第六話 クレメント・リトルバーン



「バ、バカな……」


 工房にやってきたマーカスは、山のように積まれたポーションを見て驚く。後ろの取り巻きたちも、口をポカンと開けたまま声が出ていない。


「さっきは確かにこんな山はなかった。ど、どうなってるんだ? この数時間で一体何があったというんだ!?」

「どうもこうも、急ピッチで調合して作ったんですよ。力は借りましたけどね」


 ジョセフが前に出ながら答える。その表情は笑みこそ浮かべていたが、少々引きつっており、冷や汗をにじませていた。

 後ろで見守るミナヅキは、彼の様子の正体がなんとなく分かっていた。

 要は不安なのだ。自分がこんな偉そうにしていて良いのかと。

 ジョセフは恐怖と不安が入り混じったような表情で、ひたすら狼狽えていた。

 今からでも場所を変わってほしい、そんな感じの視線を向けてくるが、ミナヅキはニッと笑うだけで動かない。


(これはジョセフが受けた依頼だからな。俺が下手に前なんか出たら、余計ややこしくなるだけだ)


 しかも相手が相手だ。生産職を下に見ており、なおかつ貴族という立場を大いにチラつかせながら生きている。そんな相手をムダに刺激すればどうなるか――少なくともロクな結果にならないことぐらい、ミナヅキも分かるつもりであった。

 幸いなことに、マーカスはポーションの山に驚くばかりで、助っ人について言及する余裕は全くなさそうであった。


(このまま黙っていれば、なんとか乗り切れそうな気もするが……)


 実のところ、ミナヅキがギルドへ掛け合うという手も考えてはいた。しかしどうしても時間がかかる上に確実性もない。そう考えれば最善とも言い切れない。


(とにかくやるだけのことはやった。あとは成り行きを見守るしかない)


 ミナヅキが表情を引き締めながらそう思っていると、取り巻きの一人が焦りの表情とともにマーカスに報告する。


「マ、マーカス様……確認してみましたが、注文した数もピッタリです」


 その報告に、マーカスは眉をピクッと動かし睨みつける。


「なんだと? もっとよく数えてみろ。急ピッチでこれだけの数だ。絶対に少し少ないか多いかしているハズだ!」

「でしたらご自身でよくご覧になってください! あのポーションの山は、何気にチェックしやすいよう工夫して並べられてるんですから!」


 取り巻きの一人の言うことは正しかった。マーカスが渋々ながら見てみると、確かに数えやすく並べられていた。

 ポーションの山は数分もかからぬ間に数え終えてしまう。確かに注文した三百本がピッタリに用意されていた。指定した時間以内の提出ということで、反論する余地はどこにもない。

 拳を震わせながらも、マーカスは無理やり冷静さを作り上げた。


「ま、まぁ、いくら生産職でも少しはやるようだな。俺から言わせればまだまだ以外の何物でもないが、まぁ特別に及第点ぐらいはくれてやろう」


 どこまでも上から目線で語るマーカスだったが、その声は明らかに震えていた。強がりに強がりを重ねていることは、それを聞いている誰もが思っていた。

 マーカス本人はそれに全く気づくことなく、取り巻きたちに視線を向ける。


「おいお前たち、ボケッとしてないで、早くこのポーションを運び出せ!」

「は、はいっ!」


 取り巻きの男たちがポーションの山を袋に収めつつ、せっせと工房の外へと運び出していく。

 マーカスはジョセフに視線を向け、そして言った。


「確かに注文したポーションは受け取った。このことは俺のほうからギルドに報告しておくぞ。生産職は冒険者のために無償で働く、実に賢い生き物だとな!」


 その言葉に途中までは嬉しそうな表情を浮かべたジョセフだったが、後半の言葉で一気に驚愕に包まれた。

 ジョセフは狼狽えながらも、マーカスに問いただす。


「む、無償ってどういうことですか! そんなこと契約には……」

「あったじゃないか。さっきギルドに変更を伝えておいたと言っただろう?」

「まさか……その時に報酬金額の内容も……」


 表情を青ざめさせていくジョセフを見て、マーカスはしてやったりと言わんばかりの笑みをニヤッと浮かべる。


「フッ、おかげでムダな金を払わなくて済む。貴族の冒険者であるこの俺が、キサマら生産職如きのために出す金など一銭もないわ。ハーッハッハッハッ!」


 マーカスは両手を広げながら、気持ち良さそうに笑い声をあげる。

 それを遠巻きから見ていたミナヅキは、またしても怒りを通り越して感心すらしたくなってくる気持ちを抱いていた。


(生産職を冒険者と思いたくないのがいると聞いてはいたが……よくもまぁ、こんなクズが野放しになってるもんだな)


 そう思いつつも、致し方ない部分も多いような気はしていた。

 冒険者ギルドの役割は、あくまで冒険者の仕事を仲介するだけであって、冒険者そのものの管理をしているワケではない。

 外でどんなことが発生しようと、全ては自己責任。貴族にどんな酷い嵌められかたをされようと、ギルドは決して助けやしない。騙されるあなたがいけないんですよと言われて終わりだ。

 それは今回の件でも例外ではない、と言えなくもないのだが――


(いや、いくらなんでも、流石にギルド側がこれを放っておくとも思えない。あえて泳がせてるって可能性もありそうだな)


 マーカスがギルドに依頼の変更を行ったと言っていた。それは果たしてスムーズに通ったことなのだろうか。

 渋る受付嬢を、家柄にモノを言わせて無理やり押し通す光景が目に浮かぶ。

 実際そうだったんじゃないかと、ミナヅキは思えてならなかった。

 貴族が好き勝手に動くだけでも目に付くのに、ましてやそれがギルドに影響を及ぼしかねないとなれば、尚更黙っているワケがない。

 もっとも確証が全くないため、そうであってほしいなぁという個人的な願望の域を出ないのが、残念なところではあるが。


「ねぇ、ミナヅキ」

「アヤメ……いたのか」


 突如聞こえた小さな声に、ミナヅキは驚きながら振り向いた。その反応にアヤメは少しばかり呆れた様子を見せる。


「さっきからずっと後ろにいたんだけど……まぁ良いわ。それよりもあのマーカスって男、どうにかできないの?」

「……多分、俺も周りの皆も、同じことを考えてるよ」


 どうにかしたいという気持ちはある。しかし現状、下手に口を出したところで、余計に拗れるだけとなることは目に見えていた。

 だから誰も口を挟めない。そして恐らくマーカスもそれを分かっている。ニヤついた笑みでとことんジョセフを――その場にいる生産職全員を見下してきているのが良い証拠だ。


「念のため言っておくが、少しでも下手なことをしようとは思うなよ? もしそんなことをすれば、その時点で俺はギルドに報告する。生産職は冒険者から金をむしり取ろうとする汚い連中だとな! ハーッハッハッハッ!!」


 どこまでも愉快そうに笑い声をあげるマーカス。もはや誰も彼を止める術がないんじゃないかと思えてしまう。

 現に今、誰一人として彼に言葉一つ発していないのだから尚更だ。

 ジョセフも完全に絶望に満ちた表情であり、もはや彼に説得を期待するのは無理だと判断せざるを得ない。


(こりゃあ、流石に打つ手がないな……ここまでか)


 ミナヅキが心の中で、この状況を打開するのは無理だと判断した、その時。

 ――バァン!

 工房の扉が勢いよく開き、二人の人物が入ってくる。その内の一人は、ミナヅキもよく知る人物であった。


「デュークじゃないか」

「あ、そういえばさっき、私たちのところに来て、協力するって……」

「アイツが?」

「うん」


 戸惑い気味にアヤメが頷く。そして身なりの整った壮年の男が、デュークとともに歩いてくる。

 そしてその男は、思いっきり目を見開くマーカスの前に立ち止まった。


「マーカス……随分と派手な騒ぎを起こしておるようだな」

「ち、父上! 何故このようなところへ!?」


 その言葉にミナヅキたちも驚きを隠せない。予想外の人物の登場に、誰も言葉を発することはできなかった。



 ◇ ◇ ◇



 マーカスの父親――クレメント・リトルバーンは、フレッド王都の中でも評判の高い貴族として名が知れていた。

 国王からの信頼も厚く、ギルドに多額の補助金を提供し、冒険者のサポートもしている。故にギルドマスターとも仲が良く、ギルドへの顔も利く故に、彼と関係を築き上げたいと思う者は数知れず。

 もっともそんな彼も、数ヶ月前までは息子のマーカス同様、生産者のことを下に見ていた。しかし何故か突然、生産者を見直すようになり、ギルドマスターを通して工房の修繕資金をサポートするようになった。

 これについては喜びの声を上げる者が殆どであった。しかし中には、それを面白く思わない者もいた。

 ――彼の息子であるマーカスも、まさにその一人なのであった。


「あぁ父上、どうかお助けください! 私はそこの生産職に嵌められたんです。無理やりたくさんのポーションを売りつけることで、多額の金を我がリトルバーン家から搾り取ろうとしてるんです!」


 演技じみた声でクレメントにすがりつつ、マーカスはチラリと視線を向け、ざまぁみろと言わんばかりにニヤリと笑う。

 それを見たミナヅキとアヤメは、実に冷めた表情を浮かべていた。


「ブレないヤツだな」

「怒りを通り越してアッパレだとすら思いたくなるわね」

「全くだ」


 ミナヅキはひっそりとため息をついた。


(ったく、笑うならもっと目立たないように笑えよな……ん?)


 どこまでも人を陥れようとするマーカスの姿に呆れていたその時、クレメントが驚きの表情で視線を向けていることにミナヅキは気づく。


(……何だ?)


 正直、クレメントがどうしてそんな反応をしてくるのか分からなかった。ミナヅキがそう疑問に思っていると、クレメントが無言のまま歩いてくる。

 ――ジョセフを通り過ぎてミナヅキの前へと。


「あそこにあるポーションだが、もしかしてキミが作ったモノではないのかね?」


 突然の質問に、ミナヅキは思わず狼狽えてしまう。


「ま、まぁ、俺はあくまで手伝っただけですけどね。そこにいるジョセフが困ってたところに居合わせていて、少しばかり力を貸しただけですよ」


 謙遜ではなく本心のつもりであった。これはあくまでジョセフの依頼だという気持ちも含めて。

 しかしその答えに、全くもって納得していない者がいた。


「いえ、むしろそのミナヅキが作ったといっても過言ではありません。素材も彼が殆ど提供してくれましたから」

「お、おい、ジョセフ……」

「済まないミナヅキ。だがもうこれ以上は、別の罪悪感で押し潰されそうだ。もはやこれは僕の手柄なんかじゃない。キミの手柄だよ、ミナヅキ!」


 真剣な表情を向けてくるジョセフに、ミナヅキはどう反応して良いか分からず、ただ戸惑うことしかできない。

 実際、ミナヅキは単に困っている友人を助けただけであり、打算的なモノは一切抱いていなかったのだ。急に手柄だの何だの言われても――と言うのが、正直なところであった。


「やはりそうだったのか……」


 ジョセフの言葉に納得したらしいクレメントが、しみじみと頷く。そして改めて姿勢を正し、ミナヅキに向かって深く頭を下げてきた。


「此度は愚息がとんだ迷惑をかけた。数ヶ月前のことと言い、ちゃんとした礼すらできず、恥ずかしい限りだ。本当に申し訳ない!」

「え、いや、その……」


 突然の謝罪に、ミナヅキはどう反応して良いのか分からなかった。

 そもそも謝罪されるようなことをした覚えがない。しかしどうにも人違いをしている様子は感じられない。

 有り体に言ってワケが分からなかった。そんな状況に陥る中、今度はアヤメが訝しげな視線で見上げてくる。


「アンタ、数ヶ月前に一体何したのよ? 貴族のお偉い様が頭を下げるって、普通に考えたらとんでもないことよ?」

「って言われてもなぁ……」


 ミナヅキは困り果てながらも、数ヶ月前のことを思い出してみる。

 確か当時は正月休み。移住する準備を進めるべく、この異世界に来ていたことは間違いない。


(そーいやあの時、西の平原で止まっている馬車に出くわしたんだよな)


 王都から移住先の家がある町へ向かうべく、西の平原を歩いていた時だった。

 その馬車には、とある貴族の当主が乗っていたのだが、病気が急激に悪化して大変なことになっていた。

 そこでミナヅキが持ち合わせていた材料で調合し、薬を作って渡したのだ。

 薬を飲ませたことでその当主から、苦しんでいた表情が和らいだ。執事らしき男からそう聞いたミナヅキは、それは良かったと頷いて去った。

 名乗ることもせず、困ったときはお互い様だと礼を受け取ることもなく。


「もしかして、あの時の……」

「あぁ、そうだ。思い出してくれたかね?」


 ミナヅキの呟きにクレメントが笑みを零したその時――


「何をしておられるのですか父上! そんな薄汚い庶民に頭を下げるなんて!」


 マーカスが何もかもぶち壊す勢いで、大声とともに入り込んできた。

 それにより、クレメントの笑顔はピシッと固まり、徐々に怒りで歪みながら振り返る。しかしマーカスは、そんな父親の様子を察することなく、再び自分は被害者だと言わんばかりの演技じみた口調を解き放つ。


「父上に頭を下げさせるとは、生産職はどこまで落ちぶれているというんだ? これはもはや野放しにしておくことはできん。今からギルドに掛け合って――」

「バカモノおぉーっ!!」

「ひぃっ!?」


 正義の味方気取りで優越感に浸っていた表情が、突如放たれた罵声によって恐怖のそれに切り替わる。

 どうして父が怒りを見せているのか、マーカスは理解できないでいた。

 何も悪いことはしていない。むしろギルドの未来のために、良いことをしているハズだ。それなのに何故、自分は怒鳴られているのかと。

 本気で分かっていないらしい息子の表情に、クレメントは沸々と怒りの熱がこみ上がってきていた。


「お前というヤツは……身勝手なことをしただけでなく、私の恩人を貶すとは、どこまで恥を晒せば気が済むのだ!」

「な、何をおっしゃっているのですか? 父上の恩人とは一体……」

「数ヶ月前、病に侵された私を、こちらにおられる生産職の青年が救ってくれた。それについてはお前にもちゃんと話したハズだぞ!」

「あ、アレは父上が、生産者と冒険者を言い間違えていたに違いないと……」


 マーカスが声を震わせ、しどろもどろに言ったその瞬間、クレメントの目が更に鋭さを増した。


「この私がそんなバカなことをするか、この出来損ないが!」

「ひいぃーっ!」


 余りの恐ろしさにマーカスは腰を抜かしてしまう。そんな彼の頭をクレメントは鷲掴みし、ミナヅキとジョセフのほうに無理やり向けさせる。


「本当に申し訳ない! このバカ息子にはよく言って聞かせる故、どうか私の顔に免じてこの場は見逃してもらいたい!」

「ぶへっ、ごっ、がばぁっ!」


 クレメントが土下座しながらミナヅキたちに謝罪する。

 何度もマーカスの頭を強制的に下げさせ、その度に頭を打ち付ける形となる彼の口から、呻き声が漏れ出ていた。

 ミナヅキはジョセフに視線を向ける。早くお前が答えろと無言で合図を送り、ジョセフは頷いた。


「も、もうそれ以上は……僕としてはその、今回の依頼が無償になってしまった点をどうにかしていただければ、それだけで十分ですが……」

「あぁ、勿論です! 愚息が作らせたポーションは、全て我がリトルバーン家が買い取ることを約束いたしましょう! ギルドマスターにもこのことを報告し、もう二度と皆さまと工房に迷惑をかけぬよう、徹底させる所存でございます!」


 そして再度深く土下座をしたクレメントは、ようやく顔を上げ、隣で気絶しかけているマーカスを無理やり立ち上がらせようとする。


「ほら、さっさと立たんか! お前にはそれ相応の覚悟をしてもらうからな!」

「ど、どうして……俺は貴族の冒険者で……」

「バカモン! ロクデナシの分際で貴族を名乗るなあぁっ!!」

「ぶひぃーっ!?」


 再び雷を落とされたマーカスは、晴らした唇が影響して、豚のような鳴き声を出してしまう。しかしそれを笑う者はいなかった。皆、クレメントの凄まじさに心の底からドン引きしているからだ。

 クレメントはマーカスを引きずり、工房の扉から出ていった。取り巻きたちもいつの間にか逃げ出しており、工房はしんと静まり返る。


「なんつーか、まるで嵐のような親子だったな」


 ミナヅキの呟きに、アヤメは無言のままコクリと頷くのだった。



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