅキは目をパチパチと瞬きさせ凝視する。


「……俺の心でも読んだ?」

「んなワケないでしょ。アンタの考えてることぐらいお見通しってことよ」

「さいでっか」


 ミナヅキが笑みを零すと、アヤメも釣られるかのように笑顔となる。

 そこに――


「コラコラー。早速二人でイチャイチャしなーい!」


 茶々を入れながらリゼッタが歩いてきた。もっともあくまで声かけの一種に過ぎなかったらしく、それ以上の追及をする様子もなかった。


「アヤメ、できたよ。早速着てみてー」

「あ、うん、ありがとう。じゃあ、ちょっと行ってくるね」

「おぅ」


 ミナヅキに一言断りを入れ、アヤメは嬉しそうにリゼッタに連れられて、服飾スペースへと姿を消す。

 一体何が始まるんだとざわつくこと数分、着替えを済ませたアヤメがゆっくりと姿を見せた。


『――おぉっ!』


 その場にいた者たち――特に男性陣がこぞって感激の声を出す。

 アヤメは踊るような足取りでミナヅキの前に来た。


「お待たせー。どうミナヅキ、似合う?」


 アヤメが軽くポーズを取りながら、新しい衣装姿を披露する。

 トップスはブラウスとローブを足して二で割ったような印象を持ち、ボディラインを出していながら袖はふんわりと広がっている。ボトムスもホットパンツの下にレギンスを穿いており、動きやすさを追求しているようであった。

 魔導師というより剣士に近いイメージだろうか。

 白と黒と赤の三色で整えられており、短めのマントが冒険者らしさを引き出して

いるように見えた。

 そんなことを考えながら、ミナヅキはアヤメに率直な感想を告げる。


「あぁ、似合ってるよ。随分と印象変わったな」

「えへへ、そう?」


 嬉しそうに照れながら、アヤメはその場でクルッとターンをして見る。ミナヅキの後ろから、再び『おおっ!』という驚きの声が発せられた。


「良いでしょー♪ 本当は魔導師っぽくローブを基調にしようとしてたんだけど、こっちのほうがアヤメらしい気がしたんだよね」

「確かに」


 自慢げに語るリゼッタにミナヅキも頷く。嬉しそうにしているアヤメの表情が、大満足の出来を示していることは明らかであった。

 その後も工房内では、盛り上がりが続いた。

 ミナヅキとアヤメの馴れ初めを聞く声や、これからはアヤメも工房に顔を出す機会があると知って喜ぶ声などで、夜が更けても声が絶えることはなかった。

 ――マーカスがどうなったかなど、全く気にも留めずに。



 ◇ ◇ ◇



 深夜の路地裏。月明かりでボンヤリ明るく照らされる大通りとは違い、建物の影でどこまでも真っ暗な闇が広がっている。

 昼間でさえ薄暗いその場所は、夜になれば不気味感が増す。好き好んで通ろうとする以前に、近づこうとさえ思う者はいない。

 しかしながら例外もある。

 例えばそう――誰にも姿を見られたくないと思っている者などだ。


「くそっ……どうして俺がこんな目に?」


 マーカスは壁にもたれ、這いずりながら歩いていた。

 煌びやかな鎧も剣も装備していない。着ている服こそは貴族のそれだが、あちこち破かれ泥などで汚れている。整っていた金髪は色褪せてボサボサに、肌も痣や傷跡が目立つ。

 そんな彼の姿を、死んだ魚のような目が際立たせており、悪い何かに憑りつかれているのではとすら思えてくるほどだった。


「絶対におかしいだろ……今朝の俺は貴族だった。それが何故たったの一日で、全てを失うことになるというんだ?」


 憎悪に満ちた目を浮かべながら、マーカスは数時間前の出来事を思い出す。

 工房から父親に引きずられ、実家に連れ戻されてからの流れは、まさにあっという間の一言であった。

 リトルバーン家からの勘当を言い渡され、金に任せて豪華に作り上げた剣と鎧は没収された。大量のポーションの代金に充てるとのことだった。

 マーカスは必死に反抗したが、クレメントは自ら容赦なく、元息子の彼を外へ追い出したのだった。

 流石にショックを隠し切れないマーカスだったが、それでもすぐに立ち直った。

 まだ自分には冒険者という立場がある。そして取り巻きたちもいる。彼らを利用してたくさん結果を出し、輝ける舞台へ這い上がってやると、そう意気込みながらギルドへ乗り込んだ。

 ――そこで待っていたのは、彼にとって信じられない言葉であった。


『既にマーカス様の冒険者登録は削除されております。したがってクエストを受理することもできません。お引き取りくださいませ』


 淡々とマニュアルどおりに告げる受付嬢に、マーカスは当然の如く噛みつく。


『ふざけたことを言うな! お前はこの俺を誰だと思っている?』

『はぁ……リトルバーン家から追い出された元貴族と伺っておりますが』

『な、なんだとっ!?』

『ついでに申し上げておきますが、冒険者の再登録は受け付けかねますのでご了承ください。特にマーカス様の再登録は断固拒否するようにと……』

『だ、誰がそんな身勝手なマネをしたんだ?』

『我がギルドマスターと、リトルバーン家の当主であられるクレメント様です』

『なっ、そ、そんな、バカな……バカなあぁーーっ!!』


 その後、マーカスは狂ったかのように叫び声をあげながら、ギルドのロビーで暴れ出そうとする。しかし傍にいた冒険者たちによって取り押さえられ、それでも全く大人しくならないため、やむなく手を下されたのだ。

 そしてマーカスが気がついたときには、ボロボロのみすぼらしい状態で、明かり一つない路地裏に放り捨てられていたのだった。


(いつも俺にくっ付いてきている金魚のフンどもも、肝心な時にいやしない。役立たずはどこまで行っても役立たずか!)


 ちなみに金魚のフンこと彼の取り巻きたちだが、マーカスが貴族を追われたと知るなり、我先にと見限っていった。無論、それを本人が知る由もない。


(くそぉっ、こんな姿で表通りにノコノコ顔を出せば、一発で恥さらしになってしまうではないか! この俺が笑われるなど、あっていいワケがない!)


 マーカスは足を踏みしめる力を強める。しかし体力が限界を超えており、そのままドサッと倒れてしまった。

 冷たい石の感触が頬から伝わる。体が冷やされていくと同時に、無様でみじめな姿をさらしていると自覚し、目から涙が零れ落ちる。


(くそぉ……くそぉっ! 俺は貴族で偉かったハズなんだ! 将来を約束された輝かしき人生を歩いていたんだ! それなのにこの始末は一体何なんだ? 俺が何をしたというんだ? 全くもってワケが分からんぞ!)


 止めどなく涙を溢れさせながら、心の中でマーカスは叫ぶ。

 こうなってしまったのは全て彼の自業自得だ。しかしマーカスは自覚しない。これまでの行動を省みようとすらしない。貴族である自分は常に正しい、何かがあれば平民が悪いに決まっている。そんな思い込みは、未だブレることはない。

 これも全ては生産職のせいだ――彼は本気でそう思い込んでいる。

 必ず復讐してやる。必ずや貴族の冒険者であるマーカスの名に懸けて、工房ごと闇に陥れ、無限の地獄を味わわせてやる、と。

 マーカスの心は闇に染まっていくばかりであった。立ち止まろうともせず、一直線に闇の底へと駆け下りていく。それがまさに彼の状態であった。

 ――だからこそ、示し合わせたかのように現れる。

 今の彼ほど使い勝手の良い存在はないと、嬉しそうに笑いながら。


「お、お前は……」


 誰かの気配を感じたマーカスはなんとか視線を上にあげる。するとそこには、彼にとって見覚えのある人物が立っていた。


「お前の……お前のせいで俺は、お前が俺の人生をメチャクチャに……」


 その人物に向かって、マーカスは恨みを込めて吠える。その人物は無言のまま、液体の入った瓶を取り出した。

 そしてそれの栓を開け、中身をマーカスに無理やり飲ませる。


「ングッ、ゴホッ……エホッ、ゲホッ!」


 喉に流れ込む液体にむせてしまい、マーカスは激しく咳き込む。その瞬間、体の芯からスーッと楽になっていく感触がした。

 一体何が起こったのか。少し動かしてみるが、さっきまでの痛みは全て消え去っていた。ゆっくりと起き上がってみると、疲れすらも吹き飛んでいる。今、ここで見つかったとしても、全力疾走でどこまでも逃げられそうだ。

 マーカスは戸惑いながら、再びその人物を見上げる。


「……何のつもりだ? 俺を罠に嵌めるつもりなら、タダでは済まさんぞ」


 見上げながら睨みをきかせるが、その人物は何も答えない。暗闇の中でよく見えはしないが、表情も変わっている様子はなかった。

 その人物は踵を返し、ゆっくりと歩き出す。そして少し歩いて止まり、マーカスのほうを振り返る。

 何を言いたいのか、マーカスはすぐに察した。


「ついてこい……とでも言いたいのか? 何を企んでいる?」


 どれだけ問いかけても、その人物は口を開くことすらしない。

 そして再びその人物は歩き出す。ついて来るも来ないもお前の自由だと、その背中が言っているような気がした。


「フン、まぁいい」


 マーカスは不敵な笑みとともに立ち上がり、その人物の後を追って歩き出す。


(必ず後悔させてやるぜ……こうして俺を復活させちまったことをな!)


 クックックッと笑い声を零しながら、マーカスが闇へと入り込む。誘うことに成功したその人物は、ニヤリと唇をつり上げさせるのだった。



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